今年の大傑作の1本といえばエドガー・ライト監督の『ラストナイト・イン・ソーホー』だ。映画とその歴史に対して常に批評的な姿勢をとり続けるライト監督であるからして、もちろん本作にもさまざまな過去作の引用、パロディが隠されているが、それらとは別に、本作にはさまざまなイマジネーションが隠されている。本稿は、本作から派生して連想した作品5本を、関連付けながら紹介したい。
ベイビー・ドライバー
まず紹介したいのは、エドガー・ライト監督による前々作『ベイビー・ドライバー』。
同作と『ラストナイト~』は、どちらも主人公がイヤホン/ヘッドホンを使って四六時中音楽を聴いている点が共通だが、その深層の意味も似ている。『ベイビー~』の主人公がイヤホンを手放さないのは鳴り止まない耳鳴りを遮るためだが、その深層には母亡き世界を直視できない彼の弱さがある。生前の母が口ずさんでいたおなじみのオールディーズを流し続けるイヤホンは、”胎教”が流れる胎盤の役割を果たす。
一方、『ラストナイト~』では、主人公エロイーズがbeatsのヘッドホンで憧れの60年代の音楽に聴き入っている。彼女もベイビーと同様、慣れない大都会ロンドンでの生活や気の合わないルームメイトから逃避するように、60年代に鼓膜を通して耽溺する。
ミッドナイト・イン・パリ
ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』と『ラストナイト~』をつなぐのは、「過去への憧れ」だ。
同作は、俗物的な婚約者&その両親と共に、憧れのパリに旅行にやってきた脚本がなかなか書けない脚本家志望のギルが主人公。そんな彼がなぜか真夜中だけ、世界的な芸術家で賑わう、彼が愛してやまない1920年のパリの夜にタイムスリップしてしまう、というロマンチック・コメディだ。
『ラストナイト〜』が過去を糾弾するのに対して、本作の「結局、どの時代の人だって『昔は良かった』と思いがち」というシニカルなオチは、ウディ・アレン風味といえる。
ザ・コール
過去と現在、2人の女性をつなぐ作品で思い出す名作が、韓国のSFホラー(と呼んでいい???)映画『ザ・コール』だ。
同じ洋館に住んでいた2人の女性をつなぐ一本の電話。最初は分かりあえそうになっていた2人が、離反していく切ない展開は『ラストナイト~』に通じる。過去の者は未来の者には防げない方法で、未来の者は過去の者には知り得ない情報で、時を越えて相手を出し抜こうとするバトル展開がスリリングだった。
アンテベラム
『アンテベラム』もまた、奴隷制時代に虐げられた女性と、リベラルな現代社会で活躍する女性という、対局にあるように思える2人の女性が共鳴する作品だが、その共鳴の仕方は『ラストナイト~』に比べるととてつもなく奇妙だ。
それは、2人の女性をジャネール・モネイが一人で演じ分けていることに起因する。本作における現在と過去は独立しては存在しない。2つの時代はまるで混ざり合うように、ねじれ合うように関連していく。昔パートの出来事が、現代パートの女性が見る夢のように推測もできるが、ラストシーンを観たあとでは単純にそうとも言い切れない。本作はそうした「分かりやすい解釈」を拒絶してくる。
クイーンズ・ギャンビット
『ラストナイト~』で主人公エロイーズが夢の中で出会う60年代のシンガー志望の女性、サンディを演じたアニヤ・テイラー=ジョイ。ネットフリックスのドラマ『クイーンズ・ギャンビット』にハマった人なら、彼女が画面に出てきた瞬間、あの意思が強そうな瞳で「ベスだ!」と気づいたはず。
興味深いのは、エロイーズが憧れ、サンディが登場するのが60年代のロンドンであるのと同様、ベスがチェスのプレイヤーとして活躍するのも60年代のアメリカだということ。エロイーズとベスは同時代の人間だったのだ。
そう考えると、『クイーンズ~』で男であろうとバッタバッタとチェスで倒していくベスの活躍は、同時代に男に夢を壊されたエロイーズの敵を討っているかのように思えてくるから不思議だ。