除夜の鐘が周辺住民のクレームによって取りやめになっているというニュースが、ここ数年は毎年のように年末のSNS上で物議を醸している。個人的には、除夜の鐘なんて「年末感を高めるためのSE」みたいなもんだし、今の家からは鐘が聞こえないので聞こえるのが羨ましいぐらいだが、「年末感を高めるためのSE」という理解を共有していない人が増えたのかもしれない。
ま、それはともかく、少なくとも「除夜の鐘」よりも迷惑な音があるのである。映画館でのポップコーンである。
またその話か、とブラウザを閉じかけたあなた、ちょっと待ってほしい。たしかにぼくは一昨年、こんなブログを書いた。
こちら、映画館は咀嚼音がするポップコーンより、綿菓子を売ったほうがいい、ということを真面目に解説した記事なのだが、BLOGOS経由でかなりの数の読者から「お前は頭がおかしい」「病院行け」などと罵詈雑言を浴びたのであった。
あの強烈な反応には驚かされた。それだけ「映画館ではポップコーン!」の信仰が根強いのだろう。
あれ以来、ぼくもポップコーン客(普段はポップコーンなんて一口も食べないのに、映画館ではパブロフの犬のごとく雰囲気で買って食べる人々の総称)への態度を少し軟化させた。ポップコーンぐらい食べさせてあげようよ、映画鑑賞の醍醐味じゃんか、と思うようになった。
しかし、ある日、ポップコーンの音にまつわる新事実に気づいてしまったのだ。
以下、その新事実に気づいたときの再現である。
<劇場にて>
ポップコーン客「ポリポリポリ(咀嚼音)」
ぼく(あ、隣の人、ポップコーン客だ。嫌だなあ。でも、劇場が売ってるんだもんな。ガマンしよ…)
ポップコーン客「…ガサガサガサガサ」
ぼく(!?!?!?!?)
ポップコーン客「ポリポリポリ(咀嚼音)」
ぼく(あ、咀嚼音は意外とちっさいな)
ポップコーン客「…ガサガサガサガサ」
ぼく(!?!?!?!?!?!?!?!?)
…お分かりいただけただろうか。
それまで、ポップコーン客がうるさい=咀嚼音だとばかり思っていた。でも実際、多くのポップコーン客の咀嚼音は大したことないのである。聞き流せる程度の音量だ。
問題は、上記の再現での「ガサガサガサ」の部分である。これは何かというと、「ポップコーンを“抽選”している音」だ。
ポップコーンの「抽選」と聞いてもピンとこない人がいるだろう。
ここでいう「抽選」とは、ポップコーンが入ったバケツの中に手を突っ込み、まるで抽選するかのごとく手でポップコーンをこねくり回し、一つまみしていく動作である。ポップコーンについては咀嚼音より、この「抽選」の音のほうがはるかにデカいことに最近気づいたのだ。
咀嚼音なら許せるが、「抽選」はガマンしがたい。
なぜなら、咀嚼音は人がものを食べるときに出てしまう必要悪だが、「抽選」は徹頭徹尾、無意味だからだ。ただただ、意味のない騒音としか言えない。やめてほしい。
こんなことは説明するまでもないが、ポップコーンは福引きではない。当たりのポップコーンがなければ、ハズレのポップコーンもない。もしも「いいポップコーン」と「悪いポップコーン」があったとしても、上映中の暗闇では見抜けないだろう。そして、今の「抽選」で弾いたコーンも、いつかは「抽選」する人の胃袋に収まるだろう。基本的には食べ終わるまで「抽選」は続くのであるから。
ちょうど昨日も、『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』を観に行ったら、1回の「抽選」がずいぶん長い客が隣に座ってしまい、辛かった。「その福引き、1等はハワイ旅行か何かですか?」と聞きたくなるぐらい、毎回毎回「ガサガサガサガサ」とポップコーンを「抽選」していた。ああいう人は、騒音に対しての意識が人より低いのかもしれない。
反対に、理想的なポップコーンのとり方は、バケツからダイレクトでコーン一つをつまみ、口まで持っていくことだろう。ほとんど音がしない。これはそんなに難しくないことはぼく自身も家で実証済である。
模範とすべきは、水中の魚を一瞬で捕らえる鳥の動きである。ぜひ、全国1億人のポップコーン客には参考にしてもらいたい。うるさい「抽選」など不要なのだ。
この話は、今までも友人知人には何度か話したことがあるが、にわかに信じがたい、という反応しか返ってこなかった。
これを読んだ人はぜひ次に劇場に行ったときには確かめてみてほしい。ポップコーンがうるさいのは咀嚼音ではなく、「抽選」なのだ。