いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

『100日間生きたワニ』ワニを生き返らせてまで作るべきだったか?

いろんな意味で盛り上がっているのか盛り上がっていないのか分からない、『100日間生きたワニ』を観てきた。

 

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言わずと知れた『100日後に死ぬワニ』(以下『100ワニ』)を原作とする劇場アニメで、公開される前からネット上では嵐レビューやデマなどが横行している、ある意味でいわくつき物件になってしまった。

ぼくは、ツイッター上で更新されていた原作漫画を途中からリアルタイムで追いかけ始め、大注目の中で幕を閉じた最終回、そしてその後の残念すぎる場外乱闘も一応は目撃している。あれだけSNSを追い風にして大人気となったのに、今回の映画ではSNSで逆風が吹き荒れているというのは、悲しい皮肉である。

 

今回の映画について、ちょっとかわいそうだと思うのは、『100ワニ 』終了直後からの炎上の原因となった一連の売らんかなな商業展開とは一線を画している点で、知ってる人は少ないかもしれないが、この企画は原作を気に入った監督の上田慎一郎監督発案で、大ブームになるもっと前から企画書ができあがっていた、というのだ。つまり、大ブームになって以降に食いついた企業とはまた別の流れを汲む、といえる。そこはまず押さえておきたいところ。

ましてや、本作については「本編なんて観なくていいもの」「観ずに叩いていいもの」というムードが半ば「決定」してしまっている。坊主憎けりゃで映画の本編も観ずに叩くというのは、やはりちょっと違う気がする。

 

で、昨日観てきたのである。

 

もともと、『100ワニ』を映画にするというニュースを聞いたときから、「それって難しくない??」と考えていたことがある。

『100ワニ』がツイッター上で(炎上ではない)火が付いたのは、「1日1投稿」という形式があってこそだ。原作者きくちゆうきの「創造」は漫画の内容より実はそこにある。

もちろん『100日後に死ぬワニ』というタイトルの妙もある。「100日後に死ぬ」という一見すると不穏ですらあるタイトルと、死の匂いと無縁の何気ない穏やかな日常を描いた内容のギャップ。

だからこそネット民は「本当に死ぬの?」と半信半疑に、あるいは「なぜ彼は死ぬの?」と興味を惹かれ、しだいに惹きつけられていった。興味関心は100日間をかけて雪だるま式に膨れ上がり、ツイッター上で巨大なムーヴメントになった。

「予め定められた死」に向かって1日1日近づいていくという、本来ならありえない「時系列」を生み出すことで、本作は何気ない日常に違った味わいを見出していく。その狙いは、筆者もツイッターで明かしていた。

 

ここまで書いてきたように、『100ワニ』のヒットは、ツイッターという媒体にハマったからこそ。当たり前ながら、映画は約1時間~2時間で完結するメディアである。100日かけて作り出す余韻を生み出すことは土台無理なのだ。

つまり、原作の持ち味は、映画というメディアにおいてはどうして活かしきれないのではないか、と思っていたのだ。それはたとえば、いくら上質な和牛を仕入れても、使える調理器具がたこ焼き器しかない、みたいなことではないか。この喩えが適切かどうかは定かでないが。

 

もちろん、そんなことが釈迦に説法なのは分かっている。「ワニ」ならぬ「カメ」で大ヒットを飛ばした上田慎一郎監督である。勝算がなくて企画に打って出るわけがない、と思っていた。

しかし…観た上で述べると、『100ワニ』をなぞる形となる前半は、やはり原作に比べると大きく持ち味を減じてしまっていることは否めない。なにより、カウントダウンしないので「100日」である意味がほとんどなくなってしまったし、原作が100日かけて作った「土台」を生み出すことは難しい。

一方で、皮肉というべきか、本作は「100日」という制約から自由になった後半、つまり原作では描かれなかった「ワニの死後」になってからこそ、持ち直してくる。

しかし、それは「映画にするために付け足した部分」であるからして、ある意味で当たり前の話かもしれない。

 

ここまで書いてきたように原作の持ち味が十分活かせない以上、「100日間」という制約は取っ払ってよかったのではないか、とさえ感じる。それはタイトルにも言えることで、『100日後に死ぬワニ』に比べると、『100日間生きたワニ』のなんとも言えないキレの悪さ。上田監督は「大人の事情」や「死」を避けたではないと否定しているが、ここを変えた意味はいまいち見えてこない。

 

『100日間生きたワニ』の後半で描かれるのは、いわば喪の作業だ。誰にでもいつか訪れるのが死であり、自分の死と同じように愛する人の死も必然だ。愛する人を喪った者が、いかにその喪失と向き合うか、という課題はこれまでも無数の物語によって描かれてきて、これからも描かれ続けるべきである。

ただ、逆に言うと、そうであるがゆえに、『100ワニ』を“生き返らせて”まですることだったか、とも感じてしまう。

 

上田監督は当初、本作を人間に置き換えた形での実写映画化で企画していたという。確かに、かわいらしい動物がしゃべる『100ワニ』だが、実は人間に置換することが可能である。「登場人物が動物」という点に、物語上の意味はあまりない。まあ、「100日後に死ぬ田中」とか「100日後に死ぬ渡辺」とかだったら、あそこまでの大ブームにはなっていなかったかもしれないが。

 

そういう点で、同様に動物が登場する作品ながら、圧倒されるのが『オッドタクシー』である。この映画では「登場人物が動物」ということが大いに意味を持つ。時間がなくて『100日間生きたワニ』を観に行けない、という人は、アマゾンプライムビデオでまず『オッドタクシー』を観ておこう(2週間ぶり2度目の推薦)。

 

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