大阪桐蔭高校が史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げて終わった、100回目の夏の高校野球である。当方は、10代の勇姿をエアコンのキンキンに効いた部屋で観戦していた30代であるが。
決勝のカードが決まってから、いや、個人的な観測ではもっと前から、勝ち上がってくるこの対照的な二チームが話題に上がっていたと感じる。
一方は、全国から(といっても実は地元出身が多いけど)野球エリートが集った私立の超強豪校。もう一方は、地元出身の選手をそろえ、100年超ぶりに決勝に戻ってきた公立校。
その二校が勝ち上がってくるにつれ、「金足がんばれー」とか、「桐蔭を倒してくれー」みたいな声があれば、一方で「そんなの判官贔屓だ」なんていう人もいたり。中には、「大阪桐蔭の選手も頑張ってるんだ! ヒール扱いはよそう!」みたいな“優等生発言”も出てくる始末。
別に、どちらをどのように応援しようがその人の自由なのである。
それよりも、今回観ていてあらためて高校野球、そしてスポーツっていいなと思わざるを得ないのは、その公平性についてだ。
スポーツは公平が原則だ。
いくら私立校が練習環境に恵まれていようと、いくら公立校がそうでなかろうと、相まみえるグラウンドの上では(原則的に)公平だ。別に、高野連に多く金を積んだ方が10人でできるとか、ボールを同時に2個投げられるというルールはない(当たり前だ)。
サッカーだってそうだ。どんな金満クラブであっても、グラウンドに立てるのは相手と同じ11人である。同じ人間が競うことなのだから、その90分で何が起こるかわからない。だからこそ面白いのではないか。
さまざまな条件、道を通りながらいろんなチームがやってきて、同じ条件下のグラウンドで相まみえるからこそ、甲子園は面白いのである。
今回の決勝も観ていたら面白いほど戦い方が違った。金足農業は出塁すると送りバントで愚直に前の塁を狙うのに対して、大阪桐蔭は相手エース吉田くんの球をぶんぶん強振していくスタイルだ。
そんな風にスタイルは違うけれど、どちらも同じ「野球」なのだ。それが面白いではないか。ネオくん、藤原くんすごいなー、吉田くんがんばるなーとか言いながら、当方は室内でストロングゼロを飲みながら観戦していた30代であるが。
それとは別に、今回の決勝は投手の疲労度の差も大きかったのではないか、と感じた。吉田くんに投げさせすぎ。選手の健康のためにも、高野連はいい加減球数制限を設けるべきである。
球数制限があると継投が避けられなくなり、優秀なピッチング・スタッフが集まりやすい私立の強豪校がさらに有利になるという説もあるが、そうなったときは公立校勢が戦い方で知恵を出す番だろう。
間違っても、グラウンド上での公立校への優遇策などはあってはならない。高校野球が廃れていくのは多分そのときだ。