いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【最終回から早1週間】『ダイアンのよなよな』好きだったところ100個挙げてみた

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最終回からもう1週間。『ダイアンのよなよな…』が聴けない月曜夜10時が来てしまいました。

今回は「本当の親友は好きなところが100個言える!」というテーゼに乗っ取り、『ダイアンのよなよな…』の好きなところを可能な限り上げていきたいと思う。

 

【注意!! 下記はダイアンもしくは『よなよな…』に興味関心がない方には一切配慮されていないテキストの羅列になります!!】

  1. 記念すべき第1回オープニングが信じられない間違えから始まったところ
  2. 番組の節目ごとにその第1回オープニングを振り返る謙虚さ
  3. 毎回、絶対に天気・気温の話から始まるところ
  4. フリートークが文句なくおもしろいところ
  5. ユースケの野太い声、津田の甲高い声のコントラストで聴きやすいところ
  6. 関東のテレビ番組に出てる時より津田がリラックスしているところ
  7. リラックスしている津田は凄い速さで質の高い喩えツッコミを繰り出すところ
  8. 「俺のおとん死んどんねん!」
  9. 「よっしゃー!」→「くそーっ!」
  10. 「この水飲めますよ」
  11. 「ぷぅ」
  12. 「素晴らしい」
  13. 学生時代の話になるとキャッキャキャッキャしだす2人
  14. 何度同じ学生時代をしてもおもしろいところ
  15. 高校落ちた津田と半年距離を置いていたユースケ
  16. ちんかわのおさやん
  17. ロンペのレイアップ
  18. 我流ヒップホップガールズ
  19. 7年半が過ぎたけど結局「あひょーん」→「も~」の用法が分からなかったこと
  20. 足臭AD
  21. 音声さんのエルボー
  22. トークの登場するよしもと芸人がしぶすぎて関西圏リスナー以外はネット検索必須なところ
  23. よしもとの劇場(主に祇園花月)の登場人物渋めの楽屋話が聞けるところ
  24. ユースケが地元が同じ先輩シンクタンク・近江のこかじろうとガチギレしたけどネットニュースにならないどころかよな月リスナー以外ほとんど誰にも広まらなかったところ
  25. スー姉
  26. ぢゃいこ
  27. 「事務所通して」
  28. やけにメロディアスな武将様のオリジナルソング
  29. 毎回よく覚えられるなというぐらい長い武将様のオリジナルソング
  30. LINE LIVEで過去の回が聴けるところ
  31. LINE LIVEなのでバックボーン再生ができるところ
  32. 毎回LINE LIVEに映るユースケの私服がオシャレで楽しみなところ
  33. 生電話企画ではガチで女性リスナーであるのを期待しているところ
  34. 毎週、絶対1曲かけ続けていた長渕剛
  35. 名前だけかえてほぼおなじ内容のコーナーが何年も続いているところ
  36. たまに本当に意味の分からないネタメールが読まれて2人が困惑するところ
  37. もう1年も前に終わった『半沢直樹』関連のネタメールコーナーを1年続けたところ
  38. 一時期、NMB48が出演する謎の10分コーナーがあったところ
  39. 以前は3時間もあったところ
  40. ミルクボーイが全く無名な頃からフリートークに名前を出してあげていたところ
  41. M-1優勝したミルクボーイに番組の時間を30分譲ってあげたところ
  42. 一方、女と男の市川には本気で冷たい津田
  43. 飛び込みの東京五輪代表・寺内選手もリスナーだったこと
  44. YouTubeチャンネルについては示し合わせたようにお互いほとんど触れないところ
  45. 政治・時事問題の話を話すと必ずポンコツ(ごんぼさん)になるところ
  46. 反面、スポーツのニュースにはやたら詳しいところ
  47. とりわけ男子陸上100mについて異常な尺を使って話していたところ
  48. とくに桐生くんに熱視線を送っていたところ
  49. 生電話コーナーの圧倒的な女性リスナー採用率
  50. たぶん日本のラジオ番組で一番三重のYouTuberをイジり続けたこと
  51. 小室哲哉がMAXに授けた「ボーン」
  52. 東京に進出したのに女性有名芸能人との交流など華やかな話はほとんど出ないところ
  53. 突然ぼっ発する津田のうんこ休憩タイム
  54. 西澤eyes
  55. ユースケがしれっと更新し続けているnoteについては一切触れないところ
  56. キングオブコント2018の裏で繰り広げられた滋賀県人会
  57. 滋賀県人会はみんなが同じ夢をみたのだと思い込もうとする津田
  58. 滋賀県人会に友人を呼んでいたキミドリ古田
  59. 何かとカレーを振る舞おうとするユースケ
  60. 珍しくヤフーニュースになったユースケ結婚発表回
  61. 「君ら何漫才? 俺らスピード漫才!」
  62. やけに上手い津田によるオリラジがち喧嘩の再現
  63. ラジオなのに過去のテレビ番組のミサイルマンのロケをスタジオで放送して2人がコメントする謎の企画
  64. あるあるネタコーナー(「ダニー・カコ」、「クライスト・ペネロペ」など)は何年もやっているせいで何度もネタかぶりし始めているところ
  65. ABCお笑いグランプリ翌日に優勝したオズワルドでなく準優勝のカベポスターをゲストに呼ぶところ
  66. どんなことを言ってもネットニュースに全然ならないところ
  67. といいつつ、なんでそこやねんというところがたまにネットニュースになるところ
  68. 津田がミサイルマン西代のことガチで嫌いそうなところ
  69. 西代を批判するときの津田のキレ味
  70. おちょぼ口の脱走犯
  71. アルピー平子が後輩だと思って高圧的にいったらしっかり先輩だとわかって焦る津田
  72. ギャロップ
  73. ほぼ7年半ずっとつづいたギャロップ林のハゲ&おならイジり
  74. 本当はギャロップ林よりはるかに多く生放送中におならをしているダイアン
  75. ロシアワールドカップの滞在先から律儀に電話出演したにも関わらず容赦なくいじられても怒ることなく対応してくれた林
  76. 「ありがたいなあ」
  77. 「俺は大丈夫やんな?」
  78. そんなイジられたおした林がしれっとM-1グランプリに出る快挙
  79. チャーハン林のYouTubeは飯テロ
  80. 最終回1個前の林のあいさつはわりとガチで泣かせにきているところ
  81. 7年半の間に2回大きな問題に関与したスーパーマラドーナ武智
  82. 絶対やめたほうがいいのに泥酔して生配信してしまう武智
  83. 酔って「よな月」リスナーを罵倒 生配信で大喜利対決を挑んだ武智
  84. 毎回、ノンスタ井上の不祥事をはっきり「当て逃げ」と表現するダイアン2人
  85. ミッドナイト焼肉ダンスミュージック
  86. この7年半の間に大ブレークを果たしたおいでやす小田
  87. ヌートリア
  88. 最終回と1個前のディレクションが神がかっていたこと
  89. 最終回と1個前の選曲が神がかっていたところ(ユンコーンの『すばらしい日々』、サザンオールスターズ『旅姿六人衆』、長渕剛『とんぼ』etc)
  90. 憂鬱な月曜が最高に楽しみになったところ
  91. めちゃくちゃ面白いのに局の方針転換で終わるので「伝説の番組」感が強まったところ

『世界で一番ゴッホを描いた男』 “職人”を“芸術家”に変えた「アウラ」の正体

世界で一番ゴッホを描いた男(字幕版)

 

本作は、中国の深圳市近郊の「大芬(ダーフェン)油画村」という、複製画が世界的な産業になっている地が舞台。世界中からのオファーを受けて、画工と呼ばれる職人たちが、世界の名画をせっせと手作りで複製しているのだ。

主人公のチャオ・シャオヨンもその一人。彼は自らの工房に弟子を抱え、毎月数百枚、これまで10万枚以上の複製画を手掛けたという。「世界で一番ゴッホを描いた男」というタイトルはけっして大げさではない。彼は本当に、世界で一番ゴッホの絵画を模倣してきた人物の可能性があるのだ。

名画の複製というとお金になりそうなイメージだが、そうでもなさそうだ。毎月何百枚と複製画を手掛けても、シャオヨンと彼の家族は裕福そうには全然見えない。さしずめそれは、日本でもよく見るような自転車操業の町工場のような風景だ。稼げないのでやめていく職人も多いのだという。

 

そんなシャオヨンには夢があった。自分がこれまで何千、何万と手掛けて、ついには夢にさえ出てくるようになったヴィンセント・ヴァン・ゴッホの母国オランダを訪れ、彼の原画を見ることだ。

いざ、スタッフと共にオランダ・アムステルダムを訪れたシャオヨンは、ショックを受けることになる。もう何年も取り引きしている現地の取り引き先の営むのは、高級な画廊ではなく、粗末な露天だったのだ。

それだけではない。彼がショックを受けたのは、そこで売られていた自らが手掛けた「ゴッホの絵」の価格だ。500ユーロ。それは中国元にして4000元。自分たちが1枚450元で請け負っていた作品は、8倍以上もの価格で売られていたのだ。自分たちの労働は明らかにダンピングされていた。そのこと知ってか知らずか、オランダの取り引き相手は悪びれる様子もない。

ここに、対等な取り引きとはいい難い、アートを通して従属関係を見てしまった気がする。西洋芸術をありがたがって安価で複製することに心血を注いできたシャオヨンたち中国の画工。しかしその逆、つまり、西洋の職人たちが中国美術をありがたがって模倣、複製することはないのだ。

楽しみにしていたオランダ旅行。しかし、このときシャオヨンがタバコを吸いながら、険しい表情で遠い目をするカットが印象的だった。

その夜、シャオヨウが宿泊先でスタッフと交わす会話も印象的だ。俺たちは生計を立てるためだけに絵を描いていると嘆くシャオヨンを、スタッフは、ゴッホだって生前はなかなか評価されず、生きるために描いていたのだとなだめる。つまり、ゴッホも俺たちのような思いはしていたのだ、と。

 

ただ、映画ではこのオランダ旅行での救いも描いている。露天を見た明くる日、美術館でようやく念願のゴッホの原画と対面を果たしたシャオヨンは、「ひまわり」や自画像を食い入るように眺める。20年以上複製し続けてきた彼をして、自分の絵とは「比較にならない」と言わしめたゴッホ。しかし、そう話すシャオヨンの目は、出国前のような光を取り戻したようにさえ思える。

帰国後、ゴッホの原画の凄さを、興奮気味に弟子たちに伝えるシャオヨンの姿があった。それだけではない。シャオヨンは帰国後、複製ではない、自分のオリジナルの作品の制作に取り掛かることを決意する。

いざ、実作に取り掛かった彼の絵が、ゴッホのタッチそのまんまという笑えるような悲しいようなオチもついているのだが…。

それはともかく、本作は、楽しさを知らないままに仕事をしてきた「職人」が、絵を描くことに生きる意味を見出す「芸術家」になるまでのプロセスを描いている。

芸術のげの字も知らないままに業界に入り、複製画の職人として20年間あまり費やしてきた男の生き方を、ひと目見ただけで決定的に変えてしまったゴッホの絵。もしかしたらそれが、ウォルター・ベンヤミンのいうところの、複製ではない本物だけが持つ「アウラ」の正体なのかもしれない。

怖い! ダイアンのよなよなが終わってしまう! 危ない!

 

表題のとおりなのだけど、毎週聴いていたABCラジオ『ダイアンのよなよな…』の最終回があと数時間で始まってしまう。

お笑い芸人のラジオというのは得てして聴取率の低迷で力尽きるのが常だが、今回に関してはABCラジオの月曜から木曜の帯番組『よなよな…』そのものが解体するということで、ダイアンが担当する月曜日=『よな月』も終わってしまうにすぎない。どの番組だって惜しまれながら終わるものだが、『よな月』についてはファンも多かったので、なおさら悔しいところだ。

 

なぜそこまでダイアン、そして『よなよな…』にハマっているのか。周囲の人間に度々聴かれるのだが、こればかりは聴いてみてもらうしかないかもしれない。

鬼越トマホークの坂井良多が以前、TBSラジオの『おぎやはぎのメガネびいき』について褒めるときに、「なんでか理由は分からないけど面白い(大意)」ということを言っていた。少し、dis入っているような気がしないでもないが、これが意外と的を得ている。おぎやはぎのラジオはたしかに、「なぜか分からないけど面白い」のだ。

お笑い芸人のフリートークが主体のラジオというのは得てしてそういうものなのかもしれない。おのおののトークスキルもさることながら、2人が素顔の状態でラジオブースで顔を合わせたその瞬間にしか立ち現れない、唯一無二の空気感があってこそなのだ。そういう意味で、坂井がいうように「なんでか理由は分からないけど面白い」というのは字義通りなのだ。おぎやはぎがラジオブースにそろって入って、話し始めると勝手に面白くなってしまう。それと同じように、ダイアンの2人がラジオブースに入って話すそれだけで勝手に面白くなってしまうのだ。それ以上は、理由を聴くよりまず聴いてみてほしいとしか言えない。

 

あえて、なぜダイアンのラジオにハマったのか、その理由を言語化するとしたら、どんなに装ってもただよう2人の「マイナー」「地味」なイメージが、たまらなく好きなのは一つあると思う。

そもそも、「よなよな…」を聴き始めたのは偶然の出会いに過ぎない。たまたまradikoプレミアムでこの番組を知ったのだ。

ダイアンといえば、『M-1グランプリ』2007、2008大会に出場し、その存在は知っていた。漫才の腕は確かだとはそのときから思っていたが、当時の番組がつけた「お笑い月見草」という二つ名のとおり、そのイメージは同期のキングコングとは真逆の地味でマイナーなものだった。M-1も07・08大会とも優勝でなければビリッケツでもない微妙な順位だったのが、彼らを象徴している。

そんな2人の冠ラジオ? 聴くやつおる? と失礼なことを考えながら聴き始めたのだが、それがあれよあれよという間にハマっていってしまった。

聴いてみて感じたのは、「地味」や「マイナー」であることは必ずしもマイナスではないということ。それそのものが一つの味なのだ。阪神よりはオリックスコロコロコミックではなくコミックボンボンを購読していたぼくが、かまいたちでなくダイアンにハマるのは当然の摂理だった。

 

ダイアンのラジオは、必ず天気や気候の話で番組がスタートする。オッサン2人が天気の話て、なんじゃそれ、需要ねーだろ、と思うなかれ。よな月リスナーは分かっている。そこはアイドリングトークなのだ。そこから、お互いの今週思ったことや起きたことで話がどんどん展開してく。やれ祇園花月の楽屋がどうだったや、ロケでこういうことがあっただ。

2人が「そこまで仲がいいワケではない」というのも、いいのかもしれない。ここ最近は「コンビ仲のよさ」をお笑いファンは求めるものなのかもしれないけど、個人的にはコンビは付かず離れずの状態で、決して共闘せず、お互いのスキをついて詰り合うような関係性の方が好きだ。

 

滋賀からやってきた、大舞台にはからっきし弱い、地味で華のない2人が、2人だけの空間でコソコソと、ボソボソとしゃべっているやり取りがたまらない。ときにこんな話題ではネットニュースにしてもらえないと嘆きながら、いざネットニュースになりそうな話題になるとビビり始める。結局、ネットニュースになったのは数回だった。でもそれがいい。それがダイアンらしさだ。ダイアンの面白さを教えてくれたラジオ、『よなよな…』ラスト1回を心して聴いておきたい。

ダウンタウン絶対王政下のナインティナインと『岸和田少年愚連隊』

ナインティナイン矢部浩之が、15日に放送された『あちこちオードリー』にゲスト出演していた。

毎回、ツボを突きまくる若林の質問力でゲストの本音を引き出しすぎるほど引き出すことに定評のあるこの番組だが、今回は特に『めちゃイケ』世代の視聴者にとって印象深い内容だった。

tver.jp

トークは、ナイナイが全国区でブレークを果たした90年代中期の話題に。当時はダウンタウンが『ガキの使いやあらへんで!』『ごっつええ感じ』で絶対王政を築いた時代で、ナイナイも松本の著書の中で「ダウンタウンのチンカス」発言を食らうなど、“河田町時代(フジテレビがお台場お笑い8年周期説に移転する前)のダウンタウン”の怖さを直に体感していた。

矢部:ダウンタウンの笑い以外、誰も認めてはいけないって時代。芸人ももちろん、スタッフも、世間も。でその後に出てきたナインティナイン。…無理やって!

オードリー:(爆笑)

矢部:しかも真逆の、ボケがとにかく動いて明るい笑い。とにかく真逆をやってたから、そりゃ時間はかかったけど、でも結果よかったかなって思う。

当時はまだ“お笑い8年期説”がリアリティを保ち、幸か不幸かその最右翼として「ポスト・ダウンタウン」に祭り上げられてしまったナインティナイン。大げさでもなんでもなく、四面楚歌だったようだ。当時、先輩たちからのキツめの当たりを「かわいがり」と評した矢部は「本番も本番外も話してもらえないのが当然だった」と振り返る。

 

番組での矢部のトークを聞いていると、当時ナインティナインが主演した井筒和幸監督の映画『岸和田少年愚連隊』(1996)を思い出してしまった。

70年代の大阪・岸和田を舞台に、矢部と岡村が不良中学生(実年齢は当時20代!)を演じている。

映画では、ヒロインのリョーコ(大河内奈々子)のナレーションで、チュンバ(矢部)について「友達は少なく、小鉄とアキラ、それに双子のサンダとガイラだけで、敵は友達の数の10倍以上だった」と紹介される。劇中では、チュンバ小鉄(岡村)がほかの不良グループに何度もリンチされるが、やられたらやり返さないと気がすまない性分の2人は、数に負ける分、奇襲をしかけてやり返していく。

その姿が痛快でもあるのだが、今回の『あちこちオードリー』を観ていると、ナインティナインそのものが、「友達の数の10倍以上」とまではいかないまでも、実はこの映画の状況だったのかもしれない、と思えてくる。公開されたのは1996年。本作に映っているのは、まさに四面楚歌だった時代のナインティナインなのだ。

 

もっとも、矢部と岡村では、状況が少しちがったようだ。

春日:それをどう乗り越えていった(んですか?)

矢部:自分の中で処理していった。コンビでやってるけど、置かれてる立場は違うかったから。岡村隆史が突っ走ったから、あのキャラで。

若林:はいはい

矢部:俺はどっかで「行け! 行け!」って思ってた。

若林:もっと行けと。

矢部:でもどっかで「行きすぎや!」ってなったの。

オードリー:(爆笑)

矢部:(矢部抜きで)成立してるやん!って。

若林:そうか、(岡村さんは)そっちで先輩たちと。そういうときはさびしかったですか?

矢部:さびしいっていうより、なんとかせなあかん(という気持ち)。誰かに相談したり、誰かに頼るんじゃなくて、自分一人でなんとかせなあかん、自分一人で同じところまで行かなあかん

若林:しかも20代前半ですもんね。

矢部:“面白いヤツ”で入ってきたわけじゃないから。面白いヤツを探して入ってきたから。何もないよね俺。

大学進学に向けて浪人中だったサッカー部の先輩・岡村を見出し、矢部がNSCに誘ったことはすでに多くの人が知っている。

天性の華とキャラクターを持った相方を見つけた自負と覚悟。上の世代からの“かわいがり”と、相方とも共有できない苦悩に、人知れず向き合っていたのが矢部というお笑い芸人だった。“やべっちポーカーフェイス”は伊達ではない。

 

『岸和田』には印象的なシーンがいくつもあるが、一つ上げるとすれば、チュンバカオルちゃん小林稔侍)にタイマンを挑むシーンだ。

ヤクザにも恐れられ、だんじり祭りでは機動隊10人ぐらいを束にしてシバいたという、街の白血球の異名をとるチンピラ・カオルちゃん。普段なら当然、小鉄とともにダッシュで逃げていたチュンバなのだが、友人のアキラ(宮川大輔)がカオルちゃんにボコられ、当り屋をやらされそうになっている場面に遭遇する。

カオルちゃんとの遭遇に小鉄がガタガタ震える中、乗っていた軽のワゴンから降るチュンバ。そこからカオルちゃんの方へゆっくり歩いていくときのチュンバ=矢部のめんどくさそうな、でも友達がやられているのを見てしまったからにはやらなしゃーないやろ、という表情がたまらなくいい。結果、奇跡など起こるはずもなく、きっちりカオルちゃんにしばかれるチュンバだったのだが。

チュンバカオルちゃんに挑むように、矢部自身も上の世代からの“かわいがり”に心を折ることなく、しがみついっていったのを知ると、あらためてこの映画を観ながらグッと来てしまう。

 

このあとも矢部は、複数の映画やドラマに出演しているけど、今もベストアクトは『岸和田』のチュンバだと思う。それはほかの役が矢部に合っていなかったからではない。チュンバが矢部に合いすぎたのだ。いや、チュンバは当時の矢部そのものだったのだ。

SNSに書かされる

最近、下記のような騒動があった。

www.nikkansports.com

この作家先生、ツイッターでフォローしていないのだが、毎日毎日誰かがリツイートやいいね!を押すもんだから、たびたび流れてくる。医師らしく内容は感染症に関しての専門的な知見であることも少なくないのだが、一方で、ずいぶん攻撃的な投稿もチラホラあったように思う。

ただ、そういう自分の肌に合わないものも巷に溢れているのを理解しておくという意味で、ミュートもブロックもしないでいたら、知らぬ間に上記のようなことになっていた。ああ、言わんこっちゃない。

そんな中、昨日、おもしろい指摘をツイッターで見かけた。

知念氏のツイートは役立つ話が多かったけど、フォロワーさんの間でも「ここ1年ほどトンデモ医療を批判してるうちに文体が攻撃的になってきた」という話があったんだよな。
今のツイッタランドに最適化すると攻撃的になってしまう、というのを謝罪ツイートスレッドで見事に書き出してる。 >RT

https://twitter.com/mototanaka/status/1435758387266932741

ぼくは、知念さんをフォローしていたわけではないし、こうしたツイートの見立てが正しいのかを判断する材料はない。今からさかのぼっていって考察するほどの気力もない。

しかし、この「発信者がオーディエンスの側の欲望に最適化されていってしまう」という現象は、今の時代、ありがちであるし、それなりに注視すべき現象だとは思うのだ。

 

ここで2016年公開の『アンダーカバー』という映画を紹介したくなった。

アンダーカバー(字幕版)

ハリー・ポッターを演じたダニエル・ラドクリフが主演した本作には、非常に示唆に富む人物が登場してくる。あ、ちなみにポッター以降のラドクリフさんを知らない人に伝えたいのだけど、彼はその後、頭に角が生えてくる男(『ホーンズ 容疑者と告白の角』)とか、両手にハンドガンを縫い付けられたヘナチョコエンジニア(『ガンズ・アキンボ』)とか、屁をこいて海を進む死体(『スイス・アーミー・マン』)だとか、めちゃくちゃ役の幅が広まっているので、ぜひ確認してほしい。

 

閑話休題。ここから、『アンダーカバー』の核心部分一歩手前まであらすじを説明するので、まだ観ていない人はご注意。

ラドクリフが演じるネイトはFBIの捜査官。体力がなく、内勤でテロ対策部門のアナリストとして働いていた彼に、ある事件で白羽の矢が立つ。

それは、過激な発言で人気の保守系ネットラジオのパーソナリティ、ダラス・ウルフという男を捜査する、というもの。なんでも、2万人のリスナーを要すそのおっさんは、ラジオ上で放射性物質が盗まれた事件に触れ、何らかの大きな事件が起きることをほのめかしている、という。

ネイトは上司アンジェラの特命を受け、頭を丸めてネオナチになりきり、ネオナチの団体に接触。団体内で信頼を勝ちとっていく中で、ついにウルフ本人と接触することに成功する。そこで、ウルフに資金提供を見返りに、「計画」を教えてくれと持ちかける。

しかし、ウルフは一向に口を割ろうとしない。それどころか、なにかに気づいたようにネイトの資金援助を断ってしまい、彼を厄介払いする。

ここから意外な展開が待っている。

その後、ウルフはなんと自らFBIに出頭し、ネイトという頭のおかしな活動家に絡まれて困っていると訴えるのだ。尋問に立ったアンジェラが、ラジオでの発言をウルフ本人に聞かせて詰問するも、ウルフは「私はエンターテイナーで、金儲けと楽しみのためにラジオをやっている」と突っぱねる。さらに、「政府や人種戦争なんかにまったく興味はない。彼らの欲求を満たし、尊敬を集めているだけ」と、自らの本心を言い切ってしまう。

ネイトがFBIの資金を費やし、さらに自分の身を危険に晒しながらやっと辿り着いた男は、からっぽだった。文字通り、ただの「メディア」(媒体)だったのだ。

もちろん映画はそこで終わりではなく、ウルフとは別の方向で話が展開していくのだが、今回の話との関連では、このウルフという人物が非常に興味深かった。

ここからは映画では描かれていないことだが、ウルフの過去を想像してみる。もしかしたら彼も、ネットラジオを始めた当初は、もっとニュートラルな発言をしていたかもしれない。たまたま少し右っぽい意見を述べたところ、聴衆にやたらウケてしまい、それで味をしめて、以来過激な発言がエスカレートしていったのではないか。そういう可能性だって考えられなくない。

日本でも、保守系まとめブログやまとめサイト、例えば、■hare News Japanだとか、×守速報といったたぐいも、最初に確固たる思想信条があったわけではなく、PVほしさ、拡散してほしさで最適化していっただけなのかもしれない。意外と「中の人」はノンポリの可能性だってある。いやそっちのほうが怖いかもしれないが。

人間、同じツイートでも、何かしらレスポンスがあった方がうれしいものだ。そうした感情自体は、批判されるようなものではない。何かを発信して、それに対して誰かから反応があるのを楽しいと感じてしまう、それが人間という動物だ。だからこそSNSに馬鹿なことだって書くし、こうしてあてどもなくブログを書きつづるのだ。

読み手に、聞き手に、望まれていることを発信すること。その欲望から逃れることは難しい。

ただ、自覚的であるかどうかで、結果は大きく違う。SNSに書いているのではなく、時に、SNSに“書かされる”こともある。そのことに自覚的であるだけで、何倍も「まし」な結果になる気がする。

 

まあ、何を書いてもほとんどバズったことがないぼくは、今のところ、SNSが書かせてくれたことはないようだが(自虐)。

和牛がM-1を“完全卒業” 前人未到の“3年連続準優勝”というイカつい人生

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和牛がM-1を完全に卒業してしまった。

「完全卒業」というのはなんともおかしな言葉で、実際には2年前の2019年大会後にラジオで「卒業」を宣言していた。

ただ、実際には結成15周年という有資格の期限、いわゆる「ラストイヤー」となる今年のエントリーの締め切りが昨日8月31日だったため、今日までにエントリーが確認とれない現状、本人たちが望んでももう出られないという意味で「完全卒業」となったわけだ。

 

ボケの水田信二とツッコミの川西賢志郎からなる、アクのない、清潔感にあふれた2人組については、もはや説明不要だろう。

M-1においては当初、水田の理詰めなうざい男キャラを全面に押し出した「キャラクター漫才」で頭角を表したが、その後、世界観を広げていき、たった4分という時間の中に、緻密なガラス細工のような漫才を幾重にも生み出していった。

毎度のごとく、驚くべき構成力の漫才を大舞台でほとんどミスすることなく披露し続ける強心臓。そんな彼らについては、いつしか「ネタがすごすぎて笑えない」という、漫才師にとって名誉なのか不名誉なのかもはや分からない言葉が適当になっていったほどだ。

2016年から2018年までのM-1は、和牛を中心に回っていたと言っても過言ではない。どの大会でも優勝候補に数えられており、実際、ネタの構成力で彼らに勝るコンビはいなかったように思える。

しかし、漫才の魅力は構成力だけではない。皮肉なことに、どの年の大会も、和牛とは違った魅力を武器にしたコンビに優勝をかっさらわれ、和牛はあと一歩のところで涙をのんだ。

そんな和牛が昨年、出場しなかった。以前にも書いたが、和牛の不在があったからこそマヂカルラブリーが優勝した昨年の大会は、新たなフェーズに入った気がする。コンビのキャラクター、勢いやパワー、年季の入った味わい、総称すれば「文脈」が求められた大会だったと感じる。

iincho.hatenablog.com

冒頭で「卒業してしまった」と書いたのは、やっぱりそうはいっても「和牛の優勝が見てみたい!」という気持ちがあったからだ。でも、もうそれは叶わない。

かつて、ジャルジャルの福徳秀一が、『M-1グランプリ2017』のオープニングVTRの中で、「『M-1優勝』っていう1ページがあるだけでだいぶイカツイでしょ人生」と言い放ったことがある。もはや国民的イベントに成長した大会について、見事に言い当てた表現だと思った。

しかし屁理屈を承知で言えば、これまでM-1王者が16組誕生しているのに対して、「3年連続準優勝」のコンビは和牛をおいてほかにない。今後もおそらく現れないだろう。「3年連続準優勝」だって、間違いなく「イカツイ人生」なのだ。

空前絶後シルバーコレクター、最強の無冠の帝王が、M-1に別れを告げて、次のステージへ進む。

なぜ幼児2人は死ななければならなかったか 『子宮に沈める』が想像を掻き立てる“余白”

 

子宮に沈める

子宮に沈める

  • 伊澤恵美子
Amazon

2010年に大阪2児餓死事件という痛ましい事件が起きた。 大阪市のシングルマザーが、自宅マンションに3歳長女と1歳長男の2人を2ヵ月弱にわたり放置し、餓死させた事件だ。

本作『子宮に沈める』はこの事件を元にしているが、特色はその「カメラワーク」にある。いや、正確には「ワーク」と言えないかもしれない。というのも、本作のカメラはほとんど動かないのだ。

カメラが切り取るのは全編、2児が餓死する現場となるマンションの部屋の中だ。しかも、考え抜かれたようなカットではない。それはどちらかというと無造作に置かれたようなカット。それはまるで、置いていたビデオカメラの録画ボタンを誤って押してしまい、偶然撮れたような映像の連続なのだ。

映画は、そうした「無造作に切り取られた家庭の風景」の連続だが、もちろん意図されたものである。

映画の冒頭では、愛情あふれる母親が慈しむように2人の子どもを育てているのだが、その愛情が徐々に変容を来していく。その変容の“ヒント”は、常にカメラに映っているのだ。

例えばそれは、フローリングの様子でも分かる。最初は掃除が行き届いていたきれいなフローリングなのだが、母親の精神が乱れていくにつれて、おもちゃやゴミが散見されるようになっていく。それも突然ではない。徐々に徐々に増えていくのだ。母親の精神状態の悪化を表していくように。

映画にナレーションは付かず、劇中にもそうした「変化」に触れる人は誰もいない。唯一、映画をつぶさに観察していた観客だけが気づくことのできるような、些細な変化の連続が、破滅的な結末へとつながっていく。

本作はそうした、観客の「想像」に委ねる箇所が幾重にもある。それがもっとも効果的に使われているのは、母親が子どもたちを見放し出ていこうとするシーンだ。母娘が会話しているのだが、母親の顔は見えない撮り方をしている。それゆえに、母親が、犠牲者となる娘にどんな表情で語りかけているかは、観客の想像に委ねられる。

後半は、年端も行かない子ども2人のみがずっと出演するという、ある意味で異色な映画となっている。何も知らずに取り残され、母親の帰りを待ち望みながら徐々に衰弱していく子どもたちの様子はあまりに痛ましいが、同時にこれって相当大変だったんじゃないだろうか? とも感じ、事実、下記の監督のインタビューを読んでも分かるが、未就学児の「演出」は相当大変だったようだ。 

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泣いても撮影だからと厳しくするしかなくて。途中から子供を虐待してるような気すらして来て。
育児放棄の事件をきっかけに製作を決めて、この作品を観て考えて欲しいと言いながら現場で子供を虐待してたら意味がないし、人に伝わらないですよね

おいおい、という笑えないブラックジョークも飛び出しているが、その介あってか、そうした撮影上の苦難を感じさせない、子どもたちが自然な演技を見せているところも必見だ。