少し前だが、12日に同じ現象に正反対の角度から光を当てたような記事を2本、目にした。
女性アイドルグループ「でんぱ組.inc(でんぱぐみインク)」の「最上もが」が11日、ネット上での自身に対する誹謗中傷に触れ、対処法について持論を展開した。
(中略)
「誹謗中傷が増えた今『あ、この人たちはぼくのこと好きすぎてどうしようもないんだな』と思うようにしてます」「わざわざ本人の目に付くところに書くってことは自分の存在を知って欲しいんだなあって」と、持論を展開。
(中略)
そして、「一番こわい」のは「無関心」であるとしたうえで、「興味なかったら 調べないし考えない なんもみないからなあ 嫌いな人の動画とかブログとかTwitterとかわざわざみたいとかさっぱり思わないぞ 気分悪くなるだけだもの」とし、無関心への恐怖心も語った。
その「無関心」の怖さを端的に表現していると感じたのが、こちらの記事だ。
某地下アイドルグループの元メンバーのHさんはこう語る。
「今までの人生で、スポットが当たってこなかったような人ほど、アイドル活動にのめり込んでしまうんです。端的に言うと……、容姿があまりすぐれていないメンバーですね。地下アイドルをやっていると、どんなメンバーでも少ないながらも必ずファンがつきます。それも、ファンが少ないメンバーほど、数少ないファンが『僕が支えるから』と強烈に推す傾向にありますので。慣れないちやほや、初めてのスポットライトに狂った結果、せっかく良い大学を出て、有名企業に正社員として入社していたのに、辞めてアイドル一本で生きる、と言い出します」
アイドルオンチの僕ですら知っているでんぱ組と無名の地下アイドルでは天と地ほどの差があるが、それでも、この2者はある論理を共有していると思う――無関心こそが最大の恐怖という論理を。
最上の誹謗中傷についての主張はもちろん皮肉で、誹謗中傷などされたくはないが「誰にも関心を持たれないよりはまし」ということだろう。それに対し、地下アイドルの活動に没入していく女性たちを支配するのも同じく、いくらファンが少なくても一般人(たとえ有名企業の正社員でも!)で「誰にも関心を持たれないよりはまし」という論理だ。
ところで、先の引用部の「ファンが少ないメンバーほど、数少ないファンが『僕が支えるから』と強烈に推す傾向にあります」という証言――ここには「こんなに無名でも/だからこそオレは推す」という皮肉な逆説があると思う。それに、アイドルの側も「こんなに無名な私でも推してくれる彼がいるから頑張る」と応えるのだろう。
では、こうしたアイドルとファンの「幸福な関係」は、マス規模にはなりえないのだろうか。つまり、アイドルが人気になったあとも「オレは推す」というファンと「あなたのために頑張る」というアイドル、その2者関係しかいない空間は、存在し得ないのだろうか。
たぶん、理論上は存在するけど実際はむりなのだと思う。おそらく光と影の関係と同じで、アイドルが浴びる光が強くなればなるほど、同時に影――もちろんこれはアンチを指すのだが――は濃さを増してしまうのだと、推測する。
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