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85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】ウランバーナの森/奥田英朗 ★★★☆☆

ウランバーナの森 (講談社文庫)

ウランバーナの森 (講談社文庫)

その夏、世紀のポップスター・ジョンは軽井沢で過ごした。家族との素敵な避暑が、ひどい便秘でぶち壊し。あまりの苦しさに病院通いをはじめたジョンの元へ、過去からの亡霊が次々と訪れ始めた…。大ベストセラー小説『最悪』の著者が贈る、ウイットとユーモア、そして温かい思いに溢れた喪失と再生の物語。

内容(「BOOK」データベースより)

歴史上の人物には、たとえどれだけ詳細の記録が残っていたとしても、「語られない空白」というのが残っていて、語られない、語ることができないがゆえに、かえってその空白部分が後世の人間の欲望を掻き立てるということがある。
奥田英朗のデビュー作『ウランバーナの森』は、そんな興味を具現化したような作品だ。
作中では明言されないが本作の主人公「ジョン」は、おそらく説明不要な、実在した20世紀最大のロックスターである。
作者は「あとがき」で、この人物に対する書物は数知れないが、ただ一つだけ「不満」があったという。それは、1976年から79年にかけての「ジョン」の「隠遁生活」への言及がほとんどないということだ。 

 活動停止期間なのだから、書き手がさしたる興味を抱かないのも仕方がないのかもしれない。ほとんどの伝記では、「妻と子供と静かな毎日を過ごした」といった程度の記述でお茶を濁されている。
 だが彼のアルバムを聴き直してみると、ファンならばあることに気づくはずだ。それは四年の空白期間を置いて発売された最後のアルバムが、主に家族愛を歌った実に穏やかな作品だということだ。それまで刺激的で先鋭的だったからの曲が、どういう心境の変化なのか、丸く優しく変化したのである。
(中略)
 空白の四年間に何があったのか。彼の心を癒すような出来事が何かあったのではないだろうか――。
 この作品は、わたしのそんな興味からスタートしている。
文庫版へのあとがきより

この箇所を読んでいて思い浮かんだのは、「二次創作」という概念だ。
そう、この『ウランバーナの森』とは、「ジョン」の生涯の語られない空白部分を作者の想像/創造によって埋めた「ジョンの二次創作」と呼んでいい。
でもそれは何も特殊なことではなく、あらゆる創作の本来の姿といえるのかもしれない。
もちろん、司馬遼太郎のように膨大な資料の収集と、そこから導かれる厳密な考察によって築かれていく歴史小説も同じ創作物と言える。本作でも「ジョン」に関する参考文献は記載されている。0から作り上げるわけではない。
けれど、語れない部分を語れる証拠がいつか出てくるとは限らない。それならば自分の空想で埋めてしまおう――そんな物書きという人種のプリミティブな欲望が、本作には充満している気がする。


ウランバーナというのは、梵語で「お盆」を意味する。本作はタイトルのとおり、「ジョン」が妻の母国である日本のお盆に森の中でする不思議な体験だ。「ジョン」は、過去にわだかまりを残した人物らと奇蹟的な再会を遂げ、彼らとの関係を修復し、自らを「再生」していく。

そのようなストーリーはあるのだけれど、二次創作であるからにはやはり「ジョン」の人物造形が気になるところ。
本作の「ジョン」はというと、なんだかわいいのである。実在の人物でいうと、非常にマニアックなたとえだが、元芸人の野沢直子の外国人の夫に非常に似ている。英語で話しているが都合、日本語表記になっている話し言葉が、それに拍車をかけている。

さらに、本作の「ジョン」はある事情で便秘をわずらうのである。

 ジョンは思いっきり力むことにした。おとこジョン、ここが一世一代の踏ん張りどころなのだ、と自分を鼓舞するように言い聞かせた。
 大きく息を整えた。(さて、と)。
 どりゃあああああああーっ。
 ふっむむむむうむむむむーっ。
 出なかった。
 ちょっと待てよ。どういうことなのだ――。
 もう一度ジョンの腹部が激しく鳴った。
 よし、これだ! これに乗るのだ――。
 ふがばばばばばーっ。おおおおおおおーっ。
 次の一瞬、悪寒がジョンの全身を駆け抜け、豪雨のような音が便器に響いた。
 出たあああああーっ。出た出た出た――。
p.117

きりがないのでここで引用は終えるが、このように作中では作者の自由な妄想が独り歩きして、「ジョン」が思いもよらぬ行動をとる。「ジョン」のファンがこの小説をどのように受け止めたのかが非常に気になるところだがそれはともかく、「便秘のジョン」のような奇想天外な設定こそが、この小説の、そして二次創作の醍醐味なのである。家政婦のタオさんとのやり取りも、ちぐはぐな感じが和む。

この小説で、いまや売れっ子エンタメ小説家の奥田英朗がデビューしたというのは非常に納得のいく話であるし、小説を書くという本来途方もなく難しそうにみえる営みが、自分にもできる身近なもののような気がしてくるのである(実際に書けるとは言っていない)。