いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

"アイドルを推す"ってそういうことなの?


「1000年に1人のアイドル」「天使すぎるアイドル」などと謳われるRev.from DVLのメンバー、橋本環奈に関する半年以上前の記事を、今日たまたま目にしました。

「1000年に1人のアイドル」といわれ、大ブレークした橋本環奈(16)に対し、テレビ局側が積極的にオファーをかけづらい状況にあるという。そのワケは、独り歩きした“キャッチフレーズ”の「1000年」という数字にある。最大級の賛辞にも聞こえるが、このフレーズに足を引っ張られている、なんとも気の毒な実情が浮かび上がった。

橋本環奈 気の毒な「他アイドルと共演NG」の実情

記事は、橋本が「1000年に1人」ということは、彼女と同世代のほかのアイドルが必然的に「橋本よりも下」になると指摘。

そのため、テレビ局側が彼女とほかのアイドルを共演させることをためらい、また他のアイドルのマネージャーからも、橋本との共演をさせたがらないという「証言」があると伝え、このままでは彼女がほかのアイドルから「共演NG」をつきつけられるのではないか、と案じる内容です。


実際に橋本が当時そんな冷遇を受けていたのかは不明ですし(ソース東スポ)、ぼく自身、アイドルにまっっっっっっったくといっていいほど詳しくない門外漢ですが、ひとつ疑問に思うことがあります。


それは、この記事において橋本と他のアイドルが共演することを恐れる、いわば「大人」たちの心理です。彼ら彼女らは、いったい何を怖がっているのでしょうか? 


「大人」たちが何を怖がっているのか。考えられるのは、橋本と共演することによって他のアイドルがいわゆるネット的な意味での「公開処刑」を受け、人気を落としてしまうことです。


でも、それは本当なのでしょうか? 「推しメン」のビジュアルがほかより劣っているということで、ファンは離れていってしまうのか。これは「アイドルを推す」ことを原理的に考えることでもあります。

「アイドルを推す」とは、一体どういうことなのでしょう? それは、誰か特定のアイドルだけを贔屓して応援することです。

では、その「誰か」を決める要因は何なのでしょう。なにかひとつには断定できないでしょうが、おそらくそこには「恋をする」ことに似た、理性とは呼べない感情が作用しているはずです。


誰か特定の人を好きになると、「この人しかいない」という狂気に似た錯覚をともなうものです。ぼくは、「推し」というのがそういうものなんだと解釈しています。
そして「蓼食う虫も好き好き」というように、人を好きになる要因は人それぞれで、客観的なビジュアルだけではない。だからこそ、世の中にこんなに多くのアイドルが氾濫できるわけです。


橋本環奈については、そこらのアイドルが吹っ飛んでしまうぐらい群を抜いて可愛いことは認めます。別にぼくは、何の権威でもありませんが。

もし、アイドルの人気が「美人コンテスト」のように外見だけで決まるならば、彼女はもう天下を獲っていたでしょう。

けれど、現在のところ彼女が――もちろん「人気アイドル」のひとりには数えられるでしょうが――アイドルとして天下を獲ったという話はついぞ聞こえてこない。それは、アイドルの人気が、ビジュアルとは違った側面も作用していることに他なりません。


もしかしたら、自分の推しメンが橋本と共演して「公開処刑」されることさえも、ファンは「オカズ」(精神的に、です)にできるかもしれない。恋愛って、相手のダメなところを見てよけいに深みにハマっていくこともあるでしょ。

ぼくには、そのように単なるビジュアルだけで決まらない「アイドルを推す」という多様な営みが、他人ごとながら好ましく思えるとき"も"あります。ただ、擬似的な恋愛感情を大量に誘発させるわけですから、そこで生じる問題もあるでしょうが、それはまた、別のお話。