小学4年生が作ったとして話題になっていた、衆院解散の是非を問うサイト「どうして解散するんですか?」。
何だかみんなたくさん勘違いしているみたいだね。
NPOなんちゃらとか民主党とかが関わってるって言われているみたいだけどこれって全部僕たちが聞きたくてはじめたんだよ。みんな小学生がこんなこと出来る訳ないって思ってると思うけど全部僕たちの力だよ。僕たちはただ聞きたいんだ。みんなの答え
— どうして解散するんですか? (@why_kaisan) 2014, 11月 22
類似ドメインから足がつき、関与が疑われていた現役大学生のNPO代表が、ついに真相を白状し、謝罪に追い込まれた。
ことの顛末については、こちらのスポニチの記事がスッキリまとまっているのでご一読。
「小4が作った」は嘘 解散問うサイト炎上でNPO団体代表が謝罪― スポニチ Sponichi Annex 芸能
真相の発覚で様々な人が様々なコメントを寄せているが、ぼくが興味を持ったのは「なぜこの大学生は子どもを騙ったのだろう」ということだ。
とくにこの人物、大学生にしてNPO代表を務め、政治家ともコンタクトをとっているという。普通の大学生ではない「ハイパー大学生」として一部では有名な人だったらしい。
であるならなおさら、わざわざ小学4年生などと偽る必要などなく、彼自身の名義でサイトを立ち上げ、主張すればよかったのではないか。
その謎の真相は、彼が「ハイパー大学生」として祭り上げられたプロセスと、切っても切れない関係にあるのではないだろうか。
彼のように、中学生や高校生、大学生という立場のうちに同世代ではありえない活躍をする「スゴい若者」は一定数いて、メディアも盛んに彼らをとり上げる。
「スゴい若者」の祭り上げられ方は独特で、「若い立場で行動を起こすのには何かと困難が付きまとうだろうに」とメディアの側が好々爺のごとくその苦労を配慮し、「まだ◯◯歳なのに」という年齢の条件がつけた上で評価するのだ。
つまり彼らにとって「若い」という事実は、なにか行動を起こす際の「障壁」になりえるが同時に「武器」にもなっている。
今回の学生について、おそらく同世代の平均よりは賢いはずで、いま自分たちを評価しているこの「ゲームのルール」を直感的に理解したはずだ。自分が評価される背景には、「やっていること」そのものへの評価に加えて「年齢が若い」という要素が含まれているのだ、と。
ここまで書けば気づく読者もいるだろう。短絡的に「今」評価されたいならば、「やっていること」をより優れたものに高めていくより、「年齢」を若く偽ることの方が手っ取り早いのだ。
そうつまり、今回の「ハイパー大学生が小学生を偽る」という奇妙な現象は、彼を今まで祭り上げてきた「ゲームのルール」の応用にすぎない、ということだ。
今回の騒動について残念なのは、当の「スゴい若者」である彼が「自分に対する大人たちの評価」の本質を理解していなかったということだ。
彼が評価されているのは、一体何なのか。もちろん、一つには彼の「今」がある。政治家に声をかけられる高校生が、どれだけいるだろうか。「今」の彼も、一定の評価はされてしかるべきものだ。
だが、そんなものは年齢を重ねるうちに目減りしていく「スゴさ」にすぎない。
彼への評価の本質は「今」にはない。その本質は「今もすでにこんなにスゴいのだから、将来どこまでスゴくなるのだろうか」という「将来性も込みでの評価」なのだ。そしておそらく、「どこまでもスゴくなった」先で初めて、人は年齢と関係なく彼を賞賛するのだ。
ここで、元プロ野球選手の清原和博を例として出したい(若い読者には古い例えで申し訳ない。筆者がオジサンになりかけの29歳なのだ)。
彼はプロ1年目の19歳で、3割30本というとんでもない成績をたたき出した。当時、彼の活躍にわいたファンの気持ちを想像すると、「19歳なのに」という「今」そのものについての賞賛はもちろんだが、同時に「19歳ですでにこんなにすごい成績を残すなら、全盛期にはいったいどんな成績を残すのだろうか」という末恐ろしい将来性への期待があったはずなのだ。その後の彼のキャリアをみれば、その期待に完璧に応えられたとはいえないけれど。
今回この大学生が年齢を若く偽り、不当に評価を得ようとしたことからわかるのは、彼が「今」の評価に固執してしまった、ということだ。「今」すぐに評価されるために、「やっていること」を時間をかけて高めようとするのでなく、年齢を下げるという裏技に出てしまった。
正直な話、件のサイトについて、いまどきの大学生なら「やってもおかしくない」の範疇を出ないし、きわめて凡庸にしか見えない。話題を集めたのはまぎれもなく、「小学生なのに」という下駄を履かされたことによるものだ。
皮肉なことに、今回の一件をきっかけに、彼に向けられる視線はこれまでと打って変わって厳しいものになるだろう。
それは、これまでとは全く逆の世界だ。「若者なのにスゴい」という期待の眼差しは、「こいつは例のアレだ」という不信の視線に一変し、普通の若者ならば評価されるような行動も、不当に低い扱いを受ける恐れだってある。
けれど、裏を返せばそれは「やっていること」を文句なしに評価されるまでに高めるチャンスでもある。これをきっかけに、ひん死を味わったサイヤ人が強くなるかのごとく(例えが相変わらず古い)、よりハイパーな学生として甦ってほしいところなのだが……。