大阪市立桜宮高校のバスケ部の主将が、顧問教師の体罰後に自殺したことで体罰について賛否両論がおきている。
といっても、体罰反対が圧倒的多数なのだが。
そんななか、産経新聞の編集委員が果敢にもコラムで体罰擁護の論陣を張っていた。
こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130127-00000522-san-soci
して、その条件はいかなるものか。
まず、対象を故意行為に限るべきだということ。故意行為とはわざと行うことである。サボる、ズルをする、卑怯な行為をする。責任を転嫁する、違法、不法行為をする−などである。みなが掃除をしているのにさぼったり、たばこをすったり、万引をしたり、といった行為に対して体罰を行うことは意味がある。
ふむふむ、なるほど、生徒自身、悪いとわかった上で犯した過ちには鉄拳制裁だと。
もうひとつは暴力を振るう生徒に対しての体罰である。学校教育法では体罰が禁止されているため、生徒に暴力を振るわれても、教師は逃げるしか方法がなく、正当防衛行為すらできない。殴られた教師は泣き寝入りである。暴力生徒に対して、殴られる痛みを教えることは必要である。
なるほどなるほど、学校教育法では体罰が禁止され……
ん?ん?ん?
ググってみたら本当だった。
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。(強調引用者)
体罰は法律で禁止されていたのか。
一連の論争を横目にしながら、恥ずかしながらぼくは、てっきりこれって「価値観論争」なのかと思っていたのだが、体罰は違法行為だったのだ。
はなから違法なのだから、ここまで論争が激化している理由がよくわからなくなってくる。このコラムも、堂々と「条件付きで法律を破れ」と言っているようなもんになる。
もっとも、いくら法律で禁じていても、現実に体罰がおきていて、だからこそここまで大きな論争になっているのだ、と言う話なのかもしれない。
それは、イジメ問題と同じだ。イジメはよくない。けど現実にイジメは起きている。
個人的な見解を述べれば、結局もって学校で体罰が起きている問題と、学校でイジメがなくならない問題というのは、同根の原因を持っている気がする。
それは学校の聖域化、ある種の「治外法権」になっているということだ。
他人に暴行を加えた生徒がいれば、さっさと警察に突き出せばいいのであって、そこで一教師が個人の裁量のもと体罰という美名の暴行を加えるから、おかしなことになる。
大津市のイジメ問題で警察の家宅捜査が始まったときにも、官憲の介入だ!と批判的な人がいたが、そこにはやはり、政治的な偏向があると思う。
だって、学校というのは、いずれ市民社会に出て行く人間のための、社会の縮小版みたいなところがある。なにも「学校」は特殊な場所ではない。いや、あってはおかしいはずなのだ。
そういう意味で、違法行為があれば、学校に警察が入ってきてもいいと思うのだ。