いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】6才のボクが、大人になるまで。 100点

撮影期間12年!!!


『ビフォア』シリーズ三部作リチャード・リンクレイター監督による作品。
何がすごいって、その撮影手法だ。出演者が毎年集まって数週間にわたって撮影しては解散する、というプロセスを繰り返し、なんと12年にも及ぶ撮影によって作り出されたのだ。この映画の撮影が始まり、終わるまでに、出演者は全員12歳も年をとったことになる。

これがリチャード・リンクレイターによって撮られたというのは、よくわかる。だって『ビフォア』シリーズも、一組のカップルを約18年間追った一種の“ドキュメンタリー”なんだから。ただ、こんなリスキーな撮影もなかなかない。途中で重要な人物が死んだり、いなくなったりする可能性がある。それを形として結実したのが、作者という人為を前提とする作品というより“すごい現象”だと思う。

フィクションでもありドキュメンタリーでもある 出演者の人生を凝縮する手法


ストーリーの軸となるのはメイソンという少年で、原題「Brotherhood」の意味するとおり、まさに彼の少年時代をそのまま映画化したような作品だ。

メイソンの家庭はいわゆるステップ・ファミリーで、お母さんが男を捕まえては失敗するというのを何度も経験するんだけど、メイソンと彼の姉のサマンサは健気にもついていく。
不思議なのは、画面で演じられている物語はフィクションなのに、それと同時にぼくらは彼ら彼女らのリアルな成長(出演者が大人ならばそれは老いになるんだけれど)をドキュメントとして味わうことになるということだ。


でも監督自身はというと、その1年の歳月というのに冷酷なほどに無頓着だ。
メイソンくんたちがどんなゲームで遊んでいるかや、出演者らが会話でどんな政治の話題をネタにして注意深く聞いておけば、いま何年あたりかはだいたい予想つくのだけれど、ナレーションやテロップなどで時間の経過を説明する気は一切なく、あるシーンは次のシーンへの些細な前兆を残しつつも、びっくりするほどそっけなく繋げられていく。そこには1年の経過があったはずなのだが、作品は間断なく出演者らの時を堆積させていく。

成長するのはメイソン“だけ”ではない


観ていてわかるのだけれど、12年間で成長するのはメイソンら子役だけではないっていうこと。劇中、イーサン・ホークがむちゃくちゃいい味を出しているメイソンの実父を演じているが、彼だって、軽そうな中年から、徐々に家族への責任をともなうオヤジへと変貌していく。
それは、彼がメイソンたちに話し掛けるその仕方にもあらわれる。例えばこれはよく観ておいてほしいんだけれど、とあるぼくらにとって大切なゴム製品の使い方について、メイソンが小学生のときに話すそのしかたと、立派な高校生になったときに話す仕方が、また違っている。


この映画を観ているとき、同じような試みで『北の国から』とか『渡る世間は鬼ばかり』なんかが思い浮かんだ。吉岡秀隆の演じる純くんに視聴者が強い思い入れを持つのと、伏し目がちなメイソンの頭をぼくがよしよししてやりたくなのは、おそらく彼らの成長を追いかけているというその手法に共通点がある。
でもこの作品が決定的に違うのは、あくまでも1作として凝縮し、彼ら彼女らの成長に対する喜びといった、情緒的な側面をあえて排したことだと思う。そして、あえて排して客観的にとらえたからこそ、感動を催されるところもある。

“ストーリーがない”という批判について


観終わってすぐ、この映画の凄さを誰かに伝えたいと思ったが、何がすごいのかというのが今もよくわからない。また、この作品について、ストーリーがないという批判を見受けられる。それもわかる。わかるのだけれど、それがぼくにとってこの映画の瑕疵にならないのはどうしてだろうと考えた。

おそらくそれは、この映画がある種の人生の凝縮だからだと思う。
ウダウダとしゃべるオヤジがメイソンに話の要点を聞かれ、「要点なんて知らねぇよ」と吐き捨てる。
でもこれって、まさにこの映画そのものに当てはまる。人生の要点なんて、誰が知ってるのだろう。そして、その要点を知ったからといって、人生が面白くなるのだろうか? 人生というこのとらえどころのない、途方も無い大きな現象に、話の要点や筋があってたまるかよという話で、また同時に、それだからこそ魅了されてしまうんじゃないか。
息子の旅立つ日、その日々があっという間だったと涙するメイソンの母親と、彼が希望あふれる大学生活開始の日、同級生女子と「いまその瞬間が大事」だと語るシーンの対比も印象的だ。「いま」のかけがえのなさを甘受する前途ある若者たちと、「いま」の堆積を途方もない後悔とともに振り返る母親。


いやぁ、年末にとんでもないものを観てしまった。