映画『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』で鮮烈な監督デビューを飾った女優オリヴィア・ワイルド。2010年代を代表する傑作青春コメディだが、そんなオリヴィアの監督第2作は、『ブックスマート』とは全く色調の違うサスペンス・ホラー『ドント・ウォーリー・ダーリン』だ。
冒頭から、敗戦国・日本が憧れた1950年代の典型的な「アメリカン・ウェイ・オブ・ライブ」が描かれる。フローレンス・ピューが演じるヒロイン・アリスは、ビクトリーという郊外の街で何不自由ない生活を送る専業主婦。夫は上司から前途を期待されるサラリーマンで、週末には近所の同世代の夫婦たちと享楽的なパーティーに明け暮れる。週が明ければ、妻に見送られながら夫たちはフォードを職場へと走らせる
均質で調和の取れた美しいライフスタイル。しかし、次第に観客はアリスと共に、その裕福で恵まれた生活に嘘くささを感じ始める。それは、アリスがフライパンに広げる、テカりすぎて本物に見えない生肉が表彰している(ちなみに監督のオリヴィアはビーガンである)。それにしても、ホントにこのフローレンス・ピューは「怪しげな共同体」に放り込まれるのが似合う女優だ。
ここからネタバレを回避しながら語るのはかなり難しいのだが、結局この映画は「リベラル社会」への懐疑的な視線へのアンサーのように思える。
今やリベラルへの風当たりは増す一方だ。女性からも「本当は働きたくない」「専業主婦のほうがよかった」という声が聞こえてくる。男女平等であればあるほど、出生率が低下するというデータもある。
本作でアリスが投げ込まれた1950年代の世界は、男女平等のリベラル社会の“不都合な真実”が暴露されてしまった現在からしたら、艶めかしく誘惑してくる「理想の過去」だ。
しかし、本作はその誘惑に屈しない。どれだけ現実が辛かろうと、私は私の好きな仕事がしたいし、好きなように生きる。アリスはそう言い切る。「快適な不自由」が「不快な自由」を選ぶ、と宣言するのだ。
全くジャンルが違うように見える『ブックスマート』との共通点
そう考えると、なぜオリヴィアが『ブックスマート』の次に本作を撮ったかがよく分かる。両作はジャンルから何から何までまるで違う作品のように思えるが、ある共通の強いメッセージを携える。
『ブックスマート』では、ヒロインたちの高校という舞台で目がくらむような多様性の世界が描かれる。黒人も白人もアジア系も、LGBTQでもなんでもござれ。さまざまなアイデンティティの学生のごった煮で、もはやそこにはスクールカーストすらない。彼らは意見の相違から喧嘩をすることはあれど、お互いの存在を認め合う。『ブックスマート』が見据えるのは、そんな未来があるはずの前の方向だ。
それに対して、『ドント・ウォーリー・ダーリン』は真反対だ。本作は、甘い誘惑を放つ「理想の過去」を一度振り返り、そして「もう二度とそちらには戻らない」と吐き捨ててもう一度前を向く。