いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「タラレバ娘」最終回を前に読んでおきたい「おんなのいえ」


全国の独身アラサー女子を阿鼻叫喚に落としいれた「東京タラレバ娘」が、ついに今月25日発売の雑誌において連載終了となるそうです。

「タラレバ娘」、最初はノリとかテンポとか本当に好きだったんですけど、終盤にきてどこか「あ? テメなに言ってんだ?」感が強まってきました。


例えるならそれは、「不治の病で死ぬと言われていたヒロインが、作れないと言われていた特効薬をつかって元気ビンビン」みたいな。「治らない」と言われていたこそ、そこに葛藤やなんやかんやがあったわけじゃないですか。いくら「タラレバ」「タラレバ」やっても、「特効薬」があるならそれまでのはなんだったんだという話で、興ざめですよね。

そんな中、当ブログでも書評した「おんなのいえ」は、一足先に最終回を迎えました。最終の8巻を最近読み終えましたが、いやー、こちらは面白かった!!!


「タラレバ娘」と「おんなのいえ」。どちらも面白いと思うんです。「タラレバ娘」はノリとテンポですが、「おんなのいえ」は生きているセリフが魅力です。
この2作って、実はいろんな共通点があると思うんです。どちらもアラサーの女が主人公で、これからどうすっべ?という人生の岐路に立たされている。そんな中で、後者は前者が描こうとしたけど描き切れなかった(あるいは最終話で強引に描こうとしているかもしれない)あることを描いたと思います。

それは「女が男に逃げないで生きるっていうのはどういうことか?」ということです。なんやかんや、困ったときに男に依存するという退路をたったところに、すがすがしいヒロインの成長があると思うんですよね。
それを象徴するのが、「網戸をなおす」シーンです。読み終えた人しかわからないでしょうが、あそこに意味が集約されている。男に頼らず、粛々と日常を送るっていうのは、たぶんきっとそういうことなんだなって思います。何気ないシーンなのに、いえ、何気ないシーンだからこそ印象に残る。

その「成長」は、ある意味「古典的」ではあると思うんですが、「古典的」であるがゆえに「普遍的」なんだと思うんです。

「ああ、この人たちのことをもうちょっと見ていたいなあ」というほどよい名残惜しさをかもす終わり方も◎。もしも「タラレバ娘」の最終巻に満足できない未来のあなたがいたなら、この一作を強くお勧めします。