いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

加藤良三氏はなぜ「知らなかった」で許されると思ったのか?

なぜ「全く知らなかった」と言えば許されると思ったのか。そしてなぜ、部下がやったことを「知らなかった」と言うことに恥ずかしさを感じないのか。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/headlines/article/20130612-00000147-jij

これについて、加藤氏の部下に当たる下田事務局長が前日11日の「コミッショナーと相談して進めた」との発言を、同日深夜に「混乱していた」として撤回。コミッショナーには報告を入れず、事を進めていたという方向に軌道修正している。
知らない、辞めない!加藤コミッショナー“ウソ統一球”謝罪だけ― スポニチ Sponichi Annex 野球

この下田氏の「混乱」は、噓の上塗りではないかとすでにネットで散々話題にされている。果たして、加藤氏が知らなかったのは本当なのか、噓なのか?

個人的には、五分五分の気がする。たとえ本当は相談していなかったとしても、コミッショナーをかばって、あるいは自分の責任問題になることを恐れて「相談した」と噓をつく可能性もないことはない。もっともそうなってくると、部下にダマされた上で「プロなのでアジャストしていっているのでは」と訳知り顔で発言していた加藤氏がとんだ赤っ恥をかくことになるが。
どちらにせよ、信頼が地下のマントルにまで埋もれた今のNPB内部の人間が何を言っても、信じてくれる人は少ないだろう。結局は最初の時点(ミズノのボールに欠陥品があったことが発覚した時点)ですべてを正直に公表しなかったことが致命的だったのである。


加藤氏がこの期に及んで「不祥事とは思っていない」と言い張っていたのも印象的だった。おそらく、駐米大使だったころにはほとんどミスを犯さなかったのだろう。戦後最長の6年半を務めたというがさぞかし優秀な人だったのだろう(大国アメリカ相手に大使レベルなど最初からスルーされていたという可能性も捨てきれないが)。
無謬主義の落とし穴がここにはある。現実に対して人間が間違っていたら、間違いを認めて自分を正しい方向へ"アジャスト”すればいいのである。けれど、下手に優秀でそれをする機会がずっと訪れなかった人は、いざそうなったときにできなかったりする。自分のミスを認めることができず、現実の側にミスがあるのだと、現実に起きたことの側を改ざん=アジャストしてくるのである。

加藤氏が不祥事と思っていならそうなのだろう、加藤氏の中では。しかしどちらにせよ、この一件で加藤氏が自分の名前が刻まれた、自分の責任で製造されたボールについて、責任がとれないいい加減な男であることだけは明らかになってしまった。