いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

人口900万人に救急車わずか45台のメキシコシティで活躍する“闇救急車”の実態 『ミッドナイト・ファミリー』

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世界は広い。まだまだ知らないことがたくさんある。ドキュメンタリー映画を観る醍醐味は、自分の全く知らない時間・場所に連れて行ってくれるところにある。『ミッドナイト・ファミリー』もそんなドキュメンタリーの醍醐味が凝縮した一作といえる。

この映画の舞台はメキシコシティ。この都市には人口約900万人にあたり、救急車の数がわずか45台に満たないという。ためしに東京都で調べると人口1400万人あたりに救急車が236台。1台あたり6万人で、これはこれで少ないように思えるのだが、メキシコシティは1台あたり20万人なので、よりひっ迫していると分かる。

そんな救急車不足のメキシコシティで何が起きているかというと、違法な状態で運営する民営の救急車が活躍しているという。本作が密着するのは、そんな「闇救急車」を営むオチョア一家と、そこから見える、日本に住んでいるとおよそ想像しがたいメキシコシティの救急医療体制の実態だ。

闇救急車はその働き方からして興味深い。闇なのだから当然待っていても出動要請がかかるわけではない。本作が密着するオチョア一家も、夜毎救急車で市内を流している。それはさながらタクシーのようだ。まだ小さな末っ子が、ビュンビュン飛ばす救急車の車内や、重傷を負った負傷者を見ても顔色ひとつ変えないのは、もはや慣れっこになっているからだろう。彼もいずれ「家業」を継ぐのだろうか。

事故や事件の情報を聞きつけると、サイレンを鳴らして現場へ急行するオチョア一家。ここで面白いのは、市街には他の闇救急車も流しており、客(=負傷者)を乗せられるかは結局早い者勝ちということだ。映画はその状況が引き起こす、世にも珍しい「救急車同士のカーチェイス」を活写する。密着のカメラが救急車の車内から捉えた、けたたましいサイレンとともに別の救急車を追い抜くさまは迫力満点だが、同時にこんなことをすればまた別の事故を起こして負傷者を増やすだけでは? と不謹慎にも笑えてきてしまう。

負傷者をピックアップしたあとは公営の救急車と同様に病院に運ぶわけだが、たとえ病院についたところで料金を払ってもらえるかは分からない。別にピックアップする際に契約を結んだわけではないのだ。現に劇中、オチョア一家は負傷者やその家族から料金を踏み倒される様子が何度も何度も描かれる。しかし、払えよと負傷者に強く出ることはできない。もともと闇救急車自体に違法性があり、警察を呼ばれたら最後。彼らはとても弱い立場なのだ。

こうした状況のため、救急搬送を何度したところでなかなか稼ぎが稼げない一家は、火の車である。そんなに大変なら転職したほうがいいのでは? と思うのだが、彼らには彼らで事情があるのだろうか。

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苛烈を極める救命医療の現場、過酷なオチョア一家の家計事情、そしてそんな内容に関わらず、赤と青のあざやかなサイレンに照らされた美しいメキシコシティの夜景のギャップも印象的な本作。オチョア一家が救命医療に急行する現場が何度も映されるが本作だが、負傷者のことはあまり直接的には映さない。主役はあくまでオチョア一家で、足掛け4年密着した監督のカメラだからこそ、これらの飾らない素顔を魅力の一つだ。

「事件や事故が起きたら(公的な)救急車が勝手に来るもの」という常識を持つ者は打ちのめされる一作となるだろう。