いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ヒップホップ映画の新たな名作『KNEECAP/ニーキャップ』が秘めた“反暴力”という鉄の意志

ヒップホップ・アーティストの伝記映画と言えば、『8 Mile』や『 ストレイト・アウタ・コンプトン』があるが、現在公開中の『KNEECAP/ニーキャップ』も、その1作に数えられるだろう。この3作は当該のアーティスト本人が出演や裏方として関わっている共通点があるがもう一つ、大きな共通点がある。それは、疑いようなく名作ということだ。

 

ニーキャップはアイルランド出身の3人による2MC+1DJのヒップホップクルーで、この映画の監督のインタビューによると、彼らの母国語アイルランド語で高速に捲し立てるパフォーマンスに衝撃を受け、映画化を決意。本人たちにアプローチしたところ、ドキュメンタリーでなく劇映画なら、ということで自分たちで出演することを快諾したという。

ストーリーは、アイルランド語の教師JJ(MCネーム:DJプロヴィ)が、2人の若者、ニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と、その幼なじみリーアム(MCネーム:モ・カラ)がラップのリリックをしたためたノートを発見するところから始まる。自身でトラックを作るJJは、アイルランド語という動物園に囚われた絶滅危惧種ドードーを、君たちのラップで社会に解き放て! と説得。イマイチ、ピンと来ていない2人を強引に巻き込み、かくして3人はニーキャップというグループを結成することになる。

 

日本に生まれ、母国語の日本語という強固な言語共同体に守られていると気づきにくいが、アイルランドではほとんどの国民が普段は英語を使い、少し前までアイルランド語は危機にひんしていたという。

今ではアイルランド語は義務教育化されているというが、義務教育化されてまなぶのと、普及するのとには、実は千里の逕庭がある。我々も古文は学ぶが、日常的にカ行変格活用を使うことなどないだろう。それと同じだ。

特に、若者の間で「流行る」ということは、何かにつけて「かっこいい」「かわいい」の要素がなくてはならない。そしてそれは、まさにニーキャップはうってつけと言えるだろう。彼らの楽曲はトラックもカッコいいが、なによりも時折英語をまじりのアイルランド語の高速ラップはめちゃくちゃカッコいい。

 

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そして彼らを通して、英語ともドイツ語とも、フランス語、中国語や韓国語、ましてや日本語とも違うアイルランド語の魅力に気付かされる。

映画では、そんなふうに危機に瀕した母国語を、かっちょいいトラックとリリックに乗せて解き放つニーキャップが若者たちを魅了(もちろん、劇中のパフォーマンスは実際のニーキャップの楽曲だ)し、絶滅の危機にあったアイルランド語を見事救った、めでたしめでたし、ちゃんちゃん、で終わるかといえば、そうではない。本作の魅力はそれだけにとどまらない。

「もう暴力には訴えない」というアンチテーゼ

それは冒頭の部分で明示される。ニーキャップの故郷はベルファストで、映画もベルファストが舞台だ。

その時点で我々映画ファンなんかは

 

ベルファスト(字幕版)

こういう映画や、

Shadow Dancer / L'Espionne de l'ombre (Bilingual)

こういう映画が脳内のおすすめ一覧に浮上してしまいがち。それでなくても、歴史好きなら分かる通り、ベルファストとはアイルランドと、侵略者イングランドとの闘争のメッカなのだ。だから、「ベルファスト」と聞けば、血と暴力の歴史を連想しがちで、ともすれば本作もその系統かと思われがちだ。

 

しかし、まるで観客のそうした思い込みを先回りするかのように、映画は冒頭でリーアムのナレーションにより、ベルファストでのテロ映像に被せる形で「こういう始まり方は辞めたいと思う」とそうしたイメージを拒絶する。

本作に通奏提案するのは、そうした暴力に訴えてきた旧世代に、新世代が突きつけるアンチテーゼだ。

 

旧世代を象徴するのは、マイケル・ファスベンダー演じるのニーシャの父で、伝説的な活動家アーロ。彼は公的には死んだことになっているが、実は地下に潜伏し、時折息子ニーシャとも会いながら、独立運動を細々と続けている。本作でめちゃくちゃ印象的な存在感を放ち、観客誰もが魅了されることだろう。

そんなアーロは、息子たちニーキャップの活動に最初は否定的だ。しかし彼らのライブを訪れ、息子たちのアイルランド語がオーディエンスを魅了していることを見届けると、嬉しいような寂しいような複雑な表情を浮かべてその場を後にする。ニーシャとリーアムは、彼らがまだ幼かった頃、アーロが伝えていた「アイルランド語は“弾丸”だ」という言葉を、ヒップホップを通して実践していたのだ。

その直後、ニーシャは対立グループに捉えられ、絶体絶命のピンチを迎える。そこにアーロがどこからともなくさっそうと現れると、息子のピンチを銃という暴力によって解決し、そのまま、何十年もの時を経て警察に出頭してしまうのだった。

なぜ、彼が出頭したのかは、ここまで読んでくれた人には分かるだろう。もう自分の歴史的な役目は終わった。正確に言えば、その役目は、正しく息子たちによって引き継がれた。そのことをアーロは悟ったのだろう。

 

連行された彼を警察署で迎えるのは、彼を終生の敵として負い続けてきたエリス刑事(ジョージー・ウォーカー)だ。彼女は彼女で、連行してきたリーアムに対して、明らかにやりすぎ、違法と言える暴力によって尋問をし、同僚たちに止められた直後だった。

どちらも暴力でことを強引に進めていた追う者と追われる者が、何十年の時をへて対面するのだが、アーロもエリスも、どちらもどこかバツが悪そうにうつむきがちな2ショットが一瞬差し込まれる。それはなぜか、どちらも、暴力によってことを解決した直後だから、と言えるのではないだろうか。立場が異なる旧世代の2人が、自身の過ちを恥じ入っているかのようにも見える。

 

ニーキャップというヒップホップグループ、そしてアイルランド語の魅力を存分に伝える映画『KNEECAP/ニーキャップ』。オフビートでファンキー、コミカルなルックとは裏腹に、その核には、俺達世代はもう暴力に頼らない、言葉と音楽で勝負する、という反暴力の強いメッセージが隠されている。