いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

イチローと辰吉 潔くない「引き際」について

44歳のイチローが、所属するシアトル・マリナーズの会長付特別補佐に就任したという。

今季の残り試合に出場しないが、引退はせず。チームに同行して練習を行い、同僚たちにアドバイスなどを行うという。この契約によって、日本のプロ野球界に復帰する可能性はなくなるとのことだ。

年齢が年齢なのだから、そろそろ引退発表なんかがあるのではないか、と少なからぬ野球ファンはドキドキしていたものだろう。そこにきてこの展開は、誰も予想しなかったのではないだろうか。

大前提として、イチローに対してファンの誰も何も言う筋合いはない。言う筋合いはないのだけれど、この契約の「宙ぶらりん」感はなんなのだろうとも思った。もっとスパッとした区切りをつけたほうがいいんじゃゃないだろうか、と。「野球の研究者でいたい」って、そんなの前から言ってたっけ…?

 

そんなモヤモヤを抱いていた連休中の朝、偶然にもNHK総合が再放送でドキュメンタリー番組「ノーナレ」が「辰吉家の常識 世間の非常識」を放送していた。ボクサーの辰吉丈一郎と年上の妻、るみさんの現在を特集した回だ。

 

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ドキュメンタリー映画ジョーのあした』公開館にて

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NHK公式HPより

「ノーナレ」はその名の通り、約25分、ナレーションなしで構成される実験的なドキュメンタリーだ。ナレーションで説明を補わない分、視聴者は被写体ともろに向き合うことになる。

番組では「夫婦漫才」を意識してか、2ショットのインタビュー時には二人の前にサンパチマイクが用意されていたが、そのとおり漫才のような掛け合いになるのだからすごい。辰吉とるみさんの年輪を感じさせるやりとり、ナチュラルボーンなボケ × ツッコミが効いた小気味よいやりとりは見ていて楽しい。

 

辰吉といえば、自身と同じくボクシングでプロデビューした次男が8勝を数える。今月17日で48歳で、年齢からいえばもう後進に道を譲るには十分すぎる頃合いだ。

でも辰吉はいまも「現役」だ。日本ボクシング協会からは危険だということからとっくの昔に引退勧告を受けているのだが、本人は引退をするつもりはない。もはや「勝手に現役だと言い張っている」レベルである。

8年間試合はなく(番組初回放送時)、収入はゼロ。貯金を取り崩しながら、彼は「現役」を続けている。次の試合のあてもない中で、4度目の戴冠を目指して日々トレーニングしているのだ。前回のタイでの試合では7回TKO負けを食らっている。

そういう意味では、イチローよりももっとずっと前から明確な「引退」を避け続けているのが辰吉なのだ。

 

印象的なのは、辰吉の「引退」について、るみさんはどう考えているのか語った場面だ。インタビュアーがその件について投げかけると、夫婦の顔色は多少曇った気がした。

るみさんは実際、何度か「辞めて」と泣いたこともあるという。辰吉はそのたびに「おまえに泣かれてまでやることはない。おまえの言うとおりにする」と素直に応じるというが、数分後、練習道具を詰め込んだカバンを持って家を出るのだという。

吉本新喜劇ならその場の人間総出でズッコケるところだが、るみさんもなぜか夫を「いってらっしゃ~い」と見送るということだ。「辞めて」と思う一方で、ボクシングに明け暮れる夫に「うれしくなったりしちゃう」自分もおり、何よりも「自分のしたいことをする姿を見るのが幸せ」なのだという。

 

終盤では、

辰吉「”辰吉”やっとったらおもしろいよ」

るみさん「おめえはな(笑)おめえはおもしれえだろうよ(笑)」

 

というやり取りもあった。

「辰吉をやる」=「再度戴冠を目指して現役を続ける浪速のジョーであり続ける」夫と、それを支え続ける妻。その口ぶりは呆れかえっていたものの、「支え続ける」ことがなによりも楽しそうに見えたのもまた事実なのだ。

結果として、辰吉が現役であると言い張っていることで迷惑している人がどれだけいるだろう。ほとんどいないはずだ。苦労をかけているとすれば、家族などごく少数の周囲の人間であって、おそらく彼らは辰吉の人間的な魅力に見出された人たちなのだ。るみさんは番組中、それを「宿命」と表現していた。 

 

それを考えると、あらためて思う。イチローの前代未聞の「引き際」についても、まるで問題ないのである。 妻と、そして球団が彼の在り方を全力で支援すると決めたのである。誰がそれをとやかくいえるだろうか。

「ださい」とか「潔くない」は、しょせんはその人の人生を引き受ける気のない外野の人間のこぼす「常識」である。

前人未到を打ち立て続けた男が、また一つ、前人未到を打ち立てる。ファンの予想の範疇に小さく収まるような引き際は作らない。それがイチローらしいといえばイチローらしいのではないだろうか。