いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

われわれサラリーマンが森保監督から学ぶべき大切なこと

いやはや恐ろしいものを見てしまった。親のセックスとかではない。この約3週間のサッカー日本代表を巡る世論の手のひら返しの連続である。

ドイツに勝ってやれ大金星だのでかしたポイチだの言っていれば、その数日後にはコスタリカに負けて親の敵のようにボロカスに叩き、2度とサッカーボールを蹴るなとばかりにこき下ろす。その数日後にはスペインに逆転勝ちして、コスタリカ戦? なんですかそれ?という具合に盛り上がっていた。クロアチアに負けてようやく国民一億総ジキルとハイドは終わりを遂げたけど、今度は森保監督続投論が盛り上がっている。

よく思い返してほしい。アジア予選で最初にずっこけたときには森保監督について解任論さえ出ていた。なんとか予選突破はしてみたが、それ以降も森保ジャパンへの評価は、ぼくの記憶の限りではずっと低空飛行。本大会の前には一部メディアが「前回のハリルみたいに直前であえて電撃解任すれば劇薬になるのではないか…」というワクワクするようなことを書き立てていた。

短期的にみても、日本国民の森保ジャパンへの評価は手のひら返しの連続だったが、長期的にみても、今まさに手のひらを返そうとしている(いま多分、チョップの状態まできている)。

 

もともと、これまでの日本代表のW杯での成績は、最高順位がベスト16で、今回の目標はそれ以上のベスト8だったはず。付け加えると、スペイン戦後に調子に乗った森保監督が「それ以上」と目標を「上方修正」していたことをこっちは忘れていないぞ。

 

ドイツに勝とうがスペインに勝とうが、今大会はシンプルに「目標未達」だったのであるが、なんか雰囲気的に続投でもいいんじゃない? という空気になっているのが、恐ろしい。

 

…ということをここで書きたいわけではない。ぼくのようにサッカー超にわかで、むしろ、日本代表が早く負けろ、こっちはエムバペとかメッシを静かに楽しみたいんじゃい、とすら思っている不届きな人間がここで語りたいのは、サッカーのことではない。森保監督のことである。煽り抜きで、われわれ、しがないサラリーマンが、森保監督から学ぶべきことがあると思うのだ。それは、「期待なんてさせない方がいいに決まっている」ということである。

 

正直、大会前の森保監督、ひいては森保ジャパンへの期待度の低さは、なかなかのものだった。地を這うようなグラウンダーのクロスばりに、全く上を向く気配がなかった。先述したとおり、「あえての直前解任」とすら一部メディアが囁いていたほどだ。ドイツ、スペインと同組という不運もあっただろうが、森保ジャパンそのものに対して、この4年間ずーっとメディアとファンの期待値は低かったのである。

いま、メディアと世論で続投論が日増しに強まっているのは、この期待値の低さの賜にほかならない。

人は近視眼的にものを見る。相手がハードルを優雅に飛び越えている姿をみたら、「なんかこの人できそうだな」と錯覚してしまうものだ。しかし、実際はそのハードルがめちゃくちゃ低いだけだったりする。つまり、あなたが相手に設けていたハードル(期待)が低かっただけなのだ。

このように、自分へのハードル=期待は高くさせないに越したことはない。われわれも、これを各々の会社でやっていくべきなのではないか。

「こいつ使えない」「こんなに使えないものか」「おい、一体誰がこいつを雇ったんだ(たいてい自分が採用していたりする)」と、自分の期待値を底の底まで下げてそれを保っておく。あまり下げると解雇という名のレッドカードがちらついてくるから危険だが(ぼくもそれで一回退場した)、少なくとも「どーせこいつはできない」と思わせて置くことにこしたことがない。この「どーせ」はすごいカードで、反転すると「やればできるじゃないか」のカードに様変わりする

煽りでも皮肉でもない。われわれ一般の何の才能も地位も名誉もない人間が、森保監督から学ぶべきことがあるとすれば、メモの取り方などではない。現役時代から全く変わる気配のないヘアスタイルでもない。ハードルは必要以上に下げること。そのことにほかならない。