先日、『テレビ千鳥』が優しさで巧妙に隠した悪意について書いた。
一方、“悪意”の表出とそのバリエーションにおいては、当代一と言われる『水曜日のダウンタウン』の15日放送回「ザ・たっちにもピンの仕事あるにはある説」もすごかった。
双子芸能人にピンでの需要はあるのか? という検証で、「幽体離脱ぅ~」でおなじみのたくやとかずやの双子からなるザ・たっちをはじめとする双子芸人、双子芸能人のピンの仕事の有無を検証。VTRの最中には、ザ・たっち2人がインタビューに答える模様も映された。
そして、双子の芸能人も実は意外とピンの仕事をしていた、というあまりトゲのない結論に落ち着きかけたところ、VTRの最後の最後に予想外の展開が待っていた。それは、ザ・たっちでインタビューを受けていたのは片方のたくやだけだったということ。番組は、たくやが一通り自分の受け答えするシーンを撮り終えた後、相方・かずやのいる“はず”の席に座り、かずやのフリをして質問に答えようとしているシーンを映していた。
つまり、ザ・たっちが2人でインタビューを受けているように見えた映像は、たくや一人を映して作った合成だったのだ。
今月はたくやだけちょっとギャラ多いのか。#水曜日のダウンタウン
— かずや(ザ・たっち) (@kazthetouch) 2021年12月15日
「双子芸人にピンの仕事があるのか?」という検証VTR自体が、実は双子芸人のピン仕事だった、というきれいなオチが付いたように見えるが、スタジオの面々からは「怖い」という声が漏れていたし、SNSでも同様のコメントが多数寄せられていた。この説のオチは「怖い」のだ。
では、なぜ怖いのだろう。それはこの説の悪意が、ザ・たっちでも双子タレントでもなく、われわれ視聴者の側に向けられているからだ。
この説は、双子芸能人というものの存在価値をめぐる説であることは言うまでもない。まず、説のタイトルだ。「ザ・たっちにもピンの仕事あるにはある説」。「あるにはある」という表現が醸し出すように、この説には、番組側による双子芸能人に対しての「双子は似ている人間が2人そろってナンボで、2人そろってはじめて“商品価値”が生まれる」という、ある種の悪意がうっすら含まれているように思える。
しかし、説を検証していくと、実際はそんなことでもない、ということに気付かされる。双子は2人そろってなくてもそこそこ仕事はあるのだ。実際、双子芸人の漫才でも、双子をネタにしているコンビばかりではない。番組で紹介されたDr.ハインリッヒの漫才はほとんど自分たちのアイデンティティに関係ない唯一無二の世界観を演じいるし、昨年の『M-1グランプリ』敗者復活戦でダイタクが見せたネタは、ありがちな双子ネタの導入のフリをして、もっとクセが強い両親の話に延々と回帰してしまう、という双子であることを逆手に取ったネタだった。双子だからといって「双子であること」だけが商品価値ではない。
番組側が悪意を向けていた相手が「双子芸人」だったなら、「ピンの仕事があるにはあった」という結論は、おもしろくないもののように思える。
しかし、そこにきて番組が用意したのが「たくやが一人でザ・たっちを演じていた」というオチだ。
たくや一人でザ・たっちが演じても、そのことに気づく視聴者はほとんどいなかった。
ザ・たっちが実はどっちか1人でも気付く人0人説立証。
— 藤井健太郎 (@kentaro_fujii) 2021年12月15日
そのことを意味するのは、たくやとかずや、それぞれに固有のアイデンティティがある人間であることを無意識のうちに忘れ、記号的に「同じ顔のニコイチの人間たち」というふうに解釈していたのは、番組側ではなく、実はわれわれの側だったということだ。
この説のオチで視聴者が「怖い」という感情を催すとすれば、それは「双子芸能人の価値を軽んじているのは、実はあなた自身なんだよ」と、自分は単なる傍観者だと油断して見ていたところで指をさされたからだ。
視聴者側が向き合いたくない“自分の嫌な部分”に、強制的に向き合わざるを得なくする悪意。つくづくこの番組は始末に負えない。