古典的な名作をリメイクする際には、当然ながら、超えなければならない「ハードル」がいくつかある。
ルイーザ・メイ・オルコットの超超超有名古典『若草物語』を、いま一番イケてる(死語)監督の一人、グレタ・ガーウィグと、『レディ・バード』でヒロインを演じたシアーシャ・ローナン、ティモシー・シャラメが再結集してリメイクした『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/私の若草物語』は、今後、そんな古典作品のリメイクについて考える上で試金石になるかもしれない。
4姉妹をシアーシャ、エマ・ワトソン、そして新進気鋭のフローレンス・ピューらが演じ、生き生きとした姉妹の風景を作っている。さらに姉妹たちを魅了するヨーロッパ生まれの青年ローリー役のティモシーとはしゃぐさまは、あらすじは分かっていても、観ていて楽しい作品に仕上がっている。
冒頭で書いた古典リメイクの「ハードル」。1つ目は「語り口」「テンポ」だ。いかに名作でも、現在の観客からしたらキツいのは、テンポやストーリーテリングが平板なことにある。本作『若草物語』も1949年版を観たことがあるが、時系列で淡々と4姉妹のストーリーをつむいでいくだけのため、言い方は悪いがかなり強烈な睡眠導入剤と化す。
その点、本作は心得ており、時系列を複雑にいじることで、平板な物語に命を吹き込んでいる。ストーリーはシアーシャ演じる次女ジョーがニューヨークに滞在しているところから始まり、ベスの看病で帰郷するまでの間に、回想シーンで幸福な4姉妹のときを断片的に見せていく。これが現代的で、本作を「古くて新しい物語」として蘇らせていることに成功している。
しかし、本作の本領は、そうした「語り口」とは別のところにある。
それが、古典の名作をリメイクするために超えなければならない「ハードル」の2つ目に関係する。それは「価値観」である。現在『風と共に去りぬ』の黒人描写が、時勢とともに絶賛クローズアップされているのだが、何事も時代的な制約は免れない。
旧態依然とした価値観を、現代にそのまま描くことはできない。本作はその「ハードル」をいかにして飛び越えたのか。
<ココからはネタバレなのでご注意>
妹ベスの死に悲嘆に暮れるシアーシャ演じるジョー(作者オルコットがモデルとされている)は、思い立ち、自分たち姉妹についての物語を書き上げ、出版社に送る。
その後、再会したベア教授と再会し、彼と結ばれるジョー。
ここまでなら、既存の『若草物語』のままである。
しかし、ここで本作にはある「詐術」的なシーンが差し込まれる。送った原稿が編集者のお眼鏡にかない、出版されることになり、ジョーは編集者の元を訪れる。そこでジョーは、作中のヒロイン、つまり自分がモデルのキャラクターについて「結婚させてハッピーエンドにしないと売れない!」という編集者の意向をしぶしぶ飲み、ヒロインを結婚させることにするのだった。
実は、この「編集者との会話」シーンは、原作にはないという。原作は手元にないが今回試しに「1949年版」と、「1994年版」の映画『若草物語』を確認してみたが、たしかにそんなシーンはどこにもない。両作とも、ジョーの原稿はいつの間にか出版されており、彼女の伴侶となるベス教授がいかにも恩着せがましく本を持ってきて、彼女を喜ばせるのである。
この「編集者との会話」のシーンに、いかなる意図があるのか。
原作者のオルコットは、「女性は結婚するのが当たり前」だった当時において生涯未婚を貫き、自身の文才によって身を立て、貧しい家族を養っていたーー当時の女性としては圧倒的にマイノリティだった。そんな彼女の代表作にして、自伝的小説の『若草物語』では、彼女の分身ジョーが結婚しているのである。
ガーウィグの挟んだ「詐術」的なシーンが描こうとしているのは、ジョー=オルコットが、「わたしの物語」の結末において自身の意志を貫けなかったことへの悔しさ、もしくは、信念を曲げてでも作品としての爆発的なヒットという「実」を取った、というしたたかさだったのではないか。
どちらにせよ、「編集者との会話」のシーンが一つ挟まれたことによって、映画はより多層にも複雑化する。なぜなら、「女性の幸せは結婚」という旧態依然とした価値観は、ジョーが「強いられたもの」あるいは「あえてそうしたもの」という強烈なエクスキューズが挟まれるからである。かくして、『若草物語』は、「時代的な制約」を「制約」としてあえて「可視化する」という戦略によって、現代に蘇る。
この企画を知ったとき、ぼくは「今さら『若草物語』?」と感じた。なにしろ、最終的に生き残った3姉妹が全員夫をもうけ、幸せに暮らすというストーリーである。これだけ生き方の多様性が叫ばれる時代に、真正面からそのまま描くのはあまりにも窮屈だ。果たしてそれは、2020年の観客に受け入れられるのだろうか。たとえ、グレタ・ガーウィグの手腕を持ってしても。
しかし、見事な形でその予想は裏切られた。本作が、今後の古典リメイクに与える影響は果てしないだろう。