50代と40代のコンビの優勝という劇的な結末で幕を閉じた『M-1グランプリ2021』。
マヂカルラブリー優勝という驚がくの答えを出した昨年も偉そうに分析していたのだが、このとき書いた傾向は今年も継続し、より深化しているように感じる。
“終身名誉優勝候補”和牛が卒業した後の『M-1』は確実に、王者の漫才に文脈、つまり出場者固有の「生き様」や「ドラマ」、「物語」といった属人的な要素を欲する傾向にある。
今大会で審査員席に座ったナイツの塙宣之はかつて、その著書『言い訳』(集英社)で「よくできたネタ」の定義を下記のように述べていた。
ちゃんとしたネタとは何かというのも難しいところですが、一つの定義として『他の人でも演じることができるネタ』と言うことはできるかもしれません。
ハゲネタは、ハゲの人しかできません。チュートリアルの徳井(義実)さんやキングコングの西野君は、モテないネタはできません。だから、自虐ネタはフリートークだと言いたいのです。
僕らは東京の寄席に毎日のように出演しています。東京の寄席は落語がメインなので、落語からも多くのことを学びました。
落語家は同じ演目をいろんな人が演じます。それは話がよくできているからです。それをネタと言うのだと思います。
もっとわかりやすい例で言うと、親が子どもに読み聞かせるような日本昔話もネタだと思います。話が完成しているので、誰が読み聞かせても子どもは喜びます。
フリートークの時間に『桃太郎』の話をする人はいません。ネタとはそういうものです。漫才でも、桃太郎のようなよくできたネタを考えるべきなのです。
では、今回優勝した錦鯉のネタはどうだろう。たとえば、20代の若手漫才師が彼らのネタをそっくりそのままかけてウケるとは考えにくい。第一、ネタの設定が50代の時点でつじつまが合わなくなってしまう。
そう考えると、塙がここでつづっている意味では、錦鯉のネタは「よくできたネタ」とは言えないかもしれない。そんな彼らが今回『M-1』を獲ったのだ。
しかし、ここでいいたいのは塙による定義が間違っているということでも、今回の『M-1』のレベルが低い、ということでもない。
「誰でも真似できるネタ」はたしかに塙のいうように古典落語のごとく時代を超えて受け継がれていくネタなのだろう。しかし、近年の『M-1』という舞台に限っては、その上に「ドラマ」「生き様」といった文脈を欲する傾向がある、ということだ。ネタのクオリティだけで優勝が決まるのが漫才ではない。それは、『M-1』が『N-1(ネター1)』でないゆえんだ。
また錦鯉が優勝したことは、今回の『M-1』で漫才の技術やネタの構成力が軽視されている、ということを意味しているわけではない。決勝10組の漫才が技術的、構成力的に高水準で伯仲しているからこそ、演じている人の「生き様」や「ドラマ」という要素が、「あとひと押し」となるのではないだろうか。
あの支離滅裂に見えたランジャタイのネタでさえ、ネタ中で一度出た「将棋ロボ」のくだりを後半でもう一度なぞってより大きな笑いを誘う。ネタ全体の構成がまったくのデタラメでは、決勝の舞台には上がれないということがよく分かる。
漫才師の「生き様」や「ドラマ」という属人的な文脈を欲する近年の『M-1』は、錦鯉のように苦節うん十年の苦労人漫才師に優しいように思えるが、それだけではない。この大会には、もう一つ、相反するような特徴が備わっている。
突然だが、下記が近年の『M-1』優勝コンビの出場回数だ。
2015年 トレンディエンジェル(決勝初進出 ※敗者復活枠から)
2016年 銀シャリ(決勝3回目 ※新生『M-1』では2回目)
2017年 とろサーモン(決勝初進出)
2018年 霜降り明星(決勝初進出)
2019年 ミルクボーイ(決勝初進出)
2020年 マヂカルラブリー(決勝2回目)
2021年 錦鯉(決勝2回目)
今年の錦鯉を入れて7大会の優勝コンビ中、4組が初進出でそのまま優勝。それ以外の3組も初進出から3回目までには優勝を果たしている。
さらに旧『M-1』(2001~2010年)までさかのぼってみても、優勝10組中5組が初出場で優勝し、4組が2回から3回目の決勝進出で優勝を果たしている。笑い飯の「9回出場して9度目で優勝」というのは、異例中の異例だ。
つまり、結成15年目まで出場可能な現行の『M-1』だが、優勝に限って言えば、「遅くても3回目まで」には決めなければ、漫才の女神は微笑んでくれないということになる。女神の後ろ髪はそんなに長くないのだ。
本稿の前半で書いてきたように、漫才師の「生き様」や「ドラマ」という属人的な要素をも込みで評価される傾向があるのが近年の『M-1』だ。しかし一方で、どれだけ苦節を重ねて何度も挑戦して、固有の「生き様」「ドラマ」を見せすぎても、漫才の女神にはそっぽを向かれてしまう。女神は飽き性なのだろうか。
この相反するように見える2つの要素が、来年以降の『M-1』でどんなドラマを巻き起こすのか。今から楽しみで仕方ない。