呉智英『言葉の常備薬』を読んだ。
- 作者: 呉智英
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 文庫
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たとえば、「お前の母ちゃん、デベソ」というのがなぜ相手への挑発になるのか。これは単純に、相手にとってかけがえのない母親の体をからかっているからかというと、実はそうではない。本書を読むと、あの言葉に秘められた意外で、わいせつな意味がわかる。
そんななかで、「恋愛で満腹?」(198〜201ページ)という章に面白い指摘があった。
ぼくも含めて若い人はあまり使わない表現だが、「夫婦や恋人同士の中のよいところを見せつけられた時に、からかいの気持ちを込めて『ごちそうさま』と言う」言い回しがある。
今では、こういうシチュエーションでは「リア充乙」というネットスラングで返すのがもはや定番になっているがが、この「ごちそうさま」というのはどういうことかというと、呉さんは『日本国語大辞典』に谷崎潤一郎『蓼食う虫』のある一節が用例が載っていると指摘する。
にんにくの匂いの強い支那料理を好む秀夫とその縁者である美佐子との会話である。秀夫は、自分に惚れてくれた女はにんにくの匂いなんて気にもしなかったよ、と言う。それを聞いて美佐子が「御馳走様」と言い、「何を奢って下さるの?」と続ける。つまり、男女の仲のよいところをを見せつけたら、一種の罰として食事をおごらなければならない風習があったのだ。そのお礼を前もっていうのが、「ごちそうさま」なのである。原文では、続けて秀夫が「そう先廻りされちゃあ困る」と美佐子を制している。
p.200
ぼくは、ああいうシチュエーションでの「ごちそうさま」は、「そんな幸せな話を聞かせてもらってお腹いっぱいですよ」とすこし皮肉も込めての言葉だとばかり思っていたのだが、実際は微妙にニュアンスがちがうみたいだ。
ところで、ぼくが興味深く思ったのはこの「ごちそうさま」と、「リア充乙」とまた別のネットスラングの「メシウマ」の類似点、もしくは相違点だ。
「ごちそうさま」も「メシウマ」も他人の幸せや不幸に対しての反応としてあるのだが、どちらも食事関連の表現であるのは、興味深い。
しかしその一方で、用法はまるで違う。
「ごちそうさま」は今のべたように、「てめぇののろけ話聞かされたんだからメシおごって補填しろよ」という意味合いだ。
それに対して、「メシウマ」というのは、他人の不幸で「メシがウマい」の略だ。
個人的な印象では、どちらも相手への敵意が込められていることに変わりないが、「ごちそうさま」にはまだ、相手の幸せを祝福する可愛げがあるように感じる。
一方、「メシウマ」は徹頭徹尾ネガティブだ。「ごちそうさま」の場合、おごった側が自分の分まで払えば一緒に食べることができるが、「メシウマ」はまちがいなく「孤食」だろう。「他人の幸運でメシがマズい」=メシマズという派生表現も出てきているが、メシウマもメシマズも対象となっている相手と一緒に食事する気がないことにはかわりない。
「ごちそうさま」から「メシウマ(メシマズ)」への変遷が、現代の諸相を映し出しているように思うのは、考えすぎだろうか?