ファミレスのウェイトレスとして生計を立てるテルマは、専業主婦の親友のルイーズを誘い、知人の別荘で休日を過ごす計画を立てる。テルマは夫に計画を言えぬまま助手席に乗るが、充実するはずだった2人のドライブは、あるバーに立ち寄ったことから歯車が狂い始める。ある諍いから、ルイーズが人を殺してしまうのだ……。スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス共演。
本作でリドリー・スコット監督が描いているのは、リアリズムに則した女性同士の逃避行というより、もっと抽象的で寓話的な「女性の解放」だと思う。彼女らはただ殺人罪による指名手配を受け、逃げているのではない。女とその性を組み敷き、思い通りにしようとする男たちから、全速力で逃走しているのだ。テルマの夫を含め、刑事などの追う側が全員男で、発端となった事件についても言わずもがな。これほどあからさまなものはない。そう考えると、やや主人公2人に都合が良すぎる展開も憎めなくなる。
本作は、女性の「性からの自由」を描くと同時に「性への自由」も描く。流れ者のJD(ブラッド・ピット)といい仲になってしまったテルマが、一夜明けてルイーズに見せる充実した表情が印象的だ。夫しか男を知らず、その夫からも気持ちのよくない行為を強要されていた彼女にとっては、気持ちのよいセ●クスというもの自体が初体験だったのだ。でも、こういう風に、出会った男のせいでセ●クスに対してネガティブというか、義務的なものを感じている女性は、思いの外多い。
けれどこの「性への自由」には(ただし男の手によって)というかっこ書きがつく。「性への自由」は「男からの自由」でもあるはずが、異性愛者である以上、それはどうしても男の手を借りることになってしまう。映画では都合よくも(?)、このJDがとんだクソヤローだったことがこの後に発覚することでテルマの彼への愛情は冷め、「"男の手による"性への自由」というアポリアを打破した格好になっている。
崖に追い込まれる結末については、確かに凶悪事件を起こしたわけだが、警察側も罪の軽減はあると言っているのだから何もあそこまでしなくても、という唐突さは否めない。
けれど、先述したように本作を寓話的に解釈すれば、その意図もわからなくはない。男に組み敷かれるのも、そして男に守られるのも拒否した彼女らが、最後に見つめたってほほえみ合みながら突進するシーンはなんとも美しくて切ない。ぼくはなんとなく『明日に向かって撃て』を思い出した。
ただこの結末について、フェミニストからしてみれば苦笑いせずにはいられないかもしれない。結局もってあたしらが自由になるためには、死ななきゃならんのかい、と。監督が男であることを鑑みると、本作は結果的には入れ子状に男の幻想の中に絡め取られているのでは、という誹りもあるかもしれない。
その点では、今年公開のディズニー映画『アナ雪』や『マレフィセント』は、20年以上の時を経て、この作品の結末を現実的かつ、持続可能なところに着地させたと、いえるかもしれない。
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