いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】ラン・オールナイト


リーアム・ニーソン主演、ジャウマ・コレット=セラ監督のタッグによる3度目の作品。

『アン・ノウン』『フライト・ゲーム』とミステリー色が強い2作が続いたが、本作『ラン・オールナイト』はハードボイルド色が一段と強くなっている。一度は親子の縁を切った父と息子が、人生最大の危機を前にして絆を取り戻す熱いストーリーだ。
相手の息子役を好演しているのは、新ロボコップでもあるヨエル・キナマンだ。


本作でのニーソンの役どころは、ちょうど『96時間』シリーズと好対照にある気がする。
『96時間』のブライアンは凄腕の元CIA特派員で仲間にも恵まれているが、一方で仕事の忙しさにかまけて、ストーリー当初は娘の心が離れていた。

それに対して今作の父親ジミーは、組織の汚れ仕事=殺人を請け負う殺し屋だったが、変わりゆく時代は非合法的なやり方を受け付けなくなってしまった。今や彼は半分お払い箱の「過去の遺物」になってしまい、仲間らからはバカにされている。そして息子も、犯罪者である父親を嫌悪し、縁を切って必死に家族を養っている。


もうひとつ、『96時間』と合い通じるのは、娘/息子の危機によってニーソン演じる父親が「父性」を取り戻し、同時に娘/息子との関係性も修復するところだ。

今作では息子マイクが、目撃してはならない殺人を目撃し、一転追われる身となってしまう。組織と息子の間に板挟みになってしまった父親だが、当初は何とも情けない。「うわあ…やだなあ」と思ったのは、必死で逃げてきた息子に対して、「見なかったことにしろ」的なことを言い出すのである。

息子の身からして、父親が「誰かの言いなり」になっている姿ほど見たくないものもないのではないだろうか。しかし父親からしたら雇元であり、飯の種である組織の意思に背くことは死を意味する。

しかしその直後、父親はその理性的に考えたときにとるべき選択を超え、「父性」に取り戻すのだ。

最も殺してはならない相手を殺してしまった父親とその息子は、ニューヨーク中を追われる身に。組織と賄賂でズブズブにつながっているため、警察も助けてくれない。正真正銘誰の味方がいない逃避行が始まる…。

そしてクライマックスで、ジミーは息子とその家族の未来をつなぎ、同時に自分の過去の罪を精算するのである。

『96時間』のブライアンのように完全無欠、どんなときも頼もしい「(なんでも知っているほうの)パパ」は見ていて楽しいが、本作のジミーは頼りなく、情けない「オヤジ」である。戦闘シーンも、ジミーはブライアンのようにスタイリッシュでなく、どこか不格好だ。

けれどそのなけなしの「父性」で戦う「オヤジ」のほうが、市井の多くの観客の胸に訴えかけるものがあるのではないだろうか。