いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

NPBはなぜ隠した方がいいと思ったのか?

すでに出場が決まっているからどう考えても盛り上がる要素がないイラク戦より、明らかにこっちのほうが昨日一番のドデカいニュースだった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130611-00000111-mai-base

「知らせることで混乱してはいけないと思った」とあるが、この人は知らせなかったことでどれだけ混乱するかはわからなかったのだろうか。
この隠そうとした理由が理解に苦しむし、本当に隠す方がよいと思っていたならば、彼らは本当にアホなんじゃないかと疑わざるをえない。
なにも善悪の観点から彼らを批判しているのではない。
記事に書いてあることを真に受けるならば、最初にボールを供給するミズノの側のミスがあったことになる。NPBはそれに気づいた側なのだから、その時点で公表して「ミズノくん、困るよそれじゃー」と注意していれば「いい奴」にすらなっていたはず。
つまり、利己的に振る舞ったとしても、すぐに公表した方が自分たちにとってはマシな結果になっていたことは、目に見えていたのである。
それなのに、まずミズノのミスを隠し、さらにボールの反発計数をこっそり上げたことを隠しと、二重にことを隠蔽した彼らの知性の不調に、ぼくは怒りを禁じ得ないのである。こんな人たちがプロ野球を運営していたのか、と。
なぜそれを隠そうと思ったのか。ここ2年での統一球の圧倒的不人気がわかっていただけに、撤回すれば非を認めることになるとでも思ったのだろうか?


結局そこにも、事なかれ主義があるんだろう。国民栄誉賞のW受賞のときにも感じたことだが、21世紀になってもプロ野球には「村社会」的な部分が残っている。気心の知れた仲間内で、なあなあにやっていければいいやといういい加減な運営がされているのだ。
球技である以上、ボールがどのような規格であるかはもっとも重要なルールの一つであるはず。そのボールがどれぐらい飛ぶかには、選手の生活がかかっている。
だが、NPB上層部にとってはそんなことはどうだっていい。彼らにとっては、滞りなく行われればいいのである。それは「村の祭事」にすぎないのだから。