「哲学的」という言葉に背中が痒くなることがあります。
先日も、テレビをながら視聴しているときに誰かが、込み入った話を聞いて「ほう、哲学的ですね〜」としみじみ言っているのが耳に入り、うわってなりました。どうもああいうときに使われる「哲学的」にはモヤっとさせられるのです。
「哲学的」というときのそれは、ギリシャ哲学に端を発する例の高尚な一連の営みではありません。かといって、あぶらぎった経営者おじさんが話す自慢話をさして言う「経営"哲学"」というときのそれほどに低俗なものでもない。「哲学的ですね」と言うときの「哲学」はその中間に位置します。
別に、背表紙が青い岩波文庫をたくさん読んできたと自慢がしたいわけではないのですが、たぶん、ちょっとでも思想や哲学をかじった人はそういうときに「哲学的」って使わないと思うんですよ。それがどれだけ乱暴なくくり方が感覚的にわかっているから。「哲学的」というだけ、本物の哲学から離れていってしまいそうな気がします。それはまるで閉店セールを謳えば謳うほど、本当の閉店から遠のいてしまうかのように。
だからといって「哲学的」という人に悪意はないと思うのです。それは対象への純粋な敬意を表明しているのでしょう。でも、そこにどこか距離があると思うんですよね。モヤっとするのは多分そこに対してです。
「哲学的」と評するとき、そこにはたぶん「あ、すいません、私にはよくわからないんすけど、すごい難しいこと考えてらっしゃるんですね」というニュアンスがある。「哲学的」とまとめられたことに背中がかゆくなってくるのは、おそらく、ニュアンスレベルで「すごく難しいこと考えてらっしゃるんですね」と褒められたことに対しての負い目というか、申し訳なさだと思うのです。
- 作者: アリストテレス,高田三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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