1日の仕事を終え、スズキは安堵のため息をついた。彼がこの物語の主人公である。
帰り支度をしていると、隣の席の同期タナカが「お、今夜は2号さんのところですか?」と声をかけてきた。
これを読んだ21世紀のあなたは、なんて不躾な会話をするんだと憤慨したかもしれない。しかし、この物語は22世紀が舞台。22世紀にもなれば、これが日常会話なのだ。
「いや、今日は金曜日だから4号の家なんだ」
「あ、そうだそうだ。忘れてた」とタナカが返す。
するとそこに、これまた同期のハラダが通り過ぎようとしているのが目にとまる。
「お、今日は珍しく早いね」、スズキがハラダに声をかける。
「フフ、実はね。今日は新しい彼氏とデートなの」
「え、じゃあ…」
「うん、もし相性が良かったら、3号の夫にしようかなって…」
22世紀。世は一夫一婦制、ならぬ一夫多妻制、でもなく、多夫多妻制になったのである。
ここからは順を追って説明しよう。
21世紀も後半になると、日本の晩婚化、少子高齢化はついに最終局面を迎え、人口は2000万人まで激減。政府や有識者がけんけんがくがく議論した結果、たどり着いたのが多夫多妻制度だった。
日本人の生き方の多様性が進み、そもそも一夫一婦制という制度が窮屈になっているのではないか。もし、人それぞれがそれぞれに合ったライフスタイルで、いろんな人と結婚できたなら、結婚する人が増えるのではないか。それが制度の理論的支柱だ。
そんなバカな、と思われるかもしれないが、結論から言うと、多夫多婦制度は日本を救った。制度によって婚姻数は激増するとともに、出産数も激増。22世紀なかばには、日本人口は4億人に迫る勢いである。
独身でいることはそれまで通りもちろん許されたし、一夫一婦制をつらぬきたいという人ももちろんいたが、今やほとんどの日本人は2人以上の配偶者を抱えているのが現状だ。
なお、会話で家族の話をするときはややこしいので、タナカのように2号、3号、4号…などと結婚した順に番号をつけて呼ぶことが通例となった。20世紀の古臭い家父長制の中で婚姻外のいわゆる愛人を「2号」と呼ぶ習わしがあったらしいが、22世紀の現代では、男女を問わず、誰もが誰かの2号、3号である可能性があるのだ。
なお、多夫多妻制度に反対運動は起きなかったのかというと、これが意外なことに起きなかった。21世紀前半までに一定数いた古い家族像を頑なに固執する政治的保守層は、その頃にはほとんどが死に絶え、もしくはヨボヨボの老人しか残っておらず、反対する元気もなく、制度はスムーズに施行された。
なお、この物語の主人公スズキには現在7人の妻がいる。ちょうど割り振れるということで、7日間の曜日ごとに各妻と会う日を割り振っている。これが非常に分かりやすく、スズキ自身は今の妻7人との生活を気に入っているようだ。
退社し、妻4号の家にたどり着いたスズキ。玄関を開けて「ただいま。ショウゴ、お父さん帰ったぞ」とリビングの方に声をかけると、奥から5歳ぐらいのやんちゃ盛りの子どもが駆けてきた。スズキは抱きしめて頭をなでてやったが、ふと違和感に気づいた。
「お前、ショウゴでなく、さてはミツルだな?」
イタズラをバレてキャッキャと笑うミツルとじゃれ合っていると、今度は奥から本物のショウゴが現れ、スズキはこちらも抱きしめてやる。
ショウゴはスズキと妻4号の子どもだが、ミツルは妻4号とその2号、つまり妻が夫2号との間に設けた子どもなのだ。妻4号にとって、スズキは夫3号である。ショウゴとミツルは年子で、なおかつどちらも妻に目元がそっくり。つまり顔も背格好も2人はよく似ており、スズキは度々間違えてしまう。ショウゴとミツルはそれを逆手に取ってイタズラをスズキにしかけたのである。
妻4号は料理が得意なので、スズキが帰る日は一緒に料理を作るのが一つの日課だ。
食卓には親と子ども、合わせて6枚のお皿がならぶ。スズキの妻4号はショウゴ、ミツルのほかに2人の娘がおり、彼女らはどちらも別々の夫との間にできた子どもだ。なお、長女のアカリの父親は、スズキの妻4号の夫1号、もとい、元夫1号で、2人はすでに離婚している。
スズキは実の子であるショウゴだけでなく、ミツルやアカリといった血のつながらない子どもとも分け隔てなく接する。それができるのが、この時代の大人の甲斐性とされている。
スズキたち一家が夕食を食べながらテレビを観ていると、ある資産家の妻がシガ県の人口を超えたというニュースが終わったあと、今度は事件のニュースに切り替わった。
「続いては、メグロ区で男性が殺害された事件の続報です…」
「なんだ。まだこれ、やっていたのか。これって結局、妻の誰かが殺ったって話で終わったんじゃなかったんだっけ?」スズキが聞く。
すると妻4号が眉をひそめ「ちがうのよ、これ、妻でなく、妻“たち”だったの…」
「え…」
ニュースによると、殺害された男性は妻8人と結婚していたらしい。8人もいるのに、妻たちは男性に全く不満をもっていなかった。それだけ、男性には甲斐性があったのだが、事件ではそれが仇となってしまった。
男性の愛に溺れてしまった8人はそれぞれ、男性を自分だけのものにしたい、という独占欲にかられてしまった。8人は平和的に話し合いを重ねたそうだが、「私だけのものにならず、こんなに辛い気持ちを抱えるぐらいなら、いいわ。みんなで彼を殺して思い出にしましょう」という話がまとまってしまい、共同で夫を殺してしまったという。
犯行時には、お互いがお互いのアリバイを融通し合うことで、警察の捜査をかなり困難にさせたようである。
次の月曜、スズキが会社に行くと、オフィスの一角に人だかりができていた。
スズキが外側からのぞきこむと、人だかりの真ん中で、後輩のヤマダが、あろうことか上司のサトウと取っ組み合いの喧嘩を始めているではないか。
スズキはあわてて、近くにいたタナカに理由を聞く。
「あの2人、同じ奥さんが1人いただろ?奥さんにはすでに別の夫との子どもが2人いて、もうそろそろ復職したいらしい。んで、『産むのはあと1人にしたい』って言ってるらしくて、その後1人をどちらが産んでもらうかで揉めてるようなんだよ」とタナカ。
ヤマダは顔を真っ赤にして「あんたは俺よりあとに夫になったんだろ! 会社での関係がどうあろうと、先着順でゆずるべきだ!」と訴える。一方、ヤマダに鷲づかみされたカツラがとれかかっているサトウも負けじと「そんなことは関係ない。私はあの妻との子どもがほしいんだ」と言い返し、一歩も引く様子がない
2人が大喧嘩になっていることで、スズキのここ最近起きていた出来事にも合点がいくところがあった。以前は仲が良かった2人だが、最近は社内でも些細なことでいがみ合い、うまく行っていないようだった。あれはきっと、妻からもう1人しか産まないと言われたあとだったのだろう。
そのとき、スズキとタナカのそばを、すこしくすんだ人影が通り過ぎた。
タナカが「あ、『ZERO』…」と口に出し、しまったとばかりに慌てて自分の手で口を押さえる。「おいお前、本人の前だぞ…」、スズキもタナカをたしなめる。
多夫多妻制が敷かれた現在も、結婚しない人がいることは先にも説明した。しかし、独身であるにしろ、「結婚をあえてしない」のと、「結婚できない」の間には100万光年の差がある。
いくら世の中が多夫多妻制になろうと、箸にも棒にもかからない、配偶者0人の人は存在した。いつしか、そうした人々のことを社会は「ZERO」という蔑称で陰で呼ぶようになったのだ。
スズキとタナカの前を通り過ぎたのは、初老の「ZERO」。自分が「ZERO」と呼ばれたことに気づき、スズキたちのほうを悲しそうに一瞥をくれたが、何か言い返すようなことはせず、自席の方にトボトボと歩いていった。後ろ姿からでも、頭髪が薄くなっているのがよくわかる。彼は仕事もとりたててできるわけではない。むしろ会社の「お荷物」の側面すらある。定年まで、ずっと席を温めておくつもりなのだろうか。
多様性の名の下、22世紀が生きやすくなったと言えばそうとは言い切れない。なぜなら多夫多妻の時代、「ZERO」みたいに売れ残ってしまう人はよりいっそう、「それでも結婚できない」という意味で、人間的な魅力の“なさ”が際立ってしまったのだ。
スズキは自分の席につくと、ふとさっきのヤマダとサトウの喧嘩について思いを馳せてみる。金曜にみた殺人のニュースにしろ、ヤマダやサトウにしろ、スズキからしたら古臭い価値観に囚われた世迷い言だとしか思えなかった。
今の時代、家族は所有するものではないのだ。所有という概念は遠い昔に消え去った。それに彼らは早く気づくべきだ。
概念の消失といえば、22世紀になったら「きょうだい」の概念も消えつつあるかもしれない。
そのとき、スズキの端末にコバヤシから着信があった。
「スズキさん! お久しぶりです。最近どうですか? 今度飲みにでもいきましょう」
コバヤシはもともとは取引先の社員だったのだが、一度会食した際に、実はスズキと「家族」だったことが分かり、それ以来、仕事以外でもたまに交流を持つ間柄になっている。
どういう家族かというと、コバヤシの父親の妻3号がスズキの母親の夫6号と一時結婚していたことがあり、また、スズキの父親の妻8号が昔結婚していた夫3号の弟が、コバヤシの母親の夫5号だった、ということが分かったのだ。
この時代、異母兄弟、異父兄弟が当たり前であり、「きょうだい」という概念は急速に意味を失われていった。言うならば、「きょうだい」と「友人」の中間の、新しい人間が劇的に増えたのである。
コバヤシと週末に飲みに行く約束を取り付け、端末を切ったスズキは仕事を始めるまえにふと物思いにふける。
かつて「人類みなきょうだい」と言った偉人がいるというが、22世紀になってそれは修辞などでなく現実になったのだ。
ただし、「ZERO」をのぞいてだが。