いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

老害がスマートに表舞台を去っていく方法――「キングダム」から考える

いつの世にも「懐古厨」「老害」というのはいるものです。だいたいこのふたつは"併発"しており、そういう人は酒席などで遠い目をしながら、あのころはよかっただのお前らなんてまだまだだのといって、AVのジャケットみたいに修正がバリバリかかった「黄金時代」を酒の肴にして、同席した若者たちを鬱屈とした気持ちにさせるのです。


そんな「懐古厨」「老害」について考えさせられるマンガを最近読みました。相変わらずハマっている『キングダム』です。いま27巻まで読み終えましたが、「自分の時代」の終わり方を考えさせられる場面がありました。


21巻から、魏の将軍として登場するのが廉頗(れんぱ)。彼は、東方へと領土拡大を狙う主人公・信の属する秦に対して、実質的な魏の大将として立ちふさがります。この廉頗が、まあなんとも豪快なジイさんなのですが、老齢の彼がどうしていまさら戦地に帰ってきたのか。実はその背景には、あるカリスマ的な武人の戦死があります。

まだ読んでいない人には軽いネタバレになりますので、一応イニシャルで書きますが、その人物は秦国の伝説的な武人、O騎です。


「キングダム」は始皇帝が誕生するまでを描くいわば「始皇帝前史」ですが、その前の時代であたる「中国戦国時代」の思い出をふんだんに盛り込まれています。
そしてこの作品での「中国戦国時代」は、O騎ら各国の伝説的武人が中国全土で名を轟かせた輝かしい時代であり、「キングダム」が描く時制は"その後"です。廉頗はそんな「黄金の時代」に活躍した武将のひとり。

O騎は死してなお、登場人物たちに影響力を与え続けます。廉頗を戦地へと突き動かしたのも、まさに彼の死です。敵ながらその力を認めていたO騎――「黄金の時代」を象徴する彼があっけなく死んでしまった。廉頗を動かしたのは、自分の時代、自分の世代がなんとなく風化していくことへのイラ立ち、そして、自分の時代が終わっていくことにどうやって踏ん切りをつけていいかわからないことへのイラ立ちのように思えます。

そんな彼には、「黄金の時代」も知らずにのうのうと生き長らえる若武者たちが、みな自分の時代を脅かすものに見えてしまうのでしょう。信ら若者の前に立ちふさがる廉頗は、自分の過ごした「黄金の時代」への未練を引きずり、自分の引き際が作れなくなっている老害の姿そのものです。


これはどの分野、どのジャンルにもありえることです。自分が過ごしたのが「黄金の時代」であったばっかりに、それを知らない若者をみてはその欠点をあげつらい、チクチクやってしまう人。彼らは彼らなりに、自分たちの時代が素晴らしかったことを確かめたいのでしょうが、そのストレスを若者にぶつけ、しまいには煙たがられていく。その姿は醜いとしか言いようがありません。


では、そんな「老害」が自分の時代の終焉と折り合いをつけ、スマートに表舞台から去っていくのにはどうすればいいのでしょう。

そのヒントをくれる人物も、「キングダム」にはいます。それは、廉頗率いる魏軍と相まみえた秦国大将軍、蒙驁(もうごう)です。


廉頗やO騎が活躍していた「黄金の時代」を、あまり評価されることなく過ごした武将もいます。蒙驁はそんな凡庸な将軍のひとりです。彼は「黄金の時代」からすこし距離があったからこそ、事態を冷静に見つめることができる。

戦場で廉頗と対峙した際、蒙驁は往生際の悪い彼を「時代は確実に 次の舞台へと 向かっておるのじゃ」「決してあの時代を 色あせさせる ものではない!!」と叱り飛ばします。


そう、彼は、廉頗が「黄金の時代」の風化を恐れ、戦場に舞い戻ったことを見抜いているのです。

そしてここで、廉頗は、生前のO騎に「あの時代は もうあれで 完成しているのですから」と諭されたことを思い出す。


あのO騎の言葉っていうのはあるんですけど、時代に対して「完成」という言葉を使うところに膝を打つ思いがしました。そうなんですよ。「完成」したと考えると「自分の時代」が過去になっていくことも受け入れられるような気がする。「完成」って考えると「自分の時代」に踏ん切りをつけて「そのあと」を生きれるような気がしてくるわけです。

そう考えると、「完成品」に変なおひれをつけて吹聴しようとすることは、「蛇足」になると考えられます。「完成品」はもうそれ以上手を加える必要がないから「完成品」なのですから。


そして「キングダム」は、若者の側に対しても、補正が効いた思い出を振りかざす老害への対処法を授けます。

戦の雌雄が決したあと、「天下の大将軍」を目指す信に対して、廉頗は「貴様は儂らを 追い抜くことも 肩を並べることも できはしない」と宣告します。

それは、廉頗がまだ意地を張っているとかそういう話でなく、彼なりの理屈があります。「黄金の時代」が「もはや陰ることなき伝説」となってしまったがゆえに、後続世代がいかに頑張ろうと「"彼らがもしこの時代にいたならば"」という夢想が、どうしても頭をもたげてしまう。歴史の聖域に守られた「黄金の時代」は、もはや「追い抜くことも 肩を並べることも」証明できない、というのです。


しかし、そういう廉頗も、「じゃが 実は一つだけ 儂らを抜く方法が存在する」と信に策を授ける。それが、「黄金の時代」の人々も「成し得なかった大業」を成し遂げることです。


老害が思い出を補正しても届かないような「史上初」となる実績を成し遂げる。言うは易しではありますが、それこそが老害に安らかに眠ってもらうための鎮魂歌になるのだと思います。