いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ヤマもオチもない…でも確実に大切なことを「言いよどむ」映画『アシスタント』

映画館で配られていたポスター。観終わった後に見ると多面的な意味が浮かび上がってくるいいアートワーク

観終わって、まだ観ていない人に説明しようとするときになって、気づく。あれ? あの映画は何を描いたんだろう? ヤマもオチもなかった…と。でも、それは「つまらなかった」という意味ではない。むしろヤマやオチがなかったことで生じる、観終わったあとのモヤモヤした気分それ自体が、この映画の用意したギフトのような気がする。

 

本作『アシスタント』は、あるエンタテイメント企業でアシスタントとして働き始めたばかりのヒロインのある一日を淡々と描く。カメラは片時も彼女から離れない。さながらそれはドキュメンタリーのようだが、監督が、かの「ジョンベネ殺害事件」の当事者にフォーカスした映画で知られるドキュメンタリー出身の監督というのも納得できる。

伝わってくるのは、ヒロインの就くアシスタントという補助職に対する社内の「軽視」である。決してそれは「差別」でも「蔑視」でもない。そのレベルにまですら行ってない、そんなことすらする必要がないと言わんばかりに、彼女が存在自体を軽んじられている雰囲気がある。彼女自身はそんなことにはめげず、業務と業務の間を取り次ぐような補助の仕事を懸命にこなしている様が描かれる。

 

そんな中、ヒロインは不運にも社内の絶対的な権力者である「会長」の機嫌を損ね、激しく叱責されてしまう。どがつくほどのパワハラである。自身を人格否定する電話口の男の怒声を、唇をかみしめながら受け止めるヒロイン。それが終わったあたりで、いそいそと集まってきて、頼んでもいないのに謝罪メールの添削をしてくる同僚男性たちがこっけいだ。かつてネット編集者・中川淳一郎氏が、「我々が真面目に働くのは『怒られないためだ』」という名言を残しているが、怖い上司のカミナリを巧みにかわすのもサラリーマンのテクニックなのである。と、ここは見ながらうなづいてしまった。

 

そんな社内のone of themにまだなりきれていないヒロインは、ある「不正」を嗅ぎ分ける。でもそれは、会社に長くいる者からしたら、日常過ぎてもはや不正と感じられないような不正だ。ヒロインが意を決してそれを上司に報告に行くが…。彼女を待っていたのはあまりに非情な結末だった。

 

一番早く出社して、会社の電気が消えるまで働き詰めだった彼女。酷い怒られ方もしたし、今日も会社の人は自分の目を見て会話してくれなかった。ただ、それは「あまりに劇的に酷い一日」ではなく、せいぜい「あまりよくない一日」止まりだ。でも、これが金太郎飴のある切った断面の一つだとしたら? この「あまりよくない一日」が以降も延々と続いていると考えたとき、ゾッとするすごみがある。 かつて『世にも奇妙な物語』で放送された名作「懲役30日」と同じ怖さである。

 

映画の終盤。ヒロインはその日、誕生日だった父親に対して、お祝いの電話をかける。ヒロインの今の状況を知らない父親は、競争率の高い企業に入れた娘をほめたたえ、最後に「お前なら“上手く”やれるよ」と声をかけて電話を切る。果たして父親のいう「上手くやれる」とは、どういう意味なのだろう。それは、「お前ならその会社を上手く正せる」「この試練を乗り越えられる」という意味なのだろうか、それとも「お前もその会社の風土に順応できる」「one of themになれる」という意味なのだろうか。ファストフード店を出て、とぼとぼと家路につくヒロインのラストカットを見て、そんな風に考えてしまった。

たとえば『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』が提供したような、白黒はっきりした分かりやすいことを言い切らない。本作『アシスタント』は常に「言いよどむ」。しかし、その「言いよどみ」が、鑑賞者の思考を加速させずにはいられない。