最近街で見かける「昔のTSUTAYAみたいな鞄」クラッチバッグとは?
昨年、「いなりずしみたいなバッグ」が流行していることに気付き、調査した。
最近街で見かける「いなりずしみたいなリュック」コートエシエルとは? - 倒錯委員長の活動日誌
ファッション音痴のぼくであったが、苦心の末に「コートエシエル」とのバッグの名前にたどり着いたのだ。
そして今年も、また気づいてしまったのである。実は流行っているが、名前のよくわからないバッグに。
「コートエシエル」が「いなりずし」なら、今回見つけたバックは「昔のTSUTAYA(VHS時代のやつ)の返却用かばん」に似ている。
で、今回もグーグル先生にお伺いを立ててあくせく調べた結果、出てきたのがこちら↓
ほら、昔のTSUTAYAのかばんに似てるでしょ!? これを手に抱える男子をよく見かけるのである。
クラッチバッグと呼ぶそうだ。
けれどもだ。外見的には我らが日本のおやじの三種の神器の一つ「セカンドバッグ」と大差はない(他二つの神器は何か知らん)。
こちらが、251勝(247敗)のレジェンド・東尾修氏が実践する正しいセカンドバックの持ち方である。
両者のいったいなにが違うのだろう?
セカンドバッグとクラッチバッグの違いについてこう書いている記事もある。
本当はセカンドバッグとクラッチバッグは同じものを差(※原文ママ)しているのですが、日本では昔からおやじ達が持っている例のバッグをセカンドバッグと呼び、新しいカジュアルでお洒落なものをクラッチバッグと呼んでいます。
結局同じモノやないかい。
ダセえおやじが持っていたらセカンドバッグ、オシャレ男子が持っていたらクラッチバッグってことでしょ?
それってつまり、こういうことではないか。
まあそれはよいとして、ぼくはクラッチバッグ=セカンドバッグが流行ることが解せない。
オシャレなど人の自由であり、とやかく言うのは野暮である。
けれど、ぼくはクラッチバッグ支持者にどうしても心にとどめておいてほしいことが一つある。
ぼくからすれば、クラッチバッグを持つ利点がわからないのである。デメリットしかない。
そのデメリットとは、「手が塞がる」というその一点に尽きる。
かばんは人類が生み出した偉大な発明である。かばんを使うことで、大きな荷物をもって移動するときも手が自由なのである。この、人類史上もっとも器用に使える部位が。
あまりに身近すぎて、みな手の恩恵に気づいていない。
絶妙な圧力を作るのである。
ITでもなんでもない。こんな自然由来の精密な機械は他にないだろう。
なぜそのかばんの利点を、わざわざ放棄するのだろう。背負うなり、体に巻くなりしなさいよ。
手提げかばんならまだわかるが、クラッチバッグの場合は取っ手さえついていない。疲れるし、落ち着かないだろあんなの。
おそらくクラッチバッグ支持者からすれば、こういう主張は実用性だけを求める味気ない思想なのだろ。
そうである。冒頭に書いただろ、ぼくはファッション音痴だと。
まあそれはそれとして、若者のファッションに難癖をつけるようになったあたり、ぼくもセカンドバッグを持っていないだけでただのオヤジになった証拠かもしれない(来月30歳)。