いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

映画『家族を想うとき』が描く「自由な働き方」の欺瞞

映画チラシ『家族を想うとき』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚 ケン・ローチ

 ケン・ローチ監督については前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』が、かなり精神的にまいるような内容でオススメだ。今作も身構えて観に行ったが、期待通りというのか予想通りというのか、かなりヘビーな一作であった。

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

  • 発売日: 2017/09/06
  • メディア: Prime Video
 


 ローチ監督は、『わたしは~』で引退するつもりだったらしいが、作品のリサーチの際に、「もう一つ、撮らなければならないテーマが見つかった」と気づき、本作を撮ったという。見終わった今にして思うのは、この監督の「撮らなければならない」という決意は間違っていないと思うし、世界の多くの観客の目に触れなければならない映画だと言える。

 

 主人公は、ニューカッスルのある貧しい四人家族。父のリッキーが、マイホームを購入するために一念発起し、運送業フランチャイズになることを決意する。しかしそれが思惑から外れ…という展開だ。

 これまでの監督の作品と同様、ミディアムショットを多用し、音楽はほとんど使わない。シンプルで飾らない絵作りで、ともすればドキュメンタリーのような雰囲気。そうであるがために、真実味があってズシンと響く内容になっている。

 

 本作が強く印象付けるのは、「自由な働き方」という名の欺瞞である。


 リッキーは、運送会社に「転職」したわけではない。あくまでフランチャイズだ。フランチャイズについては映画の冒頭で、会社側の担当者マロニー(こいつがストーリーが進むにつれて怖い本性を現してくる)が裁量の自由を謳い、理想の働き方のように喧伝する。働き次第で稼ぎは増え、もうけは全て自分のものとなる。リッキーが今からなろうとしているのは、会社と対等な「一事業主」なのだ、と。
 しかし、蓋をあけてみれば、リッキーは10時間以上働き詰め。トイレなど行っていたら指定の時間帯に間に合わない。遅れれば制裁金をとられてしまう。そのため、おしっこは「尿瓶」にする始末。それだけではない。就業中の怪我の治療は自己負担で、配達に不可欠な高価な機器を壊せば信じられない額の弁償代を請求される。

 キツいならばやめればいい。と、思うかもしれないけど、リッキーは参入する際に、妻の出勤用のトラックを売り払った頭金で運送用にトラックを買ってしまった。そのローンも残っている。簡単にはやめられない…。実質は会社の下請けであり、立場は限りなく弱いのだ。

 

 「フランチャイズ」という用語については、コンビニの24時間営業問題などで本邦でもここ数年、悪いイメージがつきまとっている。それはイギリスでも同じなのかもしれない。リッキーがフランチャイズになったのはあくまでも彼自身の自由な選択によるものだ。しかし、貧しい人たちに残された選択肢は、そもそもが「貧乏くじ」であることそして、その選択の結果については「自己責任」として幕引きがなされる。そのことを本作は痛烈に描いている。
 一度狂った家族の歯車は、容易には戻らない。貧しい家庭には、戻すための支援の拠り所がなければ、戻すことに手をこまねいている時間さえない。

 

 終盤の印象的なシーンで、長男のセブが半泣きになりながら、無理をする父親に「僕は元の家族に戻れればいい」と訴える。高望みしているわけではない。ただ、もとに戻りさえできればいい。けどそれさえ望めない状況。本作は、日本と地続きで繋がる貧困の底なし沼が描いている。