いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

若者に可愛がられる「愉快で楽しいおじさん」のなり方

先日、Twitterでこういう投稿を見かけました。

生まれたときから不況の若い世代は「4000円」の大切さを痛いほど知っているのでしょう。たとえ先輩の誘いであろうと、ほかに有効活用すべき用途があるならば、容赦なくバッサリ切ってしまうのかもしれません。
昨年30歳を迎え、ぼくは名実ともに「おじさん」世代に突入し、「誘いを断られる側」に仲間入りしました。こういうつぶやきを見るにつけ、ぼくが進める「愉快で楽しいおじさん」化計画が喫緊の課題であることに、強い確信を覚えます。

きょうはここで、ぼくが考える「愉快で楽しいおじさん」化計画の一端を披露したいと思います。

おじさんおばさんには需要がない

まず、なぜ「ただのおじさん」でなく「愉快で楽しいおじさん」でなければならないのか。それは、端的に言って、「ただのおじさん」に需要がないからです。ここでいう「需要」とは、飲み会といった楽しい席に「その人を呼びたくなるかどうか」です。
先述したとおり、若者は限られたお金の使い道に対してシビアになっています。一緒にいても話が合わない、雰囲気を悪くするだけのおじさんをわざわざ呼んでかまってあげるほどのボランティア精神は、今後ますます薄れていってしまうでしょう。
これは女性が「おばさん」になっても同じです。若いころは性的な魅力も手伝ってチヤホヤされ、そうした楽しげな場に頻繁に呼ばれていたことでしょう。しかし、それらに頼っていた女性は年をとり「若さ」や「美貌」を失ってしまうと手持ちの武器が何もない。そんなおばさんを誰が呼ぼうというのか。そうならないために、「愉快で楽しいおばさん」にならなければなりません。


え? 「需要」がなくちゃいけないの? ですって?
別に呼ばれなくなったなら仕方ないんじゃないの? だって?
だってさみしいじゃないですか!!!

「さみしい」と感じない人がいるならば、それまでの話で、そういうおじさんおばさんであってもいいと思います。あくまでも本稿は「需要がないと寂しいおじさんおばさん」向けです。


ひとえに「愉快で楽しいおじさん」といっても、実際は様々なあり方があると思います。あくまでも今回ぼくがあげるのは、「愉快で楽しいおじさん」の"最小公倍数"であることをあらかじめお断りしておきます。

清潔でいよう

汚いこと、不潔なことが人付き合いにおいてメリットになることはほとんどありません。人との交流において清潔感は基本のきの字です。
とくに、おじさんおばさんとなると見た目の老化が始まります。場合によってはハゲ散らかり始めます。匂いに関しても、加齢臭という脅威の足音が聞こえてくるのが中年です。とかく、老化は清潔感にとって鬼門なのです。そういうことから、おじさんおばさんになると、なにかと身なりに気をつけなければなりません。

一時期、年配の男性を好む女性のことを指す「枯れ専」との言葉が流行りました。しかし「枯れ専」と「不潔」は似て非なるもの。「枯れ専」は老齢の中に雅を見出す意味で、マイナスをプラスに変える営みであるのに対して、「汚い」「不潔」は、逆立ちしてもポジティブな意味に反転しない状態です。

折れよう、負けよう、イジられよう

これも大切です。年をとると、無駄に知識や経験を蓄えてしまうばかりに、若者の言動にいちいちダメ出ししたり、説教したりしたくなるものです。
しかし、若者からすればそんなウゼえおじさんと飲みたくはない。いやいや、こちらは良かれと思ってと言いたいのでしょうが、その思いやりがウゼえのです。飲み会の席でわざわざそんな不快の思いをしたくない。
ですから、折れてください。負けてください。相手がマウンティングしてきたら、積極的にイジられるたちばを甘受してください。
相手の話を受け入れる柔軟な姿勢も大切です。ときには若い世代の文化について教えを請う姿勢もみせましょう。それを受け入れてこそ大人の余裕というものです。あなたもどうせ、若者に説教をたれて悦に浸っているのでしょうが、若者だって同じです。教えてもらってあげることで気分よくしてあげましょう。
「この人と話していると心地よい」これこそがわたしたち「愉快で楽しいおじさん」を目指す者たちの「需要」なのですよ!

性的な需要は諦めよう

おじさんおばさんになると性欲は減退するものですが、中には未だ衰えぬエネルギーを持て余している人もいることでしょう。おじさんおばさんならではの「熟した魅力」で若者をトリコにしてやろう、と思いたくもなるもの。
ただ、非常に心苦しいですが、そういうのはもう諦めたほうがいい。繰り返しますが、おじさんおばさんには「需要」がないのです。余計な期待はするだけ傷つくだけです。傷つくぐらいなら、初めから自分にはもう性的な魅力はないのだ。性的には「無」なのだと思っていた方がいい。

期待しないでいると、たまにはそういう「無」になにかを見出してしまう物好きな方も現れるかもしれません。そういうのは「目っけもん」につきましては受け入れてもいいですが、基本的には諦めの姿勢で臨んだ方が得策でしょう。

反面教師は「ちょいワルオヤジ

ここまで読んで、勘の鋭い方はお気づきかもしれません。ここまで書いてきたことと、真逆をいく中年がいます。それは雑誌「LEON」が発信源とされる「ちょいワルオヤジ」です。
ちょいワルオヤジ」!彼らほど、自分の「需要」への自信と、ある種の鈍感さを保持している人たちも早々いません。もしここで書いたような条件を忘れたときは、「ちょいワルオヤジ」が取りそうな行動の反対をいってください。「ちょいワルオヤジ」を反面教師にした存在こそが、「愉快で楽しいおじさん」なのです。

実りある中年ライフを!!!

ここまで、若者に可愛がられる中年になる方法を手前味噌ながら解説してきました。
繰り返しますが、これは「若者に可愛がられたい年上」になりたい人向けです。前提として、若者の方が「選ぶ側」であることを踏まえてください。別に俺は若者なんて知らねーよバカと言う人や、私は私のやり方で若い男子を手玉に取るからお構いなく、という方はご理解ください。


「愉快で楽しいおじさん」になることは若者相手に限らず、中年以降の人生全般で大切なことだと思うのですよ。

年をとって若いころのようにスポーツで汗を流す元気はない。性的にギラギラしているわけでもない。そんな中年以降の世代において一番大切にされるのは「お酒が楽しく飲める相手」です。「愉快で楽しいおじさん」とは、「お酒が楽しくなる相手」の別名でもあります。
金はない、仕事はできない、そして異性として魅力がなくても「楽しくお酒が飲める相手」になれるなら最高ではないですか。そんな人、まずほっとかれません。もうそれは最強のスペックです。

OVER30の人生を豊かにするために、ぜひあなたも「愉快で楽しい中年」を目指してみてはいかがでしょうか。