いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ヤフコメ健全化を謳いながら「ヤフコメ奴隷」を増やそうとするヤフーの言行不一致

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社会のゴミ、デジタル産廃として広く親しまれているYahoo!ニュースのコメント欄、通称ヤフコメについて、その胴元であるヤフーが運用を厳格化し、ポリシー違反のコメントを削除することに乗り出したという。

www.itmedia.co.jp

もともと、酷いコメントを量産する強者には肩叩きをしていたというのだが、今回の変更から、酷いコメントが多い記事のコメント欄はそれ全体を非表示にするという。確認すると、たしかにコメント欄が全て閲覧できなくなっている記事もあることにはある。主に皇室関係だが。

検索してみると、ヤフーのヤフコメ対策については、涙ぐましい努力の跡が見受けられる。

Yahoo!ニュース コメント 取り組みまとめ - Yahoo!ニュース

しかしそもそも、今やほとんどのニュースポータルが掲示板を廃止している。そんな中、なぜコメント欄なんて旧世代の異物を、腐っても日本最大のニュ―スポータルであるヤフーが、未だに温存しているのだろう。

Yahoo!ニュースのコメント欄は、ニュースや世の中のできごとに関連する多様な意見や考え、感想があつまる場所です。

コメント欄で他の人の意見や考えに触れることが、自分の考えを改めて整理したり、ニュースをより深く、多角的に理解したりするきっかけになると考えており、また、それをインターネットだからこそできる方法で促進したいと考えています。

コメントポリシー - Yahoo!ニュース

と、意識の高いお題目はあるのだが、実際のコメント欄があんな感じなのだから、この文章を書いている人は死んだ魚の眼をしていただろうね。

絶対に荒れない掲示板はない。このことは、インターネットカルチャーにどっぷり浸かり切った者なら、経験則として誰でも分かるはず。それを、日本最大のニュースポータルを運営されるヤフーの運営者様方が、知らないはずがない。掲示板を構えるということはそういうことだ。掲示板が健全化することはありえない。それは、「白い黒」という色を作ろうとするようなものだ。

高尚なお題目を剥ぎ取っていった先にあるのは、やっぱりPVなのだろう。地獄の底から湧き出たようなクソコメントが表示されているときでも、あなたのモニタにはしっかりと広告が貼り付けられてある。コメントした者が再度そのページに反応を確認しに行くだろうから、ヤフーニュース全体のPVの中でヤフコメ欄が占める割合もバカにはならないと思う。

 

「コメント欄の健全性を向上させる」というヤフーだが、その方向性と逆行するような施策を放置している。

その一つが、「グッド/バッド」ボタンだ。一定数のバカは自分のコメントへの反応のほしさでしこしこクソコメントを生産しているわけだ。「グッド/バッド」を廃止すれば、「反応がほしいバカ」を間引き得るため、健全化の一助になるだろう。

 

さらに、最近知って驚いたのだが、ヤフー・ジャパンのニュースアプリを開くと、マイページのところに下記のようなページがある。

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まるで、やっすい課金アプリのログインボーナスの様相を呈している。このページは明らかに、脳の報酬系を刺激する仕掛けだ。ヤフーは「コメント欄の健全性の向上」を謳っておきながら、反面、こうして「コメント奴隷」を生み出す仕組みの着々と構築しているのだ。

 

ヤフコメの健全性を向上させる方策は「閉鎖する」か「過疎化させる」か、この2つしかない。ヤフコメを廃止したってヤフー以外は誰も困らない。「ニュースや世の中のできごとに関連する多様な意見や考え、感想があつまる場所」は今の時代、ヤフコメ以外にもいくらでもある。

コメント欄の健全化という高尚なお題目を掲げながら、内実は「グッド/バッド」ボタンを温存し、アプリには「コメント奴隷」を増やす仕組みを仕掛ける。ヤフーは言っていることとやっていることがあべこべだ。

200勝がなんぼのもんじゃい

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松坂大輔が引退した。西武ファンではないし、個人的に強い思い入れのある選手でないけど、プロ野球史に残る偉大な選手なのは間違いない。

 

そんな中、気になったことがある。メディアのムードが「悲しい」に寄りすぎていないか? もっと、「お疲れ様」だ「すごい選手だった」というニュアンスがあってもよかったじゃん?

わかるよ。もちろん、そういう「悲しい」のムードは、「名残惜しい」という感情の変奏なのだろう。あるいは、キャリア晩年はずっと怪我との戦いだったということもある。まともにローテーションを守れず、ファンの前でかつての快投を見せられなかった、ということもあるだろう。

 

しかし、このマスコミの「悲しい」というムード全体のなかに、「あの松坂大輔も200勝できなかった」という成分が一滴も含まれていない、といえば嘘になるだろう。みんな、松坂には200勝してほしかった、いや、松坂には200勝させてあげたかった、ぐらいの気持ちだったと思う。

 

200勝。この数字はプロ野球では特別な意味を持つ。名だたる名投手たちが、通算200勝を達成し、万雷の拍手を浴びながら、名球会の証であるあの栄光のブレザーに袖を通してきた。それはプロ野球選手にとって一つの夢だ。

先発投手にとって、名球会入りのために必要なのは「200勝」だ。しかし同時に、野球の投手の「勝ち負け」という成績ほど、不合理な成績もない。先発が5回投げ切らないと勝ち負けはつかないのだが、原理的には、先発がいいピッチングをして折角リードしたままマウンドを降りても、次にピッチャーが打たれたらその勝ちは消える。さらにそこからチームが再逆転すれば、場合によっては「一度逆転された投手」に「勝ち」がつくことさえある。

これは可能性の話ではない。野球ファンならおなじみの現象で今シーズンも幾度となく起きているだろう。1球投げて1アウトを取っただけで勝ちがついた投手がいれば、ノーヒットノーラン完全試合をしても、味方が1点も取ってくれなかったら勝ちがつかなかった投手もいる。ことほどさように、「200勝」というのは、投球の能力以外に、運と悪運に左右されすぎるのだ。そんな「勝ち」の価値とは? 

 

でも、それがプロ野球ファンの心をいつまでも巣くう200勝である。もはや呪いといっていい。松坂自身も、引退会見では、心残りがあるかと聞かれ、東尾修にもらった200勝のボールを返せなかった、と語っていた。松坂がプロ入りしたとき、当時の西武・東尾監督が200勝を挙げたときのボールをもらったため、恩返しで自分も同じ快挙をあげたかった、というわけだ。松坂にも自分のように200勝してほしかったなら東尾さん、もっと丁寧な起用をしてよ、とは思うがそれはともかく、松坂自身が200勝を目標にするというのは、個人の自由だしそれはそれでいい。

 

問題は、ファンまでも「200勝」を一つの到達点だと過剰に意識しすぎることだ。これまで書いてきたとおり、200勝は運の要素が強すぎる。それに、得られるのは名球会というおじいちゃんの会への入会。あんなだせえブレザーをもらって何がうれしいんだ。

松坂大輔は球史に残るスターだ。夏の甲子園での漫画の主人公のような活躍に始まり、プロ野球では人気に火がつく前のパ・リーグを盛り上げた。プロ入り初マウンドで片岡篤史にバットを叩きつけさせた155キロのストレート。イチローとの対戦。中村紀洋タフィ・ローズらパを代表する強打者たちの名勝負。メジャーリーグ移籍、WBC優勝…あげ出したらキリがない。

松坂は大投手であり、そのことはたかが数字などに一ミリも左右されることではないのである。

エイジズム、ルッキズムを先取り 今解き放たれる幻のロメロ作品『アミューズメント・パーク』とは?

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今日から公開された“ゾンビ映画の父”ジョージ・A・ロメロが監督した『アミューズメント・パーク』は、長らく封印されてきた作品だ。

youtu.be

本作は、もともとは年齢差別や高齢者虐待について世間の認識を高めるために、ルーテル教会がロメロに依頼した企画だった。しかし、出来上がった作品には老人の悲惨な状況が容赦なく映されており、そのあまりにもストレートに当時の米国社会を描いた内容に、依頼者はおののき、未発表のまま封印されていた。

https://www.crank-in.net/news/91867

 

後世の映画ファンからしたら、ロメロに教育映画を依頼するヤツ、頭イカれてんなあ! とは思うのだがそれはともかく、本作は“ゾンビ映画の父”とは一味違ったサイコホラー、約40年間日の目を見なかった珍品である。

まず、アミューズメント・パーク=遊園地×おじいさん、という組み合わせにハッとさせられる。遊園地はそもそも、カップルや子ども連れの若い家族が来るような場所で、暗黙のうちに老人が排除された場所だ。そんな舞台であるからして、老人(=招かれざる客)がいろんな酷い目に遭うというのにふさわしい、と考えたかは知らないが、考えたとしたらなかなか底意地の悪い作り手の発想である。いや、これは褒めているのだが。

本編の最初は、真っ白い部屋の中。頭から血を流し、ボロボロになった白いタキシードのおじいさんが辛そうに俯いて座っている。そこに、まるで正反対の新品の白タキシードで生気に溢れたおじいさん(リンカーン・マーゼル)がやってきて「何かします?」「話します?」「外に出てみます?」などといろいろ聞くのだが、ボロボロのおじいさんはもう生きる気力も失ったのだろう。鈍く反応するが、全てについて拒否したあげく、「外には何もない。本当になにもないんだ」と訴える。

これを無視して、外に飛び出した主人公の元気なおじいさんを、これでもかと精神的、物理的に追い詰めていく“アトラクション”が見どころ。怪我したので診てもらいにいくと、長い列に並ばされてたらい回しされたあげく、もう一度列に並び直してください、と言われるという地味に嫌~なのから、ハーレーに乗った野郎どもに鉄パイプでボコボコにされる直接的なものまでさまざま。

老人ばかりが舞台に挙げられるフリークショー(見世物小屋)では、若者たちから罵声が飛ぶ。荒唐無稽なようだがしかし、これはエイジズムはおろかルッキズムさえ先取りしているようにさえ思える。

ゴーカートでオカマを掘った高齢の婦人が、相手側(=若い男性)の過失を訴えても、現場検証の警官に信用されないシーンは、現代にも通じるものがある。今日ほど「高齢者の運転」が白眼視される時代もないだろう。

精神的にも肉体的にも、アミューズメント・パークでボロボロにされた主人公のおじいさんは最初の白い部屋に戻ってくる。打ちのめされ、俯いて座る彼は、もう冒頭で座っていたボロボロおじいさんと瓜二つ。よく見ると、冒頭のおじいさんと同じマーゼルが演じていることに観客は気づく。

そこにまた、何も知らない元気なおじいさん(このおじいさんもマーゼル!)がやってきて、何も知らず喜び勇んでパークへと出ていくところで映画は終わる。

同一人物が3人のおじいさんを演じることは、「結局、同じことの繰り返しだよ」ということを暗示しているように思える。映画の冒頭では、ストーリーテラー(彼も演じるのはマーゼルなのだが…)が少し長い前口上のあと、最後に「皆さん、忘れないでください。“あなたもいつかは老いる”」と付け加える。これほど、高齢者差別への抑止となる言葉もないかもしれない。

 

ジョージ・A・ロメロ監督作『アミューズメント・パーク』はシネマカリテにて10月15日公開。

“子ども向け映画”の枠をぶち破り現代社会に接続する『クレヨンしんちゃん』

今さら感がすぎるのだが、先日、『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』を観てきた。

映画クレヨンしんちゃん 謎メキ! 花の天カス学園 (双葉社ジュニア文庫)

延期されていた劇場公開が7月30日からで、10月のこの時期にまだ上映されているということが物語っているとおり、名作だった。

全寮制のエリート校「私立天下統一カスカベ学園」に1週間の体験入学で訪れたしんのすけらかすかべ防衛隊。そこで彼らは、ある事件に巻き込まれる。

「本格(風)学園ミステリー」と銘打っているとおり、かわいげのある内容ながら、きちんと謎とある程度は納得できる真相、犯人が用意されている誠実な作りなのだが、なにより、子どもも大人も楽しめる2層構造になっているのが驚くべきところ。

おそらく子どもが観ても「誰が犯人か? どうやって?」という興味で前のめりになっていくようになっているが、いくぶん見方の解像度が上がる大人には、もっと深くて重くて感動を呼ぶ別の要素が用意されている。

 

唸ったのは、自由気ままなしんちゃんとは水と油の関係である、エリート志向の風間くんの関係性だ。

本作では、クライマックスで風間くんが“スーパーエリート”という全知全能の存在になり、それまでなんだかんだで仲の良かったしんちゃんらかすかべ防衛隊の仲間たちを見捨てようとする。

しかしこれは、ふとした思いつきで描かれるような奇想天外な筋書きでもない。「もしも、しんちゃんと風間くんを幼稚園を卒園したら…」という先に待っている暗い未来を思い起こさせる展開なのだ。

思えば幼稚園というのは、家柄、所得階層、偏差値というステータスから子どもたちが守られた最後のユートピアだ。そこを分岐点に「エリート」と「庶民」のライフコースは袂を分かち、成人する頃にはとてつもない「格差」となっている(もっとも幼稚園からのお受験組からしたら、「分断」はすでに幼稚園から始まっているとすらいえるが)。本来、かすかべ防衛隊は卒園と同時に“解散”する。それは避けられないことなのだ。

 

しんちゃんたちはその“解散”を食い止めようと奮闘する。でもそれは、単に風間くんという仲間を取り戻し、仲直りしようとする健気な姿だけにはもう映らない。

しんちゃんたちの姿は、大人の鑑賞者にはそこから嫌が応にも広がることが決定的な「分断」をなんとか阻止しようとしている姿に見えてきてしまう。もちろんしんちゃんたちはそんなことを知らない。「分断」や「多様性」や「ダイバーシティ」なんて言葉を使うこまっしゃくれたガキではない。子どもの鑑賞者がミステリー要素で惹きつけるのとは別に、大人の鑑賞者はしんちゃんら子どもたちに、「あり得たはずの自分」を見てしまう。だから感動的なのだ。

 

本作の驚くべきところは、自由気ままなしんちゃんと、エリート志向が強い風間くんという、もはや20年を超える“コンビ芸”をさらにハックしたところである。おぼん・こぼんほどではないが、十分マンネリになっておかしくない“コンビ芸”のはずが、そこを掘り下げ、現代社会の生々しい問題へと接続してみせた。

クライマックスで、元に戻った風間くんから「何考えてるんだお前」と投げかけられたしんちゃんが「日本の未来」と返答してみせる。“親ガチャ”や“分断”というワードで説明付けられてしまう今の時代だ。しんちゃんの言葉が本作を言い表しているとすれば、あながち間違っていないかもしれない。

自己啓発本・ビジネス本を嫌悪 “読書家”のめんどくさいプライドの正体

バカになるほど、本を読め! (PHP文庫)

もう削除されてしまったが、ツイッター上で一昨日ぐらいから、とあるブックリストが炎上していた。

「苦しい時に助けてくれたのはいつも本でした」と大上段に構えておきながら、蓋を開けてみたら、ブックオフで大量に投げ売りされているようないわゆる「ビジネス本」や「自己啓発本」の類が100冊並べられており、"読書家"の界隈から「そっちかよ!」とツッコミが飛んでいた。

 

しかし、よく考えてみればこれは理不尽なことである。ネットメディアの台頭、娯楽の多様化、書店の激減、「本」をめぐる環境がますます厳しくなっていく中、いざこうして「こういう本を読もう」と呼びかけたところで、ディスられるのである。先ほど確認すると、選評者はツイッターを休止してしまった。かわいそうに。お前らのせいだぞ。

 

“読書家”が自己啓発本やビジネス本を嫌悪する理由はいくつかある。

一つには、科学的に根拠の乏しいオカルトめいた理論があるだろう。フィクションや個人的な意見の集積のエッセイならば看過できるが、「今日から使えます!」という触れ込みでトンデモ理論が流通するのは、たしかに少し危険な気もする。それは分かる。

 

ただ、そうした科学的な確証の問題とは別次元で、“読書家”にとって「本」と「本の形をした本ならざるもの」を区別する、もっと濃くて太い線引きがある。それは、本が目的になっているか手段になっているか、だ。

自己啓発本やビジネス本といったものを“読書家”が嫌う理由は、「手段になっている本」だからにほかならない。彼らがハウツー本を嫌い、ハウツー本を指して「本を読む」と評する人が嫌いな理由は、そこにある。

 

もっとも、小説や絵本などのフィクションならともかく、"読書家"が仲間にしたがる「新書」や「学術書」「教科書」だって知識が学識を得る「ため」の本であり、一見、「手段の本」に当てはまりそうだが、そうではない。

「読書家」の好みをさらに突き詰めてみると、その知識や学識が「何かの手段」でないことが重要なのだ。

 

誰が、全体主義国家のプロパガンダの変遷についての知識を生活習慣に取り入れるだろう。

 

誰がトラクターの歴史を会社の同僚との雑談で披露するだろう、

 

現代が能力主義の皮を被った“生まれ”の支配する時代である、という話が、友達とお茶するときのネタになるだろうか。フルーツサンドがまずくなるだけだろ。

 

“読書家”にとって重要なのは、今日明日とすぐに活用できるような「即効性のある情報」でないこと。そういう情報ではあってはならないのだ。彼らはそうした本を避けて、さらには小馬鹿にすることにある種のプライドさえもっていると言っていい。「ためにならない、それを読むこと自体が目的になる(そう思うしかない)本」こそが、いわゆる“読書家”に求められているわけだ。

 

そう書いていると、どうも“読書家”にとっての「本」というのは、酒やタバコのようなもののような気がしてきた。それ自体、生きるためになんにもためにはならない(さらにいえば生きる上で有害かもしれない)、嗜んでいることそれ自体が楽しい、至福のときをつくる、さらにそれを嗜んでいるときの自分が誇れる、そういう類の嗜好品なのだ。そんな彼らからしたら、自己啓発本やビジネス本のたぐいは、健康食品みたいなものなのかもしれない。即効性を求め過ぎなのだ。

しかし、繰り返しになるが本は本である。その中で、恣意的に自己啓発本とビジネス本だけを仲間外れにし、バカにしているのは彼らの歪んだこだわりだ。さらに言えば、「こいつら(自己啓発本やビジネス本を読む人)と同じだと思われたくない」という気持ちも作用したのだろうと思われる。はっきりと同族嫌悪である。

 

と、ここまで書いておいて、ではお前はどうなのだと問いかけられたら、私ははっきりと「ため」の本が嫌いなわけで、件のブックリストに対しても嫌悪を向ける側の人間だ。

そんなぼくからしたら、こんなめんどくさい「読書家」たちがお騒がせしております。ご容赦くださいというしかないのである。

【キングオブコント2021】好きだったネタBEST3【優しい世界】

キングオブコント20201』は審査員の新陳代謝が大成功し、なおかつ近年まれに見る高いレベルでの戦いで、満足度が高かった。今日は、個人的に好きだったネタ3つについて書きたい。

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うるとらブギーズ

蛙亭ジェラードンと強烈なキャラクターが持ち味のネタが続き、3番目の男性ブランコ入れ子構造の知能指数の高いコントを見せつけ、4組目に登場したうるとらブギーズが繰り広げたのは、練りに練られたシチュエーションコントだった。

迷子センターに大慌てでやってきて、はぐれた愛する3歳のわが子の特徴を早口でまくしたてるお父さん(佐々木崇博)。その特徴がありえないほど奇妙キテレツで…という面白さで一山作るのだけど、折り返した後半、今度は館内放送でアナウンスする係の男(八木崇)がある意味で主役になる。

彼はありえない子どもの特徴をまじめにアナウンスしなければならないが、面白すぎてそれができないのだ。まさに「緊張と緩和」というお笑いの法則。努めて平静を装ってアナウンスしようとするも、無言になったり声が裏返ったりする八木の姿が爆笑を生んでいく。これが面白いのは、前半で「子どもの異常な特徴」が視聴者の脳に十分に浸透していたからだろう。想像力豊かな視聴者は、さらに3歳児の異常な特徴を伝える異常なアナウンスが流れている(どこかは分からないけど)館内の図も絵に浮かんで、余計おかしい。

二度も三度もおいしいコント。審査員の小峠も導入自体はよくあるパターンだったが、そのあとの展開について指摘して「見たことない」と絶賛していたけども、そのとおりだと思う。情景が浮かぶ、奥行きの広い笑いだったと感じた。

ニッポンの社長

そのすぐ次の5番手で出てきたニッポンの社長のコントも好きだ…。個人的には今大会で一番好きかもしれない。

バッティングセンターで黙々とバッティングに励む高校生(辻)。それを傍らから眺める全身くすんだ色をしたおっさん(ケツ)。

ケツの“関西のおじさん”感が、もうこの時点でちょっとおもしろいのだけど、そのあとの意表を突く少しバイオレンスで、少しマゾヒスティックでもある展開が素晴らしい。ボールが肉体や頭蓋に当たる際のリアルな鈍い音、そしてそれと連動するケツの仕草も見事。最後の方の狂気的な展開もたまらなく好み。

構造が単線的で、またオチが弱いと見る向きもあり、それゆえに十分に評価されなかったけれど、たとえば、夜寝る前にふと思い出して吹き出してしまいそうになる、「尾を引く笑い」を生むコントだと思う。

ザ・マミィ(1stラウンド)

1stラウンド8組目に登場したザ・マミィのコントは、“街のヤバいおじさん”というよくある導入。酒井貴士扮するやや舌っ足らずなおっさんの「リアリティ」が光るのだが、そのヤバいおじさんをさらにヤバい狂気が強襲し、ツッコミに回らせてしまう展開が斬新だった。

ヤバい(はずの)おじさんの「偏見とかないの!?」「俺2、30年ぶりだぞ人と話したの」「もっと人を選べよ、俺はまだわずかに自我が残ってたからいいけど、もう完全にそうでないやつもいるからね」という、今のテレビではおそらくぎりっぎりなパワーワードもことごとく当たっていく。

自分で自分を貶めるツッコミをしてしまう、つい我に返って落ち込むおじさんなのだけど、最後はハートウォーミングなのか何なのか分からないミュージカルで締めてインパクトしかなかった。

 

昨日、大会後に友達としゃべっていて言われて気づいたけど、今年のネタはとにかくハートウォーミングというか、(少なくとも登場人物にとっては)グッドエンドなネタが多かった印象。コントの大会にも優しい笑いが降り注ぐ。そういう時代なのかもしれない。

【最終回から早1週間】『ダイアンのよなよな』好きだったところ100個挙げてみた

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最終回からもう1週間。『ダイアンのよなよな…』が聴けない月曜夜10時が来てしまった。

今回は、「本当の親友は好きなところが100個言える!」というテーゼに乗っ取り、これだけ好きだったんだから『ダイアンのよなよな…』の好きなところ100個を挙げられるか挑戦してみた。

【注意!! 下記はダイアンもしくは『よなよな…』に興味関心がない方には一切配慮されていないテキストの羅列になります!!】

  1. 記念すべき第1回オープニングが信じられない間違えから始まったところ
  2. 番組の節目ごとにその第1回オープニングを振り返る謙虚さ
  3. 毎回、絶対に天気・気温の話から始まるところ
  4. フリートークが文句なくおもしろいところ
  5. ユースケの野太い声、津田の甲高い声のコントラストで聴きやすいところ
  6. 関東のテレビ番組に出てる時より津田がリラックスしているところ
  7. リラックスしている津田は凄い速さで質の高い喩えツッコミを繰り出すところ
  8. 放送中に飽きてきて紙に何か書き始める津田
  9. 「俺のおとん死んどんねん!」
  10. 「よっしゃー!」→「くそーっ!」
  11. 「この水飲めますよ」
  12. 「ぷぅ」
  13. 「素晴らしい」
  14. 学生時代の話になるとキャッキャキャッキャしだす2人
  15. 何度同じ学生時代の話してもおもしろいところ
  16. 高校落ちた津田と半年距離を置いていたユースケ
  17. 思い出の中の自分のことは必ずクールに描写するユースケ
  18. ちんかわのおさやん
  19. ロンペのレイアップ
  20. 我流ヒップホップガールズ
  21. 7年半が過ぎたけど結局「あひょーん」→「も~」の用法が分からなかったこと
  22. 足臭AD
  23. 音声さんのエルボー
  24. トークに登場するよしもと芸人がしぶすぎて関西圏リスナー以外はネット検索必須なところ
  25. よしもとの劇場(主に祇園花月)の登場人物渋めの楽屋話が聞けるところ
  26. ユースケが地元が同じ先輩シンクタンク・近江のこかじろうとガチ喧嘩したけどネットニュースにならないどころかよな月リスナー以外ほとんど誰にも広まらなかったところ
  27. ブロンクス中岡
  28. ブロンクス中岡にブチギレた津田の話
  29. スー姉
  30. ぢゃいこ
  31. 「事務所通して」 
  32. 津田の「えー!?(裏声)」の言い方
  33. ユースケの「怖い!危ない!」の言い方
  34. やけにメロディアスな武将様のオリジナルソング
  35. 毎回よく覚えられるなというぐらい長い武将様のオリジナルソング
  36. LINE LIVEで過去の回が聴けるところ
  37. LINE LIVEなのでバックグラウンド再生ができるところ
  38. 毎回LINE LIVEに映るユースケの私服がオシャレなところ
  39. 毎週、絶対1曲かけ続けていた長渕剛
  40. 名前だけかえてほぼおなじ内容のコーナーが何年も続いているところ
  41. たまに本当に意味の分からないネタメールが読まれて2人が困惑するところ
  42. もう1年も前に終わった『半沢直樹』関連のネタメールコーナーを1年続けたところ
  43. 一時期、NMB48が出演する謎の10分コーナーがあったところ
  44. 以前は3時間もあったところ
  45. ミルクボーイが全く無名な頃からフリートークに名前を出してあげていたところ
  46. M-1優勝したミルクボーイに番組の時間を30分譲ってあげたところ
  47. 一方、女と男の市川には本気で冷たい津田
  48. 飛び込みの東京五輪代表・寺内選手もリスナーだったこと
  49. YouTubeチャンネルについては示し合わせたようにお互いほとんど触れないところ
  50. オッドタクシーが大ブレークした圧倒的後乗りで声優を担当したことをアピールし始めるダイアン
  51. 政治・時事問題を話すと必ずポンコツ(ごんぼさん)になるところ
  52. 反面、スポーツのニュースにはやたら詳しいところ
  53. とりわけ男子陸上100mについて異常な尺を使って話していたところ
  54. とくに桐生くんに熱視線を送っていたところ
  55. 桐生くんが色気づかないか心配するユースケ
  56. 生電話コーナーの圧倒的な女性リスナー採用率
  57. たぶん日本のラジオ番組で一番最後まで「三重のYouTuber」をイジり続けたこと
  58. 小室哲哉がMAXに授けた「ボーン」
  59. 東京に進出したのに女性有名芸能人との交流など華やかな話はほとんど出ないところ
  60. 突然ぼっ発する津田のうんこ休憩タイム
  61. 西澤eyes
  62. ユースケがしれっと更新し続けているnoteについては一切触れないところ
  63. キングオブコント2018の裏で繰り広げられた滋賀県人会
  64. 滋賀県人会はみんなが一緒に見た夢なのだと思い込もうとする津田
  65. 滋賀県人会に友人を呼んでいたキミドリ古田
  66. 何かとカレーを振る舞おうとするユースケ
  67. 「君ら何漫才? 俺らスピード漫才!」
  68. やけに上手い津田によるオリラジがち喧嘩の再現
  69. ラジオなのに過去のテレビ番組のミサイルマンのロケをスタジオで放送して2人がコメントする謎の企画
  70. あるあるネタコーナー(「ダニー・カコ」「クライスト・ペネロペ」など)は何年もやっているせいで最後の方は頻繁にネタかぶりしていたところ
  71. あるあるコーナーなのに「それお前だけだろ」というネタが読まれるとき
  72. ABCお笑いグランプリ翌日に優勝したオズワルドでなく準優勝のカベポスターをゲストに呼ぶところ
  73. どんなことを言ってもネットニュースに全然ならないところ
  74. といいつつ、なんでそこやねんというところがたまにネットニュースになるところ
  75. ユースケ結婚発表はヤフトピにもなったところ
  76. M-1で怒った巨人師匠のモノマネを延々とやり続ける瞬間
  77. 津田がミサイルマン西代のことをガチで嫌いそうなところ
  78. 西代を批判するときの津田のキレ味
  79. おちょぼ口の脱走犯
  80. アルピー平子が後輩だと思って高圧的にいったらしっかり先輩だとわかって焦る津田
  81. ギャロップ
  82. ほぼ7年半ずっとつづいたギャロップ林のハゲ&おならイジり
  83. 本当はギャロップ林よりはるかに多く生放送中におならをしているダイアン
  84. ロシアワールドカップの滞在先から律儀に電話出演したにも関わらず容赦なくいじられても怒ることなく対応してくれた林
  85. 「ありがたいなあ」
  86. 「俺は大丈夫やんな?」
  87. そんなイジられたおした林がしれっとM-1グランプリに出る快挙
  88. 最終回1個前の林のあいさつはわりとガチで泣かせにきているところ
  89. 7年半の間に2回大きな問題に関与したスーパーマラドーナ武智
  90. 絶対やめたほうがいいのに泥酔して生配信してしまう武智
  91. 酔って「よな月」リスナーを罵倒 生配信で大喜利対決を挑んだ武智
  92. 毎回、ノンスタ井上の不祥事をはっきり「当て逃げ」と表現するダイアン
  93. ミッドナイト焼肉ダンスミュージック
  94. この7年半の間に大ブレークを果たしたおいでやす小田
  95. ヌートリア
  96. 最終回と1個前のディレクションが神がかっていたこと
  97. 最終回と1個前の選曲が神がかっていたところ(ユンコーンの『すばらしい日々』、サザンオールスターズ『旅姿六人衆』、長渕剛『とんぼ』etc)
  98. 憂鬱な月曜を最高に楽しみな曜日に変えてくれたところ
  99. 最終回の最後のブロックなのに鼻毛をいらいだす津田
  100. めちゃくちゃ面白いのに局の方針転換で終わるので「伝説の番組」感が強まったところ

無事100個いけました。

サンキューダイアンのよなよな、フォーエバーダイアンのよなよな。

 

 

 

 

 

ぷぅ