【映画評】悪い男 60点
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2001年公開のキム・ギドク監督作品。先日紹介した『泣く男』は"悪い男"でもあったが、まだいろいろと酌量の余地はあった。一方、本作『悪い男』に出てくる「悪い男」は、わりと容赦なくクズ男認定できてしまうかもしれない。なにせ主人公のヤクザ・ハンギは、一目惚れした女を罠にはめて、風俗に沈めてしまうのだ。
ヒロインの女子大生・ソナは公園のベンチで「西洋美術史」なる本を広げるような絵に描いた清楚系で、この子がある罠にハメられて、借金のかたで体を売ることになる。さらにすごいのは、最初はハンギを憎むソナだったが、紆余曲折を経て2人は寄り添うことになるのだ。悪い奴がいいことをすると過大評価されるということはよく言われるが、本作はそれを通り越している。
なんなんだこの話は、と思うところだが監督はインタビューで、多くの男が好きな女を汚した上で自分のものにするという幻想を抱いている、と発言をしている。本作で、そのファンタジーを具現化したのだ。面白いのは、ハンギを演じたチョ・ジェヒョンは「そんなことはない」と反論している。
顔のないカップル写真の結末など、具象的ながら観念的でいて理解不能な場面も多く、全体として監督の意図が成功しているようには思えないが、興味深いのは、本作『悪い男』が描く「悪」が2種類あるということだ。
1つは、女を罠にはめて風俗に沈めるという道義的な「悪」である。こちらは正真正銘の極悪である。この点について、ぼくもジェヒョンと同じくそんな男がこの世界に多いとは思えない。
だが、ハンギが犯す「悪」はもう1つある。それは、性愛対象に暴力的に迫ることで「相手に自分を好きにさせる」という行為の「悪」だ。
その行為の本質は、実は一般的な恋愛のあり方と何も変わりない。
以前、恋愛の原初には"暴力的な革命"が必要だと書いたことがある。
cf. 愛の告白は必然的に時期尚早である - 倒錯委員長の活動日誌
cf. 欠点がないのにモテない人に足りない能力とは - 倒錯委員長の活動日誌
一度愛の告白をすれば、もはやその前に戻ることはできない。ここでいう「戻ることはできない」とは、告白によって両者の関係がギクシャクすることを指すのではない。ここでのそれは、告白を受けたことで告白された側が「好きになってしまう」事態を指している。
例えば、相手に有無をいわさず襲うレ●プと相手に合意を求める告白は全く異なる行為のように思えるが、実は両者は、細く長い糸によってつながっている。性愛において、暴力性を排除することは不可能なのだ。
恋愛のシーンで多くの草食系男子を尻込みさせるその暴力性こそ、本作が「悪」と名指すものの一つなのではないか。逆にいうと、その暴力性≒悪を含まないかぎり、恋愛など存在し得ないということでもある。
だから、ハンギは擁護しようがないクズ男であるが、その一方で、彼の行為は性愛の本質を含んでいる。
彼が「悪い男」ならば、告白の暴力性から逃避し続ける男たちは「悪を引き受けない男」だといえるのかもしれない。