いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

エイジズム、ルッキズムを先取り 今解き放たれる幻のロメロ作品『アミューズメント・パーク』とは?

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今日から公開された“ゾンビ映画の父”ジョージ・A・ロメロが監督した『アミューズメント・パーク』は、長らく封印されてきた作品だ。

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本作は、もともとは年齢差別や高齢者虐待について世間の認識を高めるために、ルーテル教会がロメロに依頼した企画だった。しかし、出来上がった作品には老人の悲惨な状況が容赦なく映されており、そのあまりにもストレートに当時の米国社会を描いた内容に、依頼者はおののき、未発表のまま封印されていた。

https://www.crank-in.net/news/91867

 

後世の映画ファンからしたら、ロメロに教育映画を依頼するヤツ、頭イカれてんなあ! とは思うのだがそれはともかく、本作は“ゾンビ映画の父”とは一味違ったサイコホラー、約40年間日の目を見なかった珍品である。

まず、アミューズメント・パーク=遊園地×おじいさん、という組み合わせにハッとさせられる。遊園地はそもそも、カップルや子ども連れの若い家族が来るような場所で、暗黙のうちに老人が排除された場所だ。そんな舞台であるからして、老人(=招かれざる客)がいろんな酷い目に遭うというのにふさわしい、と考えたかは知らないが、考えたとしたらなかなか底意地の悪い作り手の発想である。いや、これは褒めているのだが。

本編の最初は、真っ白い部屋の中。頭から血を流し、ボロボロになった白いタキシードのおじいさんが辛そうに俯いて座っている。そこに、まるで正反対の新品の白タキシードで生気に溢れたおじいさん(リンカーン・マーゼル)がやってきて「何かします?」「話します?」「外に出てみます?」などといろいろ聞くのだが、ボロボロのおじいさんはもう生きる気力も失ったのだろう。鈍く反応するが、全てについて拒否したあげく、「外には何もない。本当になにもないんだ」と訴える。

これを無視して、外に飛び出した主人公の元気なおじいさんを、これでもかと精神的、物理的に追い詰めていく“アトラクション”が見どころ。怪我したので診てもらいにいくと、長い列に並ばされてたらい回しされたあげく、もう一度列に並び直してください、と言われるという地味に嫌~なのから、ハーレーに乗った野郎どもに鉄パイプでボコボコにされる直接的なものまでさまざま。

老人ばかりが舞台に挙げられるフリークショー(見世物小屋)では、若者たちから罵声が飛ぶ。荒唐無稽なようだがしかし、これはエイジズムはおろかルッキズムさえ先取りしているようにさえ思える。

ゴーカートでオカマを掘った高齢の婦人が、相手側(=若い男性)の過失を訴えても、現場検証の警官に信用されないシーンは、現代にも通じるものがある。今日ほど「高齢者の運転」が白眼視される時代もないだろう。

精神的にも肉体的にも、アミューズメント・パークでボロボロにされた主人公のおじいさんは最初の白い部屋に戻ってくる。打ちのめされ、俯いて座る彼は、もう冒頭で座っていたボロボロおじいさんと瓜二つ。よく見ると、冒頭のおじいさんと同じマーゼルが演じていることに観客は気づく。

そこにまた、何も知らない元気なおじいさん(このおじいさんもマーゼル!)がやってきて、何も知らず喜び勇んでパークへと出ていくところで映画は終わる。

同一人物が3人のおじいさんを演じることは、「結局、同じことの繰り返しだよ」ということを暗示しているように思える。映画の冒頭では、ストーリーテラー(彼も演じるのはマーゼルなのだが…)が少し長い前口上のあと、最後に「皆さん、忘れないでください。“あなたもいつかは老いる”」と付け加える。これほど、高齢者差別への抑止となる言葉もないかもしれない。

 

ジョージ・A・ロメロ監督作『アミューズメント・パーク』はシネマカリテにて10月15日公開。