いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

今年1年を振り返って何もしてないと気づいてしまった話

17日に放送していたラジオ番組「おぎやはぎのメガネびいき」で、矢作さんが、共感せざるを得ない話をしてました。

この日はおぎやはぎのふたりが、「今年の漢字」に「安」が選ばれた話題から派生し、自分たちの2015年を振り返っていたのですが、そこで矢作さんが「何もしていない」と言い出したのです――

矢作:だから今年何にもしてないよね。なんにもしてなくない?
小木:なにか自分の中で目標を立てて、それがちゃんと達成できたとか。そういうのもない?
矢作:今年? …いや、俺よく考えたら、毎年何にもしてないよね!
(一同笑)
小木:(笑)気づいちゃった
矢作:何にもしてない。なにか目標を立てて、資格をとりましたとかさ、なんかあんじゃん?
小木:なんにもないね
矢作:俺何にもしてない!
小木:やばいね
矢作:まず、おれ何か始めるとか言ってない? なんでこんな何にもしてないの?
放送作家鈴木工務店氏:特にないですよね。すごいですね…それでずっとい続けるのは
矢作:よくそれでこんなラジオやって、毎回話がよくあるよね。おんなじ話ばっかしてるんだろうけど…参ったね!

いやこれ、この感覚、めちゃくちゃわかるなーと思いました。
「何もしてない」といっても本当に何もしてないわけではない。現に彼は毎日のようにテレビで見かけるし、現にこの発言はラジオ番組でのことですから、仕事はしているのです。彼と比べるのは非常に僭越ですが、ぼくも仕事はしています。そして、仕事上でもけっこう大きな変化がありました。

でも、ここでいう「何もしてない」はそういうことではないんですよ。仕事は基本的には協業です。何かまっさらな新事業を立ち上げるといったことでもないかぎり、自分ひとりのものではない。勝手に進んでしまうところもあるわけです。


ここでいう「何もしてない」は私生活においてのことです。私生活において、何か自分で考えて自分で動いて自分で達成した、ダイナミックで、ドラマティックで、ファンタジックな目標があるかというと、「何もしてない」ことになるのです。この感覚、とくに未婚の人にはわかってもらえるのではないでしょうか。

(映画『マチェーテ』より)


表面的には仕事をしているし、家に帰ったらネットや映画やテレビ、マンガを楽しんでいるのですから、「何かはしてる」のですが、それらは「特に力を入れているのは」といった枕詞のフィルターをかけてしまうと、とたんに除外されてしまう。これぞという何かがないわけです。

今年に関していえば、10年ぶりの海外旅行で米ラスベガスに行きましたので、何もしてないというのも変です。けれどあれも旅慣れた強力な助っ人におんぶに抱っこ状態であったので、自分で考え自分で動きというとちょっと違う。かなり重い腰をおぶってもらいました。

(映画『タイタニック』より)


これが、結婚して子どもでもいるようなら、ちがうのかもしれません。なにより、子宝に恵まれるのはそれ自体が大偉業です。そしてそれに続く子育ても一大事業でしょう。そんな大業を前にしては、個人的な目標について腰を据えて考える暇はないですし、しなくていいのです。おぎやはぎのラジオでも、何もしてない自分に驚く矢作さんに対して、妻子のある小木さんがどっしりと構えている様子だったのが、印象的でした。

逆説的にいうと、子育ても結婚もしていない独身のうちはどうしても、意識的にでも動かないかぎり「何もしない」日々が続きがちになるのかもしれません。きょうも明日もあさっても、1年後も5年後も10年後も、ほとんど何も変わらない。それはまるで東浩紀氏がかつて提唱した「ゲーム的リアリズム」のように。


さて最後に、ぼくの話に戻りますと目標がないわけではありません。いつかラジオDJになりたいと思っております。ラジオDJになって、授業中なのに勝手におったつチンコを持てあます10代男子の恋の悩みを聴いてあげたいのです。今はその目標に向かって、粛々と積み重ねていくしかないのかもしれません。
これを読んでいるあなたは今年、達成した! 実現した!といえる何かがありましたか? 

(映画『となりのトトロ』より)