いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

来た球を打つ


ぼくのような社会的産廃でも、ときどき異業種懇親会みたいなのに呼ばれて酒を酌み交わすことがあるのです。そういうときに、偶然となりあわせたキャリアだとかなんだと人をだまくらかしているコンサル風情の方々が、「いいんちょさんは、5年後、10年後にはどういうキャリアプランを立てていますか?」などと聞いてくる。

ぼくはそういうとき、たいていは「いやあ、HAHAHA」と高笑いし、多くを語らずやり過ごそうとする。

なんでそういう反応になるんだというと、率直に言うと、キャリアプランなどといったものなどどこにも「ない」から。頭のどこをさがしてもそんなプランだのコンセプトだのといったものは見つからないのであります。

けれどコンサル風情はそういう反応をすると「だめだめ、ちゃんキャリアプランを立てないと〜」みたいな感じで上メセでどっかりマウンティングしてくる。たぶん本音では(やっべ……こいつ30にもなって何も計画立ててないんだ……)とか思っているのでしょう。


でも、これは、ぼくがかっこつけているわけでもぐーたらなわけでもなく、本当にそんなもの「ない」のです。たしかに「北斗の拳」では雲のジュウザみたいに風来坊に憧れましたが、彼に憧れたから計画を立てないわけでもない。

キャリアプランについては、たぶん立てるか立てないかという「選択」の問題ではないと思います。それはどちらかというと「能力」の問題です。たぶんぼくは、5年後、10年後に自分がどうなっているか目標や計画を立てることができない。ムリなわけです。

もちろん、無理やりにでも立てろと言われたら、そりゃ10年後の目標を立てることはできますよ。でもたぶんそんな形で立てた目標なんて途中で有耶無耶になるだろうし、達成できるとは思いません。ぼく自身がそれに従って動くことに価値が見いだせるほど、強度のある目標をもてないわけです。

だから、正確を記すると、できないのは「キャリアプランを立てること」ではなく、「ひとつ決めたキャリアプランに向かって努力すること」になるでしょう。

ちなみに、ぼくの目下の目標は、いつかお昼のワイドショーでミヤネさんみたいにしてニュースにテキトーな知識でテキトーなツッコミを入れる番組をすることです。でもこうした目標を達成するために具体的に何か努力しているわけではないし、してたら気が狂ってるでしょ。


10年後になにか目標とかKPIとかを立てて、それにまい進する。そういうことができる人もいるのでしょう。たいしたもんです。尊敬します。ええ。でもぼくにはたぶん「そういう風な性質」の努力はできないのです。


ではどういう努力ならできるのかというと、それがタイトルにあるとおり「来た球を打つ」ことです。「来た球」に対して、どんな角度でバットを当てるかとか、どういうバッティングをするかは一生懸命考えられます。

ちなみに、ニートのときにつらかったのは「球が来ない」こと。「球を投げてもらう」ためには、会社なりなんなりに社会にコミットして「球が来る位置」を確保しなければいけません。

10年後はわからないけれど、「来た球」については頑張って考える。ぼくにはそれしかできません。「来た球」を打ち続けていたらまた何か起きるでしょうが、そのときはそのときです。


繰り返しになりますが、「10年後の目標」を立てることができる人は立てていいと思います。そして、それができるというのはすごいと思う。いやー、立派なもんだ。

けれど、だからといって誰しもが、10年後や20年後の人生について計画を立てなければいけないなんてことは言わないでほしい。そういうことを言ってくるコンサル風情には、その安物のヅラ剥がしたろうかと思ってしまうのでした。