故伊丹十三に『女たちよ!』という名エッセイ集がある。
- 作者: 伊丹十三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/02
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特に、女性について語る章では、女はこうであるとか、こうあらねばならない、みたいなこだわりがあって、今の時代はむしろ嫌悪されそうな記述もあるが、そこに独特のダンディズムを感じるのは正直な感想で、まぁおもしろいのである。
そんなエッセイに「酒量」という小節がある。
氏は若い時より酒が弱くなったという。けれど、それを気にしてゆっくり飲むようになったことで、強かった若い時よりもかえって酒量が増えた、というのだ。
ああ、これすごいわかるなぁと思うのだけれど、ぼくも酒が強いとよくいわれる。たしかに、生まれてこの方酔いつぶれたことはない。いや、一回だけあるのだけれど、そのときは謎のちゃんぽんを飲まされたからで、それ以前も以降も一回もない。それっきりなのである。
でも自分では酒が強いと思わないのは、それがピッチが遅くて、ちびちび飲んでいるからに過ぎないからだ。たぶん、弱い弱いといっている人は早いペースで飲んでいて、自分も同じようなペースで飲めばそれなりにようのである。要はペースの問題。
伊丹さんは、話のあう俳優仲間となら、24時間でも飲めると書いている。
エッセイは最後、酒量を聞かれたら最近こういうように答えているといって、オチをつける。
「ぼくたちは酒は分量じゃなく時間で計るのです。ま、二十時間から三十時間ってところでしょうか」
p.73
ああ、いいなあと思う。
われわれは人の酒について、とりわけ酒量を聞きたがるものだ。
けれど、どうせわれわれが飲む酒なんて、居酒屋チェーンのやっすい飲み放題である。そんなものを胃袋にいくら放り込んだで競い合ったって仕方がない。お前は車かと。
それよりは、どれくらい長い間、ちびちび飲みながら愉快な宴を続けられるかが大切なんじゃなかろうか。
どの界隈にも、ガブガブいって早速ぶっ倒れる人というのは一人や二人いるのだが、あれは正直言うともったいない。
飲み会というのは非日常である。学校や職場で普段は見せない知り合いの顔が明かされることだってある。そしてそういうのは、得てして酒がまわり、夜が更けたころなのである。エッチな話や下世話な話も、場があったまってから、ではそろそろ……と始まるもんである。
でも、ガブガブいく人たちはそのころにはぶっ倒れている。それで次の日起きたら頭が痛いは前夜の会の記憶はないはで、散々ではないか。
忘年会に新年会と、飲み会が続く季節だ。酒の飲み始めのハタチそこらなら、酒の失敗の一度や二度は経験するだろう。けれどそれ以降の人は、酒を酒量でなく、時間において考えてみるのは、いかがだろうか。