いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

200勝がなんぼのもんじゃい

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松坂大輔が引退した。西武ファンではないし、個人的に強い思い入れのある選手でないけど、プロ野球史に残る偉大な選手なのは間違いない。

 

そんな中、気になったことがある。メディアのムードが「悲しい」に寄りすぎていないか? もっと、「お疲れ様」だ「すごい選手だった」というニュアンスがあってもよかったじゃん?

わかるよ。もちろん、そういう「悲しい」のムードは、「名残惜しい」という感情の変奏なのだろう。あるいは、キャリア晩年はずっと怪我との戦いだったということもある。まともにローテーションを守れず、ファンの前でかつての快投を見せられなかった、ということもあるだろう。

 

しかし、このマスコミの「悲しい」というムード全体のなかに、「あの松坂大輔も200勝できなかった」という成分が一滴も含まれていない、といえば嘘になるだろう。みんな、松坂には200勝してほしかった、いや、松坂には200勝させてあげたかった、ぐらいの気持ちだったと思う。

 

200勝。この数字はプロ野球では特別な意味を持つ。名だたる名投手たちが、通算200勝を達成し、万雷の拍手を浴びながら、名球会の証であるあの栄光のブレザーに袖を通してきた。それはプロ野球選手にとって一つの夢だ。

先発投手にとって、名球会入りのために必要なのは「200勝」だ。しかし同時に、野球の投手の「勝ち負け」という成績ほど、不合理な成績もない。先発が5回投げ切らないと勝ち負けはつかないのだが、原理的には、先発がいいピッチングをして折角リードしたままマウンドを降りても、次にピッチャーが打たれたらその勝ちは消える。さらにそこからチームが再逆転すれば、場合によっては「一度逆転された投手」に「勝ち」がつくことさえある。

これは可能性の話ではない。野球ファンならおなじみの現象で今シーズンも幾度となく起きているだろう。1球投げて1アウトを取っただけで勝ちがついた投手がいれば、ノーヒットノーラン完全試合をしても、味方が1点も取ってくれなかったら勝ちがつかなかった投手もいる。ことほどさように、「200勝」というのは、投球の能力以外に、運と悪運に左右されすぎるのだ。そんな「勝ち」の価値とは? 

 

でも、それがプロ野球ファンの心をいつまでも巣くう200勝である。もはや呪いといっていい。松坂自身も、引退会見では、心残りがあるかと聞かれ、東尾修にもらった200勝のボールを返せなかった、と語っていた。松坂がプロ入りしたとき、当時の西武・東尾監督が200勝を挙げたときのボールをもらったため、恩返しで自分も同じ快挙をあげたかった、というわけだ。松坂にも自分のように200勝してほしかったなら東尾さん、もっと丁寧な起用をしてよ、とは思うがそれはともかく、松坂自身が200勝を目標にするというのは、個人の自由だしそれはそれでいい。

 

問題は、ファンまでも「200勝」を一つの到達点だと過剰に意識しすぎることだ。これまで書いてきたとおり、200勝は運の要素が強すぎる。それに、得られるのは名球会というおじいちゃんの会への入会。あんなだせえブレザーをもらって何がうれしいんだ。

松坂大輔は球史に残るスターだ。夏の甲子園での漫画の主人公のような活躍に始まり、プロ野球では人気に火がつく前のパ・リーグを盛り上げた。プロ入り初マウンドで片岡篤史にバットを叩きつけさせた155キロのストレート。イチローとの対戦。中村紀洋タフィ・ローズらパを代表する強打者たちの名勝負。メジャーリーグ移籍、WBC優勝…あげ出したらキリがない。

松坂は大投手であり、そのことはたかが数字などに一ミリも左右されることではないのである。