いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

薬やめますか、人間やめますか、それともストリッパーになりますか?

元タレントの小向美奈子(24)が5日、ドタバタ劇の末に東京・浅草のストリップ劇場、浅草ロック座の25周年特別興行でゲスト出演した。半分以上が立ち見という超満員300人の視線が集まる中、最後は全裸になる演出で舞い踊った。


小向美奈子超満員ロック座で最後は全裸に - 芸能ニュース : nikkansports.com

こういう書き方をすると、俗に言うリベラルな輩が、「職業に貴賎はない!」「誇りを持って仕事をしているストリッパーを差別する気か!」と噛み付いてきそうだが、ものごとには時と場合というものがある。ストリッパーという仕事に誇りをもって従事し、観客を魅了することに生きがいを感じている女性も中にはいるかもしれないし、たぶん実際にいるのだろうがしかし、殊に小向美奈子のケースに対してその言い分を適応することは、少々「きれい事」過ぎやしないだろうか。

彼女は裁判所の門前ではっきり「芸能界を引退します」と明言した。あの時、涙ながらに彼女が語った「芸能界」とは、字面どおりの「タレント業」のみを指し示しているとは、僕らには聞こえなかったはずだ。タレントという区分に限らず、人に見られる類の職業そのすべて。彼女が覚醒剤に溺れ、社会的制裁を受けたその直後に述べるその「引退」とは、タレントを含む大衆を欲望をかき集める類の生業そのすべてから、とりあえず身を退くというのが吟味されていた、と考えるのが常識的ではないか。その他者の欲望から「引退し」たはずの彼女が次に選んだ仕事場が、コンビニのレジでも街のパン屋でもなく、ストリップ劇場だということが、僕は釈然としない。
彼女はアイドルを引退する、という形で、未だアイドルであることの呪縛に絡め取られている。


「堕ちた女」という表現がある。清らかな淑女が一転、性的にみだならな世界にずぶずぶ溺れていく。そのモチーフは、おそらく人類の歴史と同じくらい長く、男どもを魅了してきたのだろう。上り詰めた女ほど、その墜落にはより強烈なカタルシスが待っている。そしてそれは同じ年月の間、女が「聖女であること」と「魔女であること」との間で、翻弄され続けていたということも意味する。


人は対象の表層に宿る何かに魅せられ、その中身を見たい、表層を剥ぎたい(まさにストリップ!)という欲望に駆られる。あの日ロック座に訪れた300人を突き動かしていた欲望とは、きわめて原初的なそれである。一時の栄華をきわめたグラビアアイドル。その衣服が剥がされた向こうに、ただの女の裸体にはない何か、とてつもない欲望の充足が待ち受けているはずだという期待が、あの300人の視線には込められていたのだろう。はたして、彼らのうち何人が、その欲望を充足できたのだろう。


精神分析はここで残酷な宣告をする。欲望の対象とは、ベールの向こう側に“何かある”、という仕方で去来する。バックシャンを考えるとわかりやすいだろう。だが得てして、ベールをめくるとそこには、何もなかったりする。欲望とはつまり、表層に宿り、表層にしか宿らないのだ。


おそらく太古の昔から存在した欲望のそのプロトタイプから、僕ら男はまだ一歩も抜け出せていない。今回のこのニュース、自分の顔を鏡で眺めているようで、暗鬱な気分になった。