おとといの徹子の部屋はお笑いコンビバナナマンだった。お笑い畑の人間にとって徹子の部屋、というか徹子とのトークセッションというのが、芸能界における人気者の「登竜門」であると同時に、お笑い芸人にとっては徹子がトークのプロトコルが通じない相手であるため、一つの「関門」になっているというのは、もはや周知の事実だ*1。
芸人がこの番組に出たときの、あの表現しがたい独特の感覚を、視聴者とゲストが共有していると思う。通な人間は、徹子と交わされる会話内容よりも、その独特の雰囲気に、雅を感じるものだ。
旅で見知らぬ土地を訪れたときのようなあの疎外感、そしてそれは苦痛でありながら、微量の楽しさも含んでいる。表現しがたいのであるが徹子の部屋とは、いわば普段会わない「親戚の家」であり、そこに住む徹子とは、普段会わない「親戚のおばちゃん」なのである。
みなさんは子供の頃、年に数回、いやもしかすると数年に一回しか会わなかった親戚、とくに年配の親戚に会ったときの気まずさを憶えているだろうか。そこには、普段会わない彼らと何を話していいかわからないというのもがあるが、その一番の理由は「トークのプロトコル」が相手に通じなかった、ということではないだろうか。気の置けない仲間との間で成立していた会話が成立しない。しかもその「会話が成立していないこと」も、相手のおばちゃんは全然気づいていないのだ。僕が子供の頃は、その「成立していないこと」にある程度の気まずさを憶えながらも、ちゃっかりそれをすぐ下にいる弟と影でくすくす笑いながら共有しては、面白がっていたという記憶がある。
僕が弟と共有して面白がっていた「あの感覚」と、徹子の部屋にお笑いコンビが出てきた時の感覚は似ているのである。ゲストの芸人も視ている僕らも、徹子に面と向かって「話通じねぇ!」とは口が裂けても言えはしない。でもそれと同時に、その感覚を徹子に隠れて内緒で楽しむ余白が、あの番組には残されている。
僕ら視聴者は、徹子の部屋を「徹子の側」からは見ない。何年、何十年経っても、あくまで視る者は、徹子の部屋にやってきたゲストの側から徹子を視る。徹子は、僕が物心つく頃には「世界不思議発見!」の回答者席に座していた。あれだけ長いテレビ出演の経験がありながら、今なおテレビの中の「トークのプロトコル」に染まらないというのは、驚異に値しないだろうか。いつまで経っても徹子は「あのお馴染みの」にはならない。いつまで経っても徹子は謎めいている。
あっ、ページのデザインを変えましたので、ご報告を。
*1:雨上がり宮迫の鉄板ネタ「嫁のヤクルト」のオチを、喋る前にばらされたことなど