いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

“子ども向け映画”の枠をぶち破り現代社会に接続する『クレヨンしんちゃん』

今さら感がすぎるのだが、先日、『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』を観てきた。

映画クレヨンしんちゃん 謎メキ! 花の天カス学園 (双葉社ジュニア文庫)

延期されていた劇場公開が7月30日からで、10月のこの時期にまだ上映されているということが物語っているとおり、名作だった。

全寮制のエリート校「私立天下統一カスカベ学園」に1週間の体験入学で訪れたしんのすけらかすかべ防衛隊。そこで彼らは、ある事件に巻き込まれる。

「本格(風)学園ミステリー」と銘打っているとおり、かわいげのある内容ながら、きちんと謎とある程度は納得できる真相、犯人が用意されている誠実な作りなのだが、なにより、子どもも大人も楽しめる2層構造になっているのが驚くべきところ。

おそらく子どもが観ても「誰が犯人か? どうやって?」という興味で前のめりになっていくようになっているが、いくぶん見方の解像度が上がる大人には、もっと深くて重くて感動を呼ぶ別の要素が用意されている。

 

唸ったのは、自由気ままなしんちゃんとは水と油の関係である、エリート志向の風間くんの関係性だ。

本作では、クライマックスで風間くんが“スーパーエリート”という全知全能の存在になり、それまでなんだかんだで仲の良かったしんちゃんらかすかべ防衛隊の仲間たちを見捨てようとする。

しかしこれは、ふとした思いつきで描かれるような奇想天外な筋書きでもない。「もしも、しんちゃんと風間くんを幼稚園を卒園したら…」という先に待っている暗い未来を思い起こさせる展開なのだ。

思えば幼稚園というのは、家柄、所得階層、偏差値というステータスから子どもたちが守られた最後のユートピアだ。そこを分岐点に「エリート」と「庶民」のライフコースは袂を分かち、成人する頃にはとてつもない「格差」となっている(もっとも幼稚園からのお受験組からしたら、「分断」はすでに幼稚園から始まっているとすらいえるが)。本来、かすかべ防衛隊は卒園と同時に“解散”する。それは避けられないことなのだ。

 

しんちゃんたちはその“解散”を食い止めようと奮闘する。でもそれは、単に風間くんという仲間を取り戻し、仲直りしようとする健気な姿だけにはもう映らない。

しんちゃんたちの姿は、大人の鑑賞者にはそこから嫌が応にも広がることが決定的な「分断」をなんとか阻止しようとしている姿に見えてきてしまう。もちろんしんちゃんたちはそんなことを知らない。「分断」や「多様性」や「ダイバーシティ」なんて言葉を使うこまっしゃくれたガキではない。子どもの鑑賞者がミステリー要素で惹きつけるのとは別に、大人の鑑賞者はしんちゃんら子どもたちに、「あり得たはずの自分」を見てしまう。だから感動的なのだ。

 

本作の驚くべきところは、自由気ままなしんちゃんと、エリート志向が強い風間くんという、もはや20年を超える“コンビ芸”をさらにハックしたところである。おぼん・こぼんほどではないが、十分マンネリになっておかしくない“コンビ芸”のはずが、そこを掘り下げ、現代社会の生々しい問題へと接続してみせた。

クライマックスで、元に戻った風間くんから「何考えてるんだお前」と投げかけられたしんちゃんが「日本の未来」と返答してみせる。“親ガチャ”や“分断”というワードで説明付けられてしまう今の時代だ。しんちゃんの言葉が本作を言い表しているとすれば、あながち間違っていないかもしれない。