ジョディー・フォスター監督、ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ共演の金融サスペンスです。財テク番組「マネーモンスター」の生放送中、突如男が闖入。司会のリー(クルーニー)を人質にとり、彼に爆弾の入ったジャケットを着させます。犯行の動機には、リーが番組で絶対安全だと推していたアルゴリズム取引を運営する企業の株の大暴落があるよう。ボタン一つで爆発する状況で、リー、ディレクターのフェイ(ロバーツ)と警察らの交渉が始まります。
何を見せたかったのか、あんまりよくわからない映画でした。犯人の男がとにかくぱっとしません。映画の展開上、たしかにそのパッとしなさ、愚鈍さは、狙ったものなのかもしれませんが、だからといって愛されるような愛嬌もない。共感しづらいです。男は大暴落の真の原因を知りたいというのですが、こんな愚鈍な人間が、そんなことを知りたいがためにこんな大事を起こすでしょうか?
だから、どうしても彼の存在、そして人質事件が、さらなる大きな悪までの敷石に過ぎなくなっている感が強い。事の真相についても、「○○と思われていた原因は、実は××だった」という話なのですが、この真相の××がもっと前の方から出てこないと、観客はあんまりびっくりしませんよね。そういう意味でも弱いなーと思ってしまいました。
ちなみに、この映画について「経済至上主義の現代を痛烈に風刺した」とする大それたタイトルのブログを拝見しました。
でも、この映画って本当に経済至上主義批判なんですかね?
監督のフォスターは、インタビューにおいてたしかに次のように言っています。
なぜ株取引の映画を作ることに興味をもったのか。ジョディさんは次のように語りました。
「金融の世界がおもしろいと思ったのはメディア、そして最新のテクノロジーについても描けると思ったからです」。「金融システムはあまりに複雑に設計されているため素人には理解できないようになっています。ルールを理解し、システムを制御できる1%の人たちだけがこのシステムの恩恵を受けているのです」。1%の富裕層と残りの99%の人たちとの格差。犯人はここから抜け出すことのできない若者でした。親の遺産をすべて株式投資で失い、経済的破綻というプレッシャーに押しつぶされてしまっていました。
犯人の若者は今の社会を象徴する役どころなのか?。
ジョディさんの答えです。
「カイルのように人生で置かれている状況に怒りを感じている人は今のアメリカには多いと思います。特に若者たちは『自分たちは正しいことをし、努力し、税金を払い、両親の面倒を見ているのに、全く報われていない』と言っています。アメリカは怒りを抱えているのです。その怒りはすぐに世界に広がっていくと思います」。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160616/k10010558241000.html
フォスターが言うことは、金融の門外漢のぼくでもわかります。ピラミッドのてっぺんの一握りの人たちが、自分たちで作ったルールでプレーし、好き勝手に富を独占する。そういう状況はあるのは確かなのでしょう。ルール通りにやっても誰が勝つか決まっている。実はそれが一番悪質なのかもしれない。
でも、この映画の描く「悪」って、ちょっとちがいますよね。明らかにルール違反を犯した男の話です。それは、男の身内であるはずの愛人が真相を知り、怒ったことが証明です。彼のやったことは、身内(つまりピラミッドのてっぺんの方の人たち)でさえ擁護したくないことなのです。フォスターさんが映画を撮る動機になっていた悪は、なぜだか、映画が完成したときには「矮小化した悪」に成り下がってしまったのです。
そうした金融の世界を描いたという意味では、実際のリーマン・ショック前後を描いた「マネーショート」の方が優れてはいないでしょうか?