いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】アンヴィル 夢を諦めきれない男たち ★★★★☆

80年代のメタルブームの最中、その波に全く乗れなかったバンド・アンヴィルの現在を追った約80分のドキュメンタリ映画。


アンヴィルの現状、それを一言で言うならば、もうめちゃくちゃ惨めです。
冒頭、メタリカやガンズ・アンド・ローゼスのメンバーが、これでもかとアンヴィルをべた褒めするんです。
けど、メタルに詳しくないぼくですらメタリカやガンズの名前ぐらい知っているのに、彼らが語る当のアンヴィルについては見当もつかない。そんな不思議な感じがこの冒頭にはある。
場面は転じ、職場へと車を走らす主人公の1人リップスが登場する。彼と、彼の相方といえるロブの現在の仕事は、ロックミュージシャンからすれば途方もないくらいかけ離れたものです。彼らにメタルの面影をかろうじて宿しているのは、歳に似合わず伸ばした髪の毛だけ。


映画は、そんな彼らの小規模なライブハウスを回るヨーロッパツアーから、新譜のレコーディングと、できた作品をレコード会社に売り込むところまでを映す。
この映画の中で、彼らアンヴィルは幾度も惨めな思いをする。メタリカやボン・ジョビではありえないようなギャラの支払いでもめる場面も隠されない。
映画には全編、そのような惨めさや痛々しさが充満している。
けどそれだけでもないんです。
ある場面でロブが、ドラムと出会ったことをこれ以上にないというほど情愛たっぷりに語ります。彼にとってのドラムほど大好きなものがあるという人が、この世界にいったいどれだけいるだろう。そう、彼にとってはアーティストとしての成功よりもまず、ドラムという大好きな楽器に出会ったことが一つの成功なわけです。
また、レコーディングの中リップスとロブがぶつかりあい、決別寸前のところまでいってしまう。でもそれによってかえって2人は絆を強めるんです。月並みな表現ですが、こんな言葉しか浮かびません――けんかするほど仲がいい。
リップスとロブ、彼ら2人みたいに何十年も連れ添い、真正面から本音を言い合える親友がいる人がどれだけいるでしょう。
大好きなものとかけがえのない親友――彼らの現状は決して恵まれていないはずなのに、それでも羨ましく思えてしまう箇所がいくどとあるのは、多くの人が一生手にしないまま死んでいくこの2つを、彼らが手にしているからじゃないでしょうか。


結局、アンヴィルだけがなぜ売れなかったのかということに、映画は触れない。冒頭の有名ミュージシャンらの賛辞が実はリップサービスアンヴィルにもともと才能がなかったのかもしれないし、彼らに才能があっても時の運にめぐまれなければ売れないという世界なのかもしれない。
とにかく映画はそれについては語らないんです。それは彼らへの敬意でもあり、優しさでもあるように思えました。


また、アンヴィルからは、少なくともこの映画からは、売れていった他のバンドへの妬みや嫉みはあまり伝わってこないんですよね。ぼくが自分の身に置き換えてみたら、自分の身近にいた自分と同じような趣味の人間が、有名人になってしまったら、嬉しい気持ちや誇らしい気持ちとともに絶対に妬みや嫉みがわいてくると思うんです。
けれどアンヴィルにはそれがない。かといって、売れてない現状に開き直っているわけでもない。
おそらく彼らにとって他のバンドがどうだというのは関係なくて、あくまでも自分たちは、自分たちの音楽は通用するのかということだけが大事なんですよね。


その一方で、ぼくは映画を観ながら彼らを救えるような「気休めの理屈」も考えてしまいました。
「正義の見方」という松本人志の傑作コントがあります。その中に出てくる「ウルトラマンほど大きくないけど、かなり大き目な仮面ライダー」が、こういうセリフが発します。
――おっきいリンゴとちっちゃいスイカはどっちが大きいんかな〜

アンヴィルをプロのロックミュージシャンとみるなら、惨めさだけが目立ちます。
けれど、彼らが「一般人」だとするとどうでしょうか。お前らのことが好きだとプロモーターを買って出る女性がいて、さらに小規模ながらヨーロッパツアーまでやれる。さらにお前らの音楽はいいとプロデューサーを買って出てくれる人だっている。家族も半ば呆れながら、彼らの活動を黙認し続けてくれる。
そんな「一般人」、恵まれすぎているといえるほど恵まれているといえるんじゃないでしょうか。


と、ここまで書いみていうのもアレですが、アンヴィルは絶対にこんな相対主義的な考え方は受け入れないでしょう。彼らはこんなことをいって現状に甘んじないし、甘んじちゃいけないんです。第一、こんな考え方をしてる時点で全然ロックじゃない。
そう考えると、ぼくなどはブレークしたバンドはおろか、きっと「アンヴィル」にすらなれないんだということを痛感するわけなのでした。