いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「Mリーグなんてただの“運ゲー”じゃん」と絶望した俺が不死鳥のごとく蘇るまで

本ブログでも何度かは書いていることだが、ここ数年麻雀にハマっている。麻雀は自分でプレイするのも楽しいし、プロが打っているのを見るのも楽しい。

しかし、そんな麻雀について考えれば考えるほど、麻雀への「愛」、とくにMリーグなどの競技麻雀への「愛」が揺らぐようなことが起こってしまった。それは、麻雀というゲームが抱えている本質的な要素について。

■ 麻雀の強さは「長い目」で見ないと分からない

※ここからしばらく麻雀に詳しい人なら「知ってるわ」という話が続きます。

麻雀を打ったことがある人なら分かることだが、半荘を1回打ったところでその人が強いか弱いかどうかなんて分からない。麻雀の勝ち負けは多分に運も作用してくるため、そう簡単には決められないのだ。

よく言われている話だが、麻雀の実力は同じ打ち方で2000半荘(※1試合とほぼ同義)ほど打って初めて分かる、と言われている。一方、以前、最高位戦日本プロ麻雀協会所属のプロ雀士で、Mリーグ・赤坂ドリブンズ所属の園田賢は、You Tube番組に出演した際、麻雀AIに同じ打ち方で5000半荘打たせたあと、さらに5000半荘打たせたところ、全く結果が異なっていた、という話をしていた。

感情のない機械が、文字通り機械的に同じ打ち方で5000回という途方もない回数を打ったとしても、結果が安定しなかった。つまり、5000半荘打っても実力値が定まらなかった、というのだ。

これは、麻雀という運と向き合わざるを得ないゲームにおける「下振れ上振れ」がとても長いスパンで起こり得る、ということを意味している。

 

プロ野球首位打者の話を例に出してみよう。もし、ズブの素人でもなにかの奇跡で1打席目で1安打できるかもしれない。記録では1打数1安打で夢の「10割打者」だ。では、彼が「首位打者」になれるかというと、なれはしない。「規定打席」というものが存在し、ある一定の打席数を超えなければ首位打者には認定されないのだ。

麻雀の世界にこれを置き換えたとする。打ち手の実力が決まるとされる「2000半荘」を「規定打席」とするならば、競技麻雀の大会やリーグ戦のたった数百半荘の結果など、そのほとんどは「規定打席未達」ということになる。

Mリーグについて考えてみると、2023~24シーズンは各チーム96試合。ほぼ100試合、いや、「たった」100試合なのである。Mリーグはレギュラーシーズンのあと、セミファイナル、ファイナルという短期決戦へ舞台を移す。しかし、なんのことはない。そもそもレギュラーシーズンも合わせたとしても、Mリーグは麻雀における「短期決戦」なのだ。

Mリーグだけではない。各プロ団体のリーグ戦だって、ほとんどは1シーズンで100半荘にも満たないだろう。「規定打席未達」である。つまり、怒られるのを覚悟でいうならば、Mリーグを始めとする競技麻雀のほとんどは、麻雀のゲーム性からすると「運だめし」に近いものがある、ということなのだ。

麻雀を好きになって、好きだからこそいろいろ勉強してさらに好きになった末に、この「真理」に行き着いてしまったとき、足元がグラグラ崩れていくような感覚に陥った。麻雀はたしかに面白い。やるのも見るのも面白い。時間を吸い取られていく。しかし、Mリーグや麻雀最強戦などの「超短期決戦」という名の「運だめし」の勝った負けたでいちいち一喜一憂をする意味は本当あるのか? 誤解を恐れずいえば、「たったその試合数で優勝を決めることって、不毛ではないですか?」、という気分になってしまったのだ。

■ 麻雀界は将棋界になる夢を見るか

この辺の話題について、最近読んだ麻雀プロ・黒木真生さん(以下敬称略)の著書『誰が麻雀界をつぶすのか』でも触れられていて、面白かった。

麻雀関連の書籍というと、戦術本や教則本、点数計算の本などが大半だが、本書はそういった著書とは一線を画し、メディアとの関わり方やファンのあり方、さらに麻雀界隈のゴシップ、とりわけここ最近のそれに触れているため、麻雀界、特にぼくのように「符計算もおぼつかないがMリーグは見ている」という層(そんな人いないだろ、と思うなかれ。実はけっこういるのだ)は絶対楽しめると思う。

本書の中で、今まさにここまで論じてきた「(麻雀の実力を測るにはあまりにも試合数が少ない)Mリーグなどで勝っただの負けただの盛り上がる意味があるのか?」という話題に触れられている箇所がある。「麻雀界が将棋界を模倣するのはナンセンス」という章だ。

黒木は、将棋界に憧れている人が麻雀界の中に少なからずいると指摘する。要は「プロと名乗る人たちが『プロとして戦い続けること』だけで食べていける」という環境への憧れだ。章のタイトルのとおり、黒木自身は麻雀界の将棋界化について「ナンセンス」だと否定的で、さまざまな理由を上げているが、その1つとして麻雀は「誰が強いのかわかりづらい」という小節で、「2000半荘」の問題に触れている。少し引用しよう。

 真面目な話、大会のたびに2000回ぐらいやれば強い人のカタマリが形成されるだろう。(…)

 だが、2000回という数字を見てどう思うか。毎日10試合やっても200日かかるのである。そうなると、1試合ごとの視聴にハラハラドキドキはなくなるだろう。数字の上下で緊張感が走ったりするかもしれない。麻雀を見ているというよりは、株とかFXの値動きを見ているような調子である。

 このようなシステムの「プロ麻雀界」に多数のファンがつき、それを「宣伝媒体」として価値を見出した企業がスポンサードしてくれれば、麻雀は将棋の世界に近づけるかもしれない。だが「多数のファンがつく」というところで挫折する。100%無理である。理由は面白いと思う人が少ないからだ。こういうものは自分が参加してはじめて面白いのであって、ただ見ているだけでは「退屈な数字の上下」でしかない。

p154

麻雀界が、将棋界と同じように「誰が強いか」を明確に示すために対局数を2000の大台にまで増やしたとしたら、今度はエンタメとして成立しなくなる。つまり、企業がスポンサードする価値のある宣伝媒体ではなくなってしまう。あちら立てればこちらが立たぬ、というわけだ。

「毎日10試合」とあるが、日頃、各団体のリーグ戦などの放送対局4半荘(ないし5半荘)を昼間から夜までにぶっ続けで見ている物好きな人なら「10試合」がいかに非現実的で途方もない数字かが分かるだろう。残念ながら、黒木の指摘はかなりリアリティがある。2000半荘についてくる「ガチ勢」はたぶん少数派だ。

■ 将棋には将棋のよさ。麻雀には麻雀のよさ

黒木はそうした麻雀界にはびこる将棋界への憧れを否定した上で、将棋には将棋のよさ、麻雀には麻雀のよさがあると指摘する。

どっちが勝ちでどっちが劣るとか、そういう話でもない。麻雀には麻雀の良さがあって、それは強い順番に人をランキングして並べることではない。2000回やらないと無意味と言われている中で、たった半荘1回にいろんなものを賭して戦う人の姿を見て、我がことのように喜んだり泣いたりしてくれるファンがいる。麻雀最強戦も、そういった世界観があって成り立っている。この矛盾こそが麻雀の良いところではないだろうか。

 麻雀は楽しいし、理不尽だし、意地悪だ。でも、その不条理を楽しめるのが雀士の懐の深さではないか。囲碁や将棋のように「強いものが勝つ」という残酷さの代わりに「強いのになぜか負ける」という残酷さを選んだわけだから、将棋の世界への憧れやこだわりはいったん置いて、どうやったら麻雀をもっと楽しんでもらえるかを考えるべきだろう。

p156-157

そうなのだ。「こんな麻雀の実力が測れない短期決戦で勝った負けたをやる意味がある?」と思いながらも、現にそのあとも、相変わらずMリーグなど競技麻雀の結果一つで我がことのように手に汗握っていることに気づく。

麻雀の理不尽さ、そして無情さ――それらを煎じ詰めたような代物が、たった半荘で「最強」を決めると謳っている麻雀最強戦だろう。麻雀をしていて1半荘で一度もいい手が入らなかった、なんてことはいくらでもある。そんな麻雀の性質を知っていてもなお、やり直しなし、待ったなしで「最強」という称号を争うのである。こんな理不尽で不合理で無情な話があるだろうか。

でも、そうした自分の「理性」の訴える声になんて耳を貸さず、最強戦の泣いても笑っても1半荘に釘付けになっている自分がいる。

麻雀はドラマの宝庫だ。切る牌の選択一つ一つが積み上げていくドラマ、喰い流れによって生まれるドラマもあれば、「たられば」の海へ流れ去っていくドラマもある。卓を囲んだ4人の思惑が、意図せず絡み合い、予想だにしない結末へ連れて行ってくれる。それが面白いのだ。

だから「意味があるのか?」という自分の立てた問いに対しての答えは「そんなことはどうだっていいんだよ。麻雀は面白いしMリーグは面白いんだよ」。

■ 麻雀の“最強”とは「王と大谷、どっちがすごい?」みたいなものかもしれない

くどいが、麻雀は楽しい。しかし、麻雀に没頭すればするほど、麻雀の理不尽さに精神をやられる回数も増えていく、この皮肉。もはや「惚れた相手が悪かった」と嘆くしかないのかもしれない。

では、麻雀における「最強」とはなんなのだろうか。もしかするとそれは、野球で言う「王貞治大谷翔平、どっちがすごい選手だろう?」みたいな議論なのかもしれない。どちらも球史に名を残す偉大な選手だが、どちらがすごいかなんて簡単に決められるわけがない。プレーした時代が全く違うし、環境も違う。「もし大谷がまだ日本でプレーしていたら王の868号を超えることはできたのか」という議論も、彼が海の向こうへ行ってしまったから推測の域を出ない。

ここまで書いてきたとおり、麻雀では実力を知る上で2000半荘が必要とされ、さらに細かいルールの違いさえある。そんな麻雀で「最強」が誰かなんて簡単に決められない。麻雀における「最強」も、「王と大谷のどっちがすごい?」と同様に、雲をつかむような話なのかもしれない。

Mリーグ新シーズン開幕 注目は愚直な“実力至上主義”のあのチーム

今日からMリーグ2023-24シーズンが始まる。

今シーズンのMリーグで個人的に注目するのは新生ドリブンズだ。優勝した初年度はともかく、過去4シーズンで「Mリーグは実力だけでは勝てない」と痛いほど思い知らされたにも関わらず、愚直に「実力」のみで新メンバーをスカウトし、巻き返しを誓う彼らの頑固さが、吉と出るか凶と出るのか。

それから、そんなドリブンズと設計思想が全くちがう、新チーム・BEAST Japanext。そして自分が応援しているTEAMS雷電。昨シーズン、チーム解体の危機からファイナル初出場をつかみ取りはしたけど、最後は悔しい思いをした分、今季初優勝するドラマのお膳立ては整ったと思っている。

 

日本のビジネス界の風雲児、藤田晋が立ち上げたMリーグ。彼が前出の番組に出た際にその苦労を語っていた。


麻雀好きであると同時に凄腕の打ち手としても知られ、最強位を獲ったことでも知られる彼だが、そんな彼を持ってしても麻雀、とりわけ雀荘の収益構造には絶句していたのを覚えている。日本屈指のビジネスマンから見ても、元来麻雀とは「儲からないもの」なのだ。

そんな藤田が一念発起して立ち上げたMリーグに今、ようやく火が付き始めている。それは、ほとんど何もない無人島でかき集めた木片を必至に擦って擦って擦った末に煙の中にかすかに見えた種火のようなものかもしれない。その種火を絶やさぬように、できればもっと大きな炎にできるように、一ファンとして微力ながら見守っていたい。