いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

過去と現在、夢と現実が混濁していく独創的な映画『アンテベラム』

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Antebellum [Blu-ray]

今日から公開の映画『アンテベラム』は、ホラー映画シーンを新たな段階に引き上げたジョーダン・ピール監督の『ゲット・アウト』『アス』のプロデューサー、ショーン・マッキトリックが製作したスリラーだ。

まだ観ていない人に対して、非常に語りにくい作品だ。まず言えるのは、『ゲット・アウト』や『アス』と同様に、現実の人種差別問題や、それに対抗するBLMを射程に入れていることは間違いないが、もっと抽象的な言い方をすれば、「過去から現代へ断ち切れぬ憎悪の連鎖」がテーマになっている。

奇しくも同様のテーマの作品が、最近いくつか発表されている。2つの街の歴史を超えた差別/被差別の構造と、それを乗り越えようとするティーン達の活躍を描くNetflixオリジナル映画『フィアー・ストリート』3部作や、つい先月公開され、シカゴの貧困街で繰り返されるヘイトクライムによって生み出された怪物を描く『キャディマン』がそれだ。これらに共通するのは、「時代を超えて温存されてきた差別構造」だった。

しかし、本作『アンテベラム』について特筆すべきはその独特の語り口だ。

舞台となるのは、奴隷制度がまだ温存されていた南北戦争中のアメリカ南部と、現代アメリカ。作品はこの2つの時代、2人のヒロイン(ともにジャネール・モネイが演じる)を行き来するのだが、そのつながりはとても神秘的だ。2つの時代は、時空によって完全には分けられていない。まるで、現実が反映した夢のように、相互に作用し合う。それは並列というより、意図的な混濁に近い。「意識が混濁して」、と人は言うが、本作は観客の前に過去と現代の意図的な混濁を巻き起こそうとしている。

現代のパートを注意深く観てみよう。夫婦の寝室の壁紙の柄、写真立て、ホテルで出会う少女、、、さまざまなところに過去パートの痕跡が息を殺して潜んでいることが分かる。一度の鑑賞では絶対に気づききれないその「痕跡」の数々を追うために、二度目の鑑賞というご褒美も用意されている作品だ。

一方、過去のパートでも、“過去としてはありえない光景”が描かれることによって、それが単なる過去でないことが観客に示される。過去のパートが現代パートのヒロインが観る「夢」だとも断定できない。その逆、現代パートが過去パートのヒロインが観ている可能性だって捨てきれないのだ。どちらが主で、どちらが従なのか。それはまさに「胡蝶の夢」のように、判別できない。

中国、戦国時代、思想家である荘周が胡蝶になった夢をみた。
自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中で蝶が自分になったのか、自分と蝶との見定めがつかなくなったという故事から。

胡蝶の夢 - 故事ことわざ辞典

 

なぜ、本作は過去と現代をこのように絡み合う関係で描いたのだろう。一つには、この映画の作り手が、単純な進歩史観(過去より未来の方がよりよくなっているという見方)でアメリカの黒人史を捉えてないということだろう。今年日本で公開となった、奴隷解放に命をかけた実在の黒人女性を描いた映画『ハリエット』が示すように、過酷な奴隷制の中でも黒人女性はただただ従順なわけではなく、ときに果敢に立ち向かったのだ、と。

過去と現代を絡み合わせて描いていることには、もう一つの見方もできる。「過去から現在にかけて、何も変わっちゃいない」「何も問題は解決していない」という見方だ。本作のタイトル、“Antebellum”。ぼくは知らない単語だったのだが、「南北戦争前の」という意味とともに、単に「戦前の、戦争前の」という意味もあるという。「今が戦前だった」という意味が込められているとしたら、これほど不吉なタイトルもなかなかないだろう。

 

ジャネール・モネイ主演の映画『アンテベラム』は11月5日より全国公開。