いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

魂のクソ野郎映画『マーティ・シュプリーム』はなぜ俺を熱くさせるのか

 

スチール場面写真/ポスター A4 アクリルフォトスタンド入り 「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」 パターン 7 光沢プリント ※写真に余白あり

『アンカット・ダイヤモンド』のサフディ兄弟の兄・ジョシュ・サフディ単独監督作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。

実在の卓球選手、マーティ・マウザーをティモシー・シャラメが演じている。マーティは言うならばクズ。自分勝手で目的のためには軽く犯罪(といっても形的には強盗!)に手を染めてでも達成してやろうとする。その上、うそつきで女にもだらしない(どうやら避妊しないらしい)。

一方で、卓球に対してだけはやたら真摯(し)である。劇中では、やや揶揄ぎみに卓球を「ピンポン」と呼ばれる瞬間があり、そう呼ばれるたびに、マーティは律儀に「テーブルテニス」と訂正する。クソ野郎だけど卓球に人生をかける。マーティはいわば「魂のクソ野郎」である。

 

そんな魂のクソ野郎が躍動する本作。見ている途中から私は「ああ、たぶんこれ、俺が好きな映画だ」という予感がしており、実際に終わってみたら魂を撃ち抜かれてしまった。特に、日本人選手エンドウ(卓球のデフ選手・川口巧人が演じている。素晴らしい存在感!)とのラストバウトは、こんなにあっちこっちへと迂回する不思議な映画なのに、最終的には超どストレートな勝ち負けで感動するなんて! と驚かされた。以下、完全ネタバレで語りたい。

 

本作が私の心を掴んだのは、とてもわかりやすい理由だ。井筒和幸監督による1999年の映画『のど自慢』、あるいは、朝井リョウ原作の三浦大輔監督の2016年の映画『何者』にも通じるが、名作の一つの形のようなものがある。それは、「主人公に外的な変化はほとんどないが、内的には劇的な変化がある」というたぐいのストーリーである。

 

『のど自慢』で室井滋が演じるヒロイン、売れない演歌歌手・麗子も、『何者』で佐藤健が演じる内定がもらえない就活生・拓人も、物語の結末で大きな成功を手にするわけではない。

本作のマーティもそうだ。命の危険をかいくぐり、プライドをズタズタにされながら、彼が何とかたどり着いたライバル・エンドウが待つ、“約束の地”日本でのリベンジマッチ。しかし、その試合は単なるエキシビジョンマッチ、言い方を変えれば余興である。マーティは辛くもエンドウに勝利するが、勝ったからって何か得られるわけではない(むしろ失ったものの方が多い)。見届けた日本の観客たちも自国の選手が負けたことに少し残念がるがそれまで。ただそんな喧騒の中で、ただ一人、マーティだけはその場に大の字に倒れこんでその勝利を噛み締める。

 

『のど自慢』『何者』そして『マーティ・シュプリーム』、もしかしてシルベスタ・スタローンの『ロッキー』も該当するかもしれない。これらの作品では主人公が、第三者には分からない、「内的な勝利」を経験する。そしてそれが観客を感動されるのは、そこにいたるまでの彼らの内的な物語が、プロセスが、私たちの心を掴んでいるからだ。

マーティは卓球に人生をかけている。卓球しかないのである。そして、その卓球で敗れた相手エンドウ。その相手に二度も敗れる(しかも二度目は強き者に屈した“負けたフリ”である!)なんて、彼のプライドが許せなかった。彼には卓球しかないのだ。そのことを我々観客はあっちこっちに飛び火する映画の中で散々見てきている。だからこそ、ラストの「単なるエキシビションの勝利」がマーティにとっては「単なるエキシビション勝利」ではない、それは「彼だけの(観客だけが理解できる)栄光」であると強く思わされる。

 

帰国したマーティがまるで人が変わったように我が子の姿に涙するのは、おそらく「絶対に失いたくないもの」を守れたからだろう。卓球の世界一になったわけでも、巨万の富を得たわけでもない。「彼だけが知る内的な栄光」を守れたことが、彼にとって何よりも大切なことだったのだ。

メキシコ・カンクン2025‐2026①

f:id:usukeimada:20260202211654j:image

ここからしばらく、昨年末から今年にかけてメキシコのリゾート地、カンクンを訪れていた旅行記を書きたいと思う。

 

くれぐれも先に言っておきたいのは、この旅行は私主導では全くないということである。私などは海外で行ったのはアメリカのみで、それも最後に行ったのはコロナ直前の2019年である。今回は、旅慣れた人たち7人に、おんぶに抱っこ状態で連れて行ってもらった、いわば亀にへばりついたフジツボのような存在だ。麦わら海賊団で言うとどう見てもブルックのようないてもいなくてもいい存在だが、フジツボなりの視点で、ブルックなりの視点で何か書けるのではないか、ということで筆をとることにする。

 

成田からメキシコ・カンクンへは、ヒューストンを経由して行く。コードシェア便というやつで、ANAと米ユナイテッドが共同で運営している便らしい。

 

約13時間ほどでヒューストン着。ここからさらにカンクンへは1時間ほど飛行機に乗ることになっていたのだが、ここで最初の事件が起こる。

f:id:usukeimada:20260202205517j:image

f:id:usukeimada:20260202205514j:image

ヒューストンには到着自体、十数分ほど遅れていたらしいが、入国審査でさらに待たされる。そして、いざカンクン行きの便の搭乗ゲートへ行くと、がっしりとした体格の白人のグランドスタッフの男性2人に「ノー。もう締め切った。次の便にしてくれ」とあっさり搭乗を断られたのである。ゲームオーバー。

 

人間、虚をつかれると、ことの重大さに気づくのが遅れることがある。私たちの方もも、「あー、ダメだったかあ」程度の軽く残念がるリアクションだったが、ワンテンポ遅れて…いやいやいやいや! 絶対ダメでしょ! 山手線1本乗り遅れたわけじゃないんだから、と慌て始める。一応その日のうちにカンクン行きの便はもう1つあったらしいが、それも乗れるか分からなかったし、もちろん、1時間程度の距離であれ我々の購入した航空チケットはパアなのである。なによりオンタイムで行動して何の非もない私たちが乗れないのは、あまりにも理不尽ではないだろうか?

 

私たちがゲート前で途方に暮れているとそこに、おそらく同じ便に乗っていたであろう日本人夫婦の方々がやって来た。私たちが事態を説明すると、同じように顔面真っ青になっていた。そこで、私たち8人とそのご夫婦でもう一度グラウンドスタッフのもとに行き、なんとかならないかと懇願(“圧力”に近かったかもしれない)したところ、なんとあっさりゲートを開いて、乗せてもらえることになった。では、さっき拒否されたのはなんだったのだろう…? よくわからないけれど、私たちはなんとか予定通り、カンクン入りを果たした。

 

カンクン国際空港を降り立つと、ラテン系の活気の良い広場に出くわす。こちらは市場などではなく、単なるタクシー乗り場だ。聞くと、この空港からの足はタクシーが一般的なようで、カンクンについた旅客の客引き合戦が行われているのだ。

f:id:usukeimada:20260202205504j:image

f:id:usukeimada:20260202205525j:image
f:id:usukeimada:20260202205531j:image
f:id:usukeimada:20260202205521j:image

そこから一路、最初の宿泊地であるAirbnbへ。手配してくれた民泊は、ゲーティッドコミュニティの中にあり、大学時代に社会学で学んでいた分、「あ、ゲーテッドコミュニティってこういう感じなんだ」と、約20年ぶりに実感することになった。ゲートには警備の職員が常駐し、最初のうちは出入りのたびにIDをチェックされるのが面倒だったが、安全と引き換えで仕方ないことだとも思う。ただ、頻繁に出入りして私たちも「オラ(こんちわ)」とあいさつするものだがから、最後の方はIDなしでも顔パスしてもらえるようになっていったことは付け加えておく。

 

今回、Kくんが取ってくれた民泊が本当にすばらしかった。ここでこの旅の最初の感動があった。

間取りで言うと5LDKと言えようか。ダブルベッド3つにシングルベッド2つ、各部屋にトイレがあり、広々としたルーフトップもある。庭にはプールがついているのである。カンクンにFIREした富豪の知り合いがいて、泊まらせてもらったような感覚である。これだけ人数がいると、これだけ代えがたい体験ができるのだ、と思い知った夜だった。

f:id:usukeimada:20260202205655j:image
f:id:usukeimada:20260202205714j:image
f:id:usukeimada:20260202205739j:image
f:id:usukeimada:20260202205705j:image
f:id:usukeimada:20260202205723j:image


f:id:usukeimada:20260202205717j:image
f:id:usukeimada:20260202205711j:image
f:id:usukeimada:20260202205730j:image
f:id:usukeimada:20260202205651j:image
f:id:usukeimada:20260202205701j:image
f:id:usukeimada:20260202205708j:image
f:id:usukeimada:20260202205732j:image

『爆弾』スズキタゴサクという名の「笑い男」

現在公開中の『爆弾』。面白いのはもちろん、とにかく佐藤二朗がいい。絶品。福田雄一作品でしか彼を知らない人にも見てほしい。いや、福田作品でしか彼を知らない人に“こそ”見てほしい。自身で監督した『はるヲうるひと』や、和製スリラーの名作『さがす』で見せた怪演に匹敵するか、それ以上のベストアクトだと感じた。※以下、ネタバレを気にせず書き進めるので、まだ映画を見ていない人は今すぐブラウザを閉じて是非映画館に駆けつけてほしい。

 

そんな佐藤のベストアクトによって生み出されたキャラクター、スズキタゴサク。ある夜、警視庁・野方署に酔っ払って酒屋の店主を殴った容疑で連行された男・スズキ。

最初は警察も、酒癖の悪いおっさんが起こした些細な暴行事件として処理しようとするが、スズキは、自身に霊感があり、“11時に秋葉原で何かが起こる”と話す。すると、そのとおり時刻きっかりに秋葉原で重傷者を多数出す爆発事件が起きる。さらに、スズキは“まだまだ爆弾が仕掛けられている気がする”、とほのめかす。ここから、スズキと刑事たちとの心理戦が繰り広げられることになる。

スズキタゴサクというキャラクターの魅力は、佐藤の不気味な演技によるところが多分にあるがそれ以上に、結局最後まで「彼は何者だったのか?」が分からなかったことにある。そう、彼は“来歴不明の悪”なのである。

ここでいう“来歴”とは2つの意味がある。一つは、彼が結局どういう人物でどんな人生を生きてきたかがわからないということ。名前以外の全ての記憶を失ったというが、名前だって本名か疑わしい。日本で最も多い名字「スズキ」に、田舎者を指す蔑称「田吾作」である。そんな名前をつける親がいるだろうか。

もう1つの”来歴”とは動機のことだ。金が目的か? 違う。誰かへの復讐? それも違う。何らかのトラウマ的な体験で精神を病んだ? 映画がスタートしてすぐ、スズキは中学時代に憧れていた同級生女子の後をついていったところ、その子が何者かに凌辱された上に殺された、という衝撃的な体験をしていたと告白するが、のちのち、実はこれがホラだったことが明かされる。悲惨な体験でサイコな犯罪者になった、というもはやありふれたサイコサスペンスチックな動機も否定される。ではなぜ? 警察、そして観客も彼の動機を探るのだが、スズキは幾度となくはぐかしていく。

【関連記事】

iincho.hatenablog.com

“オリジナルなきコピー”としてのスズキタゴサク

さらに、終盤に来て、衝撃的な展開が待っている。実はスズキタゴサクの前に、この爆弾を事件を計画していた者がいた、ということだ。爆弾の製造も前任者によるもので、スズキは、よく言えば犯行を引き継いだ、悪く言えばただ乗りしているかっこうとなる。

この展開で思い出したのが、SFアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』において、シリーズを通して描かれる「笑い男事件」の真相だ。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man (レンタル版)

サイバーパンクSFで込み入ってくるため、詳細な説明を省くが、「SAS」を通して描かれるメインの事件である「笑い男事件」では、主人公・草薙素子ら公安9課が、ハッカーでありテロリストの通称「笑い男」を追うのだが、終盤に来て、今追っている「笑い男」(通称アオイ)そのものが、オリジナルでなかったことが判明する。

ただ、これは「真犯人が別にいる」ということを指し示しているわけではない。アオイはオリジナルと繋がりがあるわけでなく、ただたんにその元の「笑い男」がネット上に書き込んだデータに触発され、事件を実行しただけだったのだ。純粋なオリジナル(真犯人)が最初からいない。仏の思想家ボードリヤールの「オリジナルなきコピー」という概念に多分に影響を受けているこの真相に、当時筆者は衝撃を受けたし、何よりこれが最初に放送されたのはまだ2002年である。インターネットの本格的な普及を待たずにして、この展開を描くのはあまりに「早すぎる」と当時驚愕したのを覚えているし、今にしてもそれは思う。

 

奇しくも、「笑い男事件」が起きるとされるのは2024年であった。現実には、我々のアナログな脳はまだまだ電脳化される気配がないが、もしかするとスズキタゴサクは、2025年に1年遅れでやってきた「笑い男」だったのかもしれない。

ヒップホップ映画の新たな名作『KNEECAP/ニーキャップ』が秘めた“反暴力”という鉄の意志

ヒップホップ・アーティストの伝記映画と言えば、『8 Mile』や『 ストレイト・アウタ・コンプトン』があるが、現在公開中の『KNEECAP/ニーキャップ』も、その1作に数えられるだろう。この3作は当該のアーティスト本人が出演や裏方として関わっている共通点があるがもう一つ、大きな共通点がある。それは、疑いようなく名作ということだ。

 

ニーキャップはアイルランド出身の3人による2MC+1DJのヒップホップクルーで、この映画の監督のインタビューによると、彼らの母国語アイルランド語で高速に捲し立てるパフォーマンスに衝撃を受け、映画化を決意。本人たちにアプローチしたところ、ドキュメンタリーでなく劇映画なら、ということで自分たちで出演することを快諾したという。

ストーリーは、アイルランド語の教師JJ(MCネーム:DJプロヴィ)が、2人の若者、ニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と、その幼なじみリーアム(MCネーム:モ・カラ)がラップのリリックをしたためたノートを発見するところから始まる。自身でトラックを作るJJは、アイルランド語という動物園に囚われた絶滅危惧種ドードーを、君たちのラップで社会に解き放て! と説得。イマイチ、ピンと来ていない2人を強引に巻き込み、かくして3人はニーキャップというグループを結成することになる。

 

日本に生まれ、母国語の日本語という強固な言語共同体に守られていると気づきにくいが、アイルランドではほとんどの国民が普段は英語を使い、少し前までアイルランド語は危機にひんしていたという。

今ではアイルランド語は義務教育化されているというが、義務教育化されてまなぶのと、普及するのとには、実は千里の逕庭がある。我々も古文は学ぶが、日常的にカ行変格活用を使うことなどないだろう。それと同じだ。

特に、若者の間で「流行る」ということは、何かにつけて「かっこいい」「かわいい」の要素がなくてはならない。そしてそれは、まさにニーキャップはうってつけと言えるだろう。彼らの楽曲はトラックもカッコいいが、なによりも時折英語をまじりのアイルランド語の高速ラップはめちゃくちゃカッコいい。

 

www.youtube.com

そして彼らを通して、英語ともドイツ語とも、フランス語、中国語や韓国語、ましてや日本語とも違うアイルランド語の魅力に気付かされる。

映画では、そんなふうに危機に瀕した母国語を、かっちょいいトラックとリリックに乗せて解き放つニーキャップが若者たちを魅了(もちろん、劇中のパフォーマンスは実際のニーキャップの楽曲だ)し、絶滅の危機にあったアイルランド語を見事救った、めでたしめでたし、ちゃんちゃん、で終わるかといえば、そうではない。本作の魅力はそれだけにとどまらない。

「もう暴力には訴えない」というアンチテーゼ

それは冒頭の部分で明示される。ニーキャップの故郷はベルファストで、映画もベルファストが舞台だ。

その時点で我々映画ファンなんかは

 

ベルファスト(字幕版)

こういう映画や、

Shadow Dancer / L'Espionne de l'ombre (Bilingual)

こういう映画が脳内のおすすめ一覧に浮上してしまいがち。それでなくても、歴史好きなら分かる通り、ベルファストとはアイルランドと、侵略者イングランドとの闘争のメッカなのだ。だから、「ベルファスト」と聞けば、血と暴力の歴史を連想しがちで、ともすれば本作もその系統かと思われがちだ。

 

しかし、まるで観客のそうした思い込みを先回りするかのように、映画は冒頭でリーアムのナレーションにより、ベルファストでのテロ映像に被せる形で「こういう始まり方は辞めたいと思う」とそうしたイメージを拒絶する。

本作に通奏提案するのは、そうした暴力に訴えてきた旧世代に、新世代が突きつけるアンチテーゼだ。

 

旧世代を象徴するのは、マイケル・ファスベンダー演じるのニーシャの父で、伝説的な活動家アーロ。彼は公的には死んだことになっているが、実は地下に潜伏し、時折息子ニーシャとも会いながら、独立運動を細々と続けている。本作でめちゃくちゃ印象的な存在感を放ち、観客誰もが魅了されることだろう。

そんなアーロは、息子たちニーキャップの活動に最初は否定的だ。しかし彼らのライブを訪れ、息子たちのアイルランド語がオーディエンスを魅了していることを見届けると、嬉しいような寂しいような複雑な表情を浮かべてその場を後にする。ニーシャとリーアムは、彼らがまだ幼かった頃、アーロが伝えていた「アイルランド語は“弾丸”だ」という言葉を、ヒップホップを通して実践していたのだ。

その直後、ニーシャは対立グループに捉えられ、絶体絶命のピンチを迎える。そこにアーロがどこからともなくさっそうと現れると、息子のピンチを銃という暴力によって解決し、そのまま、何十年もの時を経て警察に出頭してしまうのだった。

なぜ、彼が出頭したのかは、ここまで読んでくれた人には分かるだろう。もう自分の歴史的な役目は終わった。正確に言えば、その役目は、正しく息子たちによって引き継がれた。そのことをアーロは悟ったのだろう。

 

連行された彼を警察署で迎えるのは、彼を終生の敵として負い続けてきたエリス刑事(ジョージー・ウォーカー)だ。彼女は彼女で、連行してきたリーアムに対して、明らかにやりすぎ、違法と言える暴力によって尋問をし、同僚たちに止められた直後だった。

どちらも暴力でことを強引に進めていた追う者と追われる者が、何十年の時をへて対面するのだが、アーロもエリスも、どちらもどこかバツが悪そうにうつむきがちな2ショットが一瞬差し込まれる。それはなぜか、どちらも、暴力によってことを解決した直後だから、と言えるのではないだろうか。立場が異なる旧世代の2人が、自身の過ちを恥じ入っているかのようにも見える。

 

ニーキャップというヒップホップグループ、そしてアイルランド語の魅力を存分に伝える映画『KNEECAP/ニーキャップ』。オフビートでファンキー、コミカルなルックとは裏腹に、その核には、俺達世代はもう暴力に頼らない、言葉と音楽で勝負する、という反暴力の強いメッセージが隠されている。

それは本当に“放送禁止歌”か? 加害者遺族の葛藤描く映画『君が生きた証』が投げかける難問

コーエン兄弟の『ファーゴ』などでおなじみで、目がギョロッとした顔が印象に残る俳優、ウィリアム・H・メイシー。彼が2014年にメガホンを取った『君が生きた証』という映画がある。本作は表現することについて、その倫理についてとても興味深い問いを投げかける。なお、ここからは都合上、ストーリーの核心部分に容赦なく触れるので、できれば回れ右して、観てから呼んでほしいぐらいだ。

君が生きた証(字幕版)

www.youtube.com


主人公は、やり手広告マンのサム(ビリー・クラダップ)。重要な商談が決まり、大学生の一人息子・ジョシュ(マイルズ・ハイザー)を意気揚々とランチに誘うが、あっさり断られてしまう。その後サムは、ランチを断ったジョシュが向かった大学で銃乱射事件が起こり、ジョシュは亡くなったことを知る。

一人息子を失い自暴自棄になったサム。2年後、湖畔に浮かぶボートハウスで荒んだ生活を送る彼の姿があった。サムは事件の後に仕事を辞めて、妻とも別れ、隠とん生活を送っていたのだ。

そんな彼に転機が訪れる。元妻から半ば押し付けられる形で受け取った息子の遺品の中には、彼の作詞作曲のノートとデモ音源が。近くのライブバーで飲んでいたサムは、ふと思い立って飛び入りでステージに立つと、息子の遺した楽曲を歌う。作ったのが亡き息子であることを伏せて歌ったその曲に、オーディエンスは聞き入ることになる。そして、その1人、心を掴まれたロック青年のクエンティン(アントン・イェルチン)に誘われ、サムは渋々ながら、バンド「ラダーレス」を組むことになる。

アントン・イェルチン演じるロック青年はいいキャラだし(この人は本当に亡くなるのが早すぎた)、ローレンス・フィッシュバーンも味のある楽器屋の店主として出演。また、監督のメイシーもちょい役だが出演している。

そんな本作だが、中盤以降で大きな展開が待っている。

中盤で観客をあっと言わせるミスリード「そういうことだったのか」

サムがジョシュの曲であることを言いそびれたまま、「ラダーレス」は次第に地元で人気を高めていく。そんな折、サムの前に現れたのは、ジョシュの恋人だったケイト(セレーナ・ゴメス)だ。ケイトは、亡き恋人の父親の前に現れお悔やみの一つでも言うのかと思いきや、自分がいまケイトという名を隠してアンというミドルネームで生きていると恨めしそうに訴えると、「よく歌えるわね! 恥知らず!」と吐き捨てて去るのだった。

この時点では、ケイトの怒りが、サムが亡き息子の楽曲を黙って自作であるかのように歌い演奏していることへの怒りかともみてとれるのだが、サムが、ジョシュの墓石に容赦ない落書きを認める次のシーンで、映画の観客には巧みなミスリードが仕掛けられていたことが分かる。

ジョシュは銃乱射事件の被害者ではない。加害者だったのだ! 彼は父親のランチを断ったその足で銃を持って大学を訪れると、何の罪もない同窓生たち6人を殺し、そして自らも死んでいたのだ。

それが分かると、冒頭から節々に仕掛けられていた絶妙な違和感の謎も解けていく。例えば、ジョシュの葬式のシーン。葬儀場の近辺には何人もの報道陣がたむろし、上空には報道ヘリが飛び交っていた。よくよく考えてみたら、被害者の遺族にそこまで取材が殺到する必要性もないので変だ。また、サムが元妻から「隠れるように生きている」と指摘されたことも理解ができる。今まで、ジョシュ=かわいそうな被害者、という認識で物語を追っていた観客の頭の中で、オセロの白が全て黒に反転するかのように、鮮やかに認識が変わる瞬間だ。

その後、注目が集まるイベントのオファーを受けた「ラダーレス」。メジャーデビューも見えてきた最中、その当日になって事件が起こる。ケイトが会場に乗り込んで、クエンティンをはじめとするバンドメンバーに、サムの楽曲は全て息子のジョシュの手によるものであり、また、ジョシュが大学で6人もの学生を殺害した銃乱射犯なのだ、とバラしてしまう。クエンティンは「もうあれは歌えない」とイベント出演を辞退し、バンドは解散状態になってしまう。

それは本当に“放送禁止歌”なのか?

こうした劇的な価値転倒が起こる語り口によって、最後まで観客の目を釘付けにする名作となっている本作。世間にとっては無垢なる若者たちを殺し、全く擁護できない、死んだとしても誰にも惜しまれない大悪党。自分にとって世界でたった一人の我が子が、そんな存在になってしまった…。胸を締め付けられるような主人公の葛藤が、「息子の作った曲を黙って弾き語る」という本当にささやかな方法によって表出したとしたら、それはとても切ない。

一方で、サムがやったことは、本当に許されないのだろうか。そんなことを、本作の鑑賞中にもずっと考えてしまった。犯罪者の手によるものだったら、どんなに素晴らしい作品でも公開(演奏)しては駄目なのだろか? しかし、世の中には犯罪者による作品なんて五万とある。では、黙って演奏することが駄目だったのか。それは確かに、著作権法上、少し問題かもしれない。ただ、そこだけクリアすればいい話だったのか? 被害者遺族の気持ちを考えると、配慮が必要? 確かにそれは一理ある。では、ほかの作品と同様、時限的には(たとえば被害者遺族のほとんどが死に絶えたあと、とか?)ジョシュの歌はいつか演奏されて然るべきことになるのだろうか?

そんな風に、非常にレアケースではあるが、表現倫理的な難問も投げかけているように見える。ラストシーンでは、サムが、最初に歌ったライブバーの舞台にまた一人で立ち、自分が今まで歌った楽曲は全て亡き息子の手によるもので、彼は何人もを殺害して死んだ、ということを全て打ち明けたうえで、彼の曲を弾き語る。ビリー・クラダップその人による弾き語りは本当に名演(なぜ向こうの俳優はみんな歌も楽器も上手いんだ!)なので、絶対にエンドロールまで見てほしい。世界中に憎まれた我が子がほとんど唯一遺した「生きた証」を歌う主人公の姿には、心をぐっと掴まれるはずだから。

大切な選挙の日なのに全く関係ない映画の話をして申し訳ない

f:id:usukeimada:20250720173833j:image

政局を決める大事な国政選挙の日なのに申し訳ない。今日は全然関係ないある映画について語りたい。

 

それは、『ハリー・ポッター』シリーズのダニエル・ラドクリフがネオナチに潜入するFBI捜査官を演じた映画『アンダーカバー』(2016)だ。

アンダーカバー [DVD]

 

ここから、都合上、『アンダーカバー』のストーリーの核心部分に触れていく。

ラドクリフくん演じるのは、優秀なFBI捜査官ネイト(ラドクリフ)。彼にある特命が下る。白人至上主義者から絶大な支持を得る保守系ネットラジオのパーソナリティ、ダラス・ウルフが、番組上で「大きな計画がある」と発言。FBI当局はワシントンDCで近いうちに大規模なテロがあると予測。ネイトくんに、ネオナチに潜入し、ウルフへ接近して情報をつかむよう命じる。

ここから、ラドクリフ演じるネイトは、マルフォイもびっくりの丸刈りイカつい風貌で身を固め、偽の経歴を手に入れ、ネオナチのグループに接触する潜入捜査を開始する。

 

正体がバレたらただじゃ済まない。命の危険だってある。そんなハラハラドキドキが手に汗握る前半だが、ネイトはグループで次第に信頼を勝ち得ていき、ついにウルフ本人との接触に成功。「資金援助をしたい」と巧みに誘い、ウルフの自宅を訪問する絶好の機会を得る。

ついにやった! ネイトと同様に観客も固唾をのんで見守る緊迫のシーンだ。…ところが、どうもネイトとウルフの話は噛み合わない。それもそのはず、ウルフはそんな“計画”、何も知らなかった。ネイトがそんなはずはないと迫ると、ウルフはあろうことか「イカれた奴(=ネイト)に脅されている」とFBIに通報してしまった! ウルフがラジオ番組をやっている目的には、何の思想上の信念もなかった。彼はお金目当てであり、さらに、そもそも保守主義者でもなんでもない。ウルフは自分のことを「エンターティナー」だと自称する。彼は狂信的な保守主義者でもなんでもなく、リスナーに「ウケがいいこと」を敏感に感じ取り、しゃべっていただけだったのだ。

 

ウルフという男はこのあとストーリーの核心には全くタッチしないどころが、一切登場しなくなるが、彼の人となりが作中で明かされたとき、俺には「これはありそうな話だ」と強く感じられた。

差別心を抱くこと自体は仕方ないものだ。自分のホームグラウンドに見知らぬ者が入ってきて、その上人数が多かったとき、何をされたわけではなくても、「なんか嫌だな」と心に思ってしまう気持ち。論理的な正当性はないが、自分の縄張りを他者に脅かされてしまうことへの反発は、動物的、原初的な反応であり、仕方ない。

問題は、その「なんか嫌」という感情に、言葉と行動を与えてしまうことだ。ウルフのような人間は一定数いて、彼らは「この人たちはこういうことを言ってほしいんだろうな」という、名もなき者たちの「なんか嫌」の感情を敏感に察知し、デマや誇張、ウソで塗り固めたかりそめの「正しさ」によって言語化、行動化していく。

かくして、「なんか嫌」でも「表に出すのは憚れる」はずだった差別心は、免罪符を得て、いつの間にか大手を振って出歩くことが許されることになる。

俺は「なんか嫌」を抱える有象無象のフォロワーより、その「なんか嫌」を巧妙に言語化して、共感を得て、支持を集めるウルフのようなヤツのほうが、はっきり言って害悪に思えるし、政治政党という影響力のある存在ならば、なおさらだ。

 

ところで、選挙中、散々撒き散らしていた差別的、排外的な言葉に対して「あれは選挙の間のキャッチコピーだ」などとエクスキューズを始めた国政政党の長がいる、という報道を目にした。

そうした政党がここまで広大な差別的なキャンペーンを張ったのは、票を集めるためのいわば「弱者の兵法」で、いざ国会が始まれば思想的にも実務的にも意外とまともだった、という可能性が、万に一つあるかもしれない。ほとんどその可能性はないと思うけれど。

ただし、万が一まともな政党になったとしても、未来永劫、俺たちは「あの政党は差別を“政治利用”したんだ」という経歴を、絶対に忘れてはならないと思う。自分たちが利するためなら、差別心につけこみ、憎悪の炎をたぎらせることも辞さない政党なんだ、ということを忘れてはならない。したがって、我々が使う捨て台詞は「覚えておけよ」じゃない。「覚えておくよ」だ。

 

最後に、重ね重ねではあるが、今日は大事な選挙の日なのに、全然関係ない映画の話をして申し訳ない。

Mリーガー二つ名ランキング

f:id:usukeimada:20250906203804j:image

現在、オフシーズンの「Mリーグ」だが、各選手を語るうえでなくてはならないものがある。二つ名、ニックネームである。

純粋な競技麻雀として観戦している人には、「何が二つ名だ。そんなものは雀力はおろか、麻雀の勝敗にも関係ないぞ」と思われるかもしれない。

しかし「Mリーグ」はあくまでも興行であり、競技であると同時にエンターテイメントの側面もある。いにしえの格オタの自分からすれば、たかが二つ名、されど二つ名だ。

ということで、今回は2024‐2025シーズンを戦ったMリーガー36人の二つ名、ニックネームをランキング化した。もちろん、こんなものに正解などは存在せず、評者の独断と偏見によるところだが、自分なりに下記の4つを指針にしている。

 

・表現力

・キャッチーさ

・オリジナリティ

・定着度

 

なお、二つ名が複数ある選手もおり、そうしたときは最も有名なものか、評者が気に入っているものの方を取り上げた。

では早速行ってみよう。

SSS(最高。考えた人のセンスを称える)

第1位:ゼウスの選択(鈴木たろう

大好き。何よりたろうさんのあのどっしりとした体格に、ふてぶてしくもあり、たまに神々しくもある雰囲気を「ゼウス」の一言でまとめた発案者の天才に嫉妬するレベル。「ゴッド」じゃダメ。やっぱり「ゼウス」なの。ときに見るものを驚かせるたろうさんのアクロバティックな手牌進行を「選択」とまとめた点もいい。

SS(ぴったり。素晴らしい)

第2位:戦闘民族(鈴木優)

言うまでもなく鳥山明ドラゴンボール』からの拝借なのだけど、親のリーチに対してもギリギリまで押しまくる優さんの攻撃的雀風を表現していて素晴らしい。

第3位:軍師(勝又健志

「麻雀IQ220」もあるけど、断然こっちを推したい。ヒゲを蓄えた勝又さんの戦国武将みたいな男くさい風ぼうと、チーム内も一目置かれている立ち位置、評価が高い解説での明朗な語り口も含め、「人に説く」のが似合うから「軍師」というのがぴったり。

S(とても好き)

第4位:ヤンチャな貴公子(本田朋広)

以前までは「北陸の役満プリンス」だったが、こちらの方が断然良い。たろうさん並の「そこから鳴くの!?」というアクロバティックな雀風を「やんちゃ」と評したのが素晴らしい。唯一のデメリットは、同名タイトルのラノベがあるようで、検索上は不便なこと。

第5位:小さな天才(堀慎吾)

よく考えたら前半は褒めてないんだけど、シンプルで分かりやすいし、シンプルなのがカッコいい。「天才」は安易に使えないリスキーな言葉だけど、この人に使っても誰も文句言えないというのもある。

第6位:二刀流ブルドーザー(鈴木大介

プロ将棋棋士というのも踏まえて「二刀流」とまとめるのはありがちだけど、さらにそこに「ブルドーザー」という要素を付け加えてグッと良くなった。卓上のすべてをなぎ倒していくような高打点を狙う雀風を上手く表現している。

A(好き)

第7位:卓上の暴君(瀬戸熊直樹

「卓上の~」シリーズ。シンプルだけど、どっしり構えでドカンと和了り、時折いつまで和了続けるんだという瞬間があるのを「暴君」と評したのがよい。

第8位:魔王(佐々木寿人

短いし、分かりやすい。寿人さんには他に「麻雀攻め達磨」という二つ名もあって、ハマった時に追撃の手を緩めない雀風を評しているとは思うけど、元ネタがいにしえの甲子園ネタすぎておっさん世代以外にはピンとこないと思う。

第9位:繊細なる超巨砲

正反対の2語をくっつけるのはコピーのよくある手法なのだが、上手くハマってる。

第10位:龍を継ぐ者(仲林圭)

まず字面がカッコいいし、物語性を感じる。これも評価ポイントの1つとして上げたい。一読では「?」となるけど、興味を持って調べたくなるのがいい。で、調べたら少し熱い話が出てくるのでおすすめ。

B(悪くない)

第11位:麻雀サイボーグ(小林剛)

意外と少ない「麻雀◯◯」シリーズの二つ名。最近では「実は人の気持ちを思いやれるいい人」という説が蔓延してキャラ崩壊疑惑があるけど。

第12位:モンキーマジック(猿川真寿)

名字にかけてていい感じ。カッコいい。ただ、思いつくのにかかった時間3分ぐらいじゃね? と思ってしまったけども。

第13位:卓上の魔術師(園田賢

もはや長尺インタビューが「Mリーグ」名物になっているが、仕掛けを駆使する雀風を「魔術師」と評したのがよい。もはや「おしゃべり鳴き野郎」とかでもいいと思うけど。

第14位:笑顔のサンシャイン(日向藍子)

二つ名の中ではあまり知られてない方だと思うけど、「日向」という名字と笑顔がトレードマークの本人のかけ合わせが見事。公式実況・日吉辰哉の発案らしい。センスあるなあ。

C(俺はいいとは思わんけど絶対替えるべきとも思わん)

第15位:最速最強(多井隆晴

本来なら抽象的すぎてダメなんだけど、「俺はいいとは思わんけど絶対替えるべきとは思わん」の最たるもので、もはや多井さんと言えば「最速最強」なのでこのままで。

第16位:レディベルセルク高宮まり

カッコいい。先行する漫画作品のタイトルもあって、「なんかよくわかんないけど、イカつそう」というのは伝わってくるし、本人の攻撃的な雀風ともマッチしている。

第17位:朱きヴァルキュリア伊達朱里紗

本人の名前の「朱」を取ったのが上手い。「ヴァルキュリア」はよくわからないけど、「なんか強そう」なのは伝わってくる。声優との兼業だからといって安易に「声優」とか「二刀流」と入れなかったことも評価したい。

第18位:卓上のヒットマン松本吉弘

アディダスのジャージ姿で他の組にかちこみにいきそうなイカつい風貌も相まって「ヒットマン」というのはピッタリ。

第19位:麻雀バガボンド滝沢和典

Mリーグ」史上唯一の移籍経験者だし、バカボンド(放浪者)という二つ名はあり。見た目もかっこいいし。何なの? 昔試合後のインタビューで「カンチャン即リーあと引っ掛けおじさん」への改名を宣言していたけど、公式には採用されなかったっぽい。

第20位:卓上の舞姫二階堂亜樹

これも「卓上の~」シリーズ。「舞姫」はもうよくわからないけど、今さら変えるほどでもないしなあ感。

第21位:麻雀シンギュラリティ(渡辺太)

パッと見よくわからないんだけど、新世代感があってよい。

D(できれば変えた方がいいと思う)

第22位:麻雀ハイブリット(白鳥翔

率直に言って「何と何の(ハイブリッド)?」と疑問。一時期「供託泥棒」というのがあったらしいけど、安易すぎる。みんなするよ供託泥棒。「白鳥翔」という名前にあの華やかな見た目だし、せっかく天鳳位獲ったんだから、もっといい二つ名をもらってもいいと思う。

第23位:強気のヴィーナス(黒沢咲

意外にも「セレブ」というのは二つ名ではないのね。安い和了りを拒否し、少しアンバランスとさえいえる面前至上主義、高打点至上主義な雀風をとらえて「セレブ」と評したのは上手いと思うんだけどなあ。強気のヴィーナスは正直、ボンヤリしている気が。

第24位:二階堂瑠美(天衣無縫)

意外とない四字熟語系二つ名。念のため「天衣無縫」を調べると「詩や文章に技巧がみられないのに、自然に素晴らしい出来栄えであること、また、その人の人柄や言動が、無邪気で飾り気がないことのたとえ」という意味で瑠美さんに通じるものが確かにある。「卓上の変顔」でもいいのでは(酷い)。

第25位:魔神(渋川難波)

どうググってもピンとくる理由は見つからなかった。本のタイトルにもなっちゃったけど、まだ間に合う。変えた方が良いと思う。

第26位:手順マエストロ(内川幸太郎)

この二つ名を見るたびに、「麻雀プロたるもの全員手順マエストロであれ」と俺の心の中の千鳥ノブが疼く。悪くはないんだけど、誰でも当てはまるような文言は、二つ名にしてほしくない。

第27位:逆襲のヘラクレス(浅井堂岐)

たぶん筋トレしてるから「ヘラクレス」なのだろうけど、「何からの逆襲?」となってしまう。こういうなんとなく置きに行く言葉が微妙。皮肉にも今季の個人成績低迷によってこの二つ名がぴったりになってしまった。来季の逆襲のヘラクレスに期待。

第28位:純卓のインフルエンサー中田花奈

率直に言うと、本人に二つ名が負けてる。もっといいのを作ってあげてほしい。「手順は下り坂系」とか? ダメに決まってるだろ。

F(いますぐ変えたほうがいい)

第29位:雪原の求道者(萩原聖人

なんでハギーだけキャッチコピーの時点で耐え忍ぶ苦しい試合展開が暗示されてんねん、というのがツッコミどころ。「三色おじさん」は無理でも、もっと前向きな二つ名に変えてあげてほしい。稀代の俳優つかまえてこれはかわいそう。

第30位:清純派黒魔術師(菅原千瑛)

「黒魔術」は面白いのだけど「清純派」がよくわからないし、そもそも7文字すべて漢字って読みづらすぎる。定着させる気がないのか。ウィキペディアによると本人も替えたがっているらしい。

第31位:無敵のタイタン(竹内元太)

高身長を評して「タイタン」はいいとして、「無敵の」は置きにいきすぎ。思考停止すぎ。一説では「ベタオリ十段」を本人が提案したらしいが、却下されたという。却下する気持ちもわかるけど、「無敵のタイタン」よりはいいと思うけどなあ。

第32位:孤高の探求者(醍醐大)

率直にいって安易すぎ。「こんなの誰でも当てはまるぞ」というのがダメダメ。誰だって麻雀打ってる最中は孤高の探求者なのだよ。今季MVPで優勝の立役者にこのぼんやりした二つ名はもったいなすぎる。「先切り十段」じゃダメなの?

第33位:天才すぎるオンナ雀士(茅森早香

「すぎる」がダサいし、「オンナ」がカタカナなのもなあ。昭和。「監督」要素も加わるし、もう少しなんとかならんのか。

第34位:聡明なるバイプレイヤー(浅見真紀)

まずコピーの時点で「バイプレイヤー」(脇役)に指定するのが、本人に失礼。もしかして本人が提案したのかもだけど。このあたりチームの旧制高校的と言うか、エリート男子校的な選民意識が見え隠れする(偏見ですよ偏見)ように思えるのは俺の心が汚れているだけ?

第35位:気高き女海賊(瑞原明奈)

モンキーマジック」と同じく3分で考えてそう。猿川のはまだ個性が出ていていいのだが、こちらはほかの女流プロがチームに入ってきたら代替可能じゃね? という安易さがある。これだけ本人はキャラが立っているのに、もったいない。あと、「“女海賊”って、海賊が男のものって決めつけじゃないですか?」と、俺の心の中のフェミが叫んでいる。

第36位:完全武装アフロディーテ岡田紗佳

最下位はこちら。別に今季の成績を反映しているわけではない。もはや意味不明だし、何を言いたいのかがピンとこない。何より全く定着していない。テレビタレントとして近年あれだけ活躍しているのに、こんなのを来シーズンも使い回すのはもったいない。つーか、グラビア・タレント時の二つ名「役満ボディ」が強すぎる説あり。ただ、これをMリーグで使うのはなあ…感。