いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

有名人と知り合いなのが唯一の自慢という惨めな人たち 〜ジョン・マルコビッチ『アイ・アム・キューブリック! 』批評〜

想像してみてほしい。
あなたの作った作品や何かを、もしあの映画史に残る名監督スタンディ・キューブリックがほめてくれ、しかも次の映画で使いたいと言ってきたら、どうだろう? あなたは小躍りしてそのことを喜ぶだろうが、残念ながら彼は本物のキューブリックではないし、あなたの作品が映画で使われることはない。本作『アイ・アム・キューブリック!』は、90年代にイギリスで実際に起きた詐欺事件が元になっているコメディ映画だ。

キューブリック作品の助監督を務めた経験もある監督による映画で、全編にわたりキューブリック作品の引用がちりばめられている。主演のアラン・コンウェイというゲイの男(=ニセキューブリック)を演じるのがジョン・マルコビッチで、彼自身十分に有名な俳優だが、劇中内ではさえない無名の俳優ということになっている。成りすましコメディとしてはそこそこ面白いし、重大なウソをついて相手をダマしているというシチュエーションからドキッ!とさせられるところ(特に「酒場」でカマをかけられる場面など)もあり、スリリングでもある映画だ。


ところで、この男にダマされたと気づいた被害者らは、続々と警察に被害を訴えにくる。しかし、結局を訴えることをやめて泣き寝入りしてしまう。被害を訴えればニセキューブリックにダマされたことが公になり、逆に恥をかくことになりますよと、警察官に諭されるのだ。しかし、これは本当だろうか? 恥ずかしいのは本当にそこだろうか?
たしかに相手がキューブリックだと名乗るならば、まず冷静になってなんらかのIDで証明してもらうか、キューブリックの顔写真一枚でも引っ張ってくれば一発でわかるはず(たとえこの映画のもとになった出来事が1998年でネット普及前だとしても)で、被害者側のマヌけぶりは特出したものがあるが、一番恥ずかしいのはそこではない。


彼ら被害者らの本当に恥ずかしいのは、キューブリックと名乗る男にお金をだまし取られたことではなく、キューブリックという名に踊らされたことの方なのだ。

コンウェイにダマされた彼らの多くは、彼がキューブリックだと名乗った瞬間に目の色を変え、居住まいを正す。そして彼らは、キューブリックに担がれたということだけで、いままでにないような分相応な夢を、プロジェクトを語りだし、中にはもともとの人間関係まで壊してしまう人さえ出てくる。「俺のバックにはキューブリックがついてんだ!お前のいうことなんてもう聞くかよ!」と。

しかし、彼らはもともとキューブリックや彼の作品に個人的な強い思い入れがあるというわけではない(少なくとも劇中でそのようには描かれない)。ただ単に「すごく有名監督」というパブリックイメージでしかとらえておらず、いわばそれは記号でしかない。つまり彼らは、キューブリックと彼の手がけた映画の真の価値も知らないくせに、キューブリックという中身のない空っぽの記号にいいように踊らされていたといえるのだ。ダマされたことなんかより、その事の方がよっぽど恥ずかしい。


映画の主題はおそらくそこにはないが、あえてこうした方向から観てみると、この問題は製作当時より、現代の方がよりビビッドなことのように思えてくる。
SNSの普及によって人と人はより繋がりやすくなった。そのようなサービスをとおして、有名人や著名人とコンタクトをとることもより簡単になった。けれど、有名人や著名人とあなたが知り合いになったからといって、あなたはなにも変わらない。あなたの価値は、あなたの作るものでしか証明することはできない。あなたが誰と知り合いだろうと、そんなことは関係ないのだ。
ツイッターで「××××さんにフォローされた!」というくらいは、まだまだ可愛げがある。だが世の中には、「××××さんと知り合いであること」を本気で誇りに思い、とうとうと自慢してくる輩がいる。
しかし残念ながら、××××さんとあなたが知り合いであろうと、あなたの社会的な価値を一ミクロンも高めることにはならないし、そのことを周りの人間に喧伝することはむしろ、あなたの価値をおとしめることにすらなるだろう(少なくともぼくの中では大暴落だ)。


世の中の有名人スタンプラリーに興じる恥知らずどもに告ぐ。
今のあなた、サイコーに恥ずかしいですよ。


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