今週、ほろ酔い気分で入ったトイレで用を足しているとき、目にこの張り紙が飛び込んで来た。
「いつもきれいに使っていただ」いているかはわからないのに、トイレ利用者を勝手にありがたがっている。
これは本当にありがたがっているわけではなく、「だから今日もきれいに使ってくれるよな?あ?あ?」という圧力が言外に隠されていることは、言うまでもない。
ぼくがこの文言をみて人一倍嫌な気分になるのは、ある人から似たような構造の言葉を使ってよく叱られてきたからだ。
それは祖母だ。
髪型が金正日に似ていることから、「将軍様」と呼んでいた祖母。
悪さをすると、祖母はよく、「あんたが本当はいい子なのはわかっとる」という言い回しを使いながら叱りつけてきた。
「いつもきれいに使っていただ」いていると名指しされるトイレ利用者と同様、「本当はいい子」らしいぼくも、似た圧力をかけられていたのだ。
トイレの張り紙が嫌なのは、祖母の言葉と同じ嫌なタイプの圧力をかけてくるためだ。
それならば、「あんたが、そんなにいい子じゃないのはわかっとる。けど、ちょっとは良心を持ってくれ」とか、「もうちょっといい子のふりぐらいしろ」ぐらいだったらよかった。
「本当は良い子なのはわかっている」は、「そんなに俺のことがわかってたまるか」という反発心と、「そんなに俺は良い子じゃないよ…」という後ろめたさを同時に味わわされる言葉なのだ。
だから、「本当はいい子なのはわかっている」は、ぼくが子どもを育てるときに使いたくない言葉の第一位である。今のところ子どもが生まれる予定はないけれど。
軽はずみに「本当はいい子」なんかを想定したくない。僕が味わったような気持ちを味あわせるだけだし、「そんなにわかっている父親のフリ」みたいなのは大嫌いだからだ。
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そんな祖母がガンになった、と実家の母から連絡があった。
寝耳に水だった。だが、もう80代なんだからそんなことが起きてもおかしくない。起きてもおかしくないけど、いざ起きたら驚くのがこの手の話題なのかもしれない。
先週、祖母は手術を受けた。
トイレで張り紙を見た夜、祖母からLINEが来た。80代のくせにLINEを使いこなし、ぼくのTwitterを監視する油断ならない祖母である。
無事退院したらしい。
なんて返せばいいかわからず、「入院お疲れさまでした」と妙に他人行儀に返してしまった。
金正日は70歳で死んだ。祖母はもう10年近く長く生きている。
この先も思う存分長生きすればいいと思うよ。