いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

全くありがたくない創世記 〜リドリー・スコット『プロメテウス』批評〜

リドリー・スコットの『プロメテウス』は、構想に数十年をかけたといわれる監督の情熱と、現代のテクノロジーの配合によってようやく日の目を見たSF超大作だ。

ストーリーは、古代文明の壁画をヒントに、人類の起源の謎を解く鍵がはるか彼方のある惑星にあると推測した科学者カップルが、企業によって集められた15名のメンバーとともに宇宙船「プロメテウス」でその惑星へ乗り込むというもの。

この映画を観るうえで、大前提として『エイリアン』シリーズの最新作として当初企画されていたことは押さえておいていいだろう。結局続編にはならなかったものの、本作には『エイリアン』の「創造主」であるリドリー・スコットによるセルフパロディが冒頭から満載だ。タイトルクレジットの出し方や、つつがなく日常生活を送るアンドロイドに、冷凍睡眠から目覚める乗組員たち――例をあげればきりがない。ほかにも、マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイドがアレにアレされて白い液体を口から流しているところなど、『エイリアン』のアンドロイドのアレされかたのほとんど「完コピ」と呼んで差支えない。


ところで、観に行く前にSNSなどで確認した評判の印象は、「プロメテウスはダークナイト ライジングなみにバカバカしくてツッコミどころ満載だけど、情熱はプロメテウスのほうがある!」というものだった。

なるほどたしかに、実際に観てみると「人類の起源」などという高尚なテーマは単なる「釣りタイトル」にすぎず、またストーリーにもいろいろ疑問点が浮上する。では、それをかんがみてもおつりがくるくらいのアツい情熱はあるのだろうか?
残念ながら、構想に何十年をかけた情熱も、かけるほどの内容とも感じることができなかった。先述のように、『エイリアン』への愛情は伝わってくるのだが、肝心のこの映画そのものへの情熱、「俺はこれが撮りたかったんだよ!」というシーンや世界観は、最後まで見ることができなかった。

リドリー・スコットははっきりいって、お話よりイメージや世界観の人である。『エイリアン』で何が斬新だったかというと、あの粘膜質のエイリアンの造形である。『ブレードランナー』の何が観る者の心を鷲づかみにしたかというと、冒頭で早くもしめされるあのサイバーパンク都市の圧倒的なイメージである。『エイリアン』も『ブレードランナー』も、後世に数えきれないほどの模倣を生み、模倣者自身も自分が模倣しているとは気づいていないほど、そのイメージは定着してしまっているが、それはストーリーではなくあのイメージであり世界観なのである。だからこそ、この監督は偉大なのだ。
しかし、本作『プロメテウス』の世界観、インターフェイスメカニカルデザイン、どれをとっても「どこかで観た」という既視感ばかりが募る陳腐なものでしかなく、次代のクリエーターに多大な影響を与えるような圧倒的なイメージはどこにもなかったのである。


また本作は『エイリアン』の「ゼロもの」、つまり「エイリアン」の誕生についての物語であるという触れ込みもあり、実際に劇中でもある描写がそれを暗示するのだが、監督からのこの「ファンサービス」ははっきりいって「ありがた迷惑」というものだろう。
というのも、「エイリアン」とはその語源(=外国人、異邦人)がしめすとおり、人類にとって得体の知れない、起源のわからない脅威であることが最大の魅力だったはずである。しかし本作によってエイリアンは、人類との間でのくだらない因果論の円環に回収されてしまっている。この「創世記」ははっきりいって、エイリアンというキャラクター、もっといえば映画『エイリアン』シリーズが構築してきた世界観の魅力を半減させてしまっているのだ!
これと似た現象ではハンニバル・レクターの生い立ちを描いた『ハンニバル・ライジング』という作品があるが、ここまでファンのためを思って作られ、ここまでファンを失望させる企画もそうそうないだろう。もし『ダークナイト』の「ジョーカー誕生の秘密にせまる」みたいな続編が企画されていたとしたら、全世界のファンが結託して全力でそれを阻止しなければならないだろう(ない話でもないのが昨今の映画界の怖いところ)。マジックの種明かしと同じで、彼らに共通する魅力とは出自のわからないことであり、出自を語ってしまえばそれは何の魅力もなくなってしまう。


余談であるが、人類誕生の謎に迫る科学者カップルの彼氏がハンマー投げ室伏広治そっくりである。

相手の彼女は、物語終盤の小走りで逃げるところの小型クリーチャーみたいな雰囲気が強いていうなら松野明美であるからして、

この二人のトップアスリートの「交配」によってとある「とんでもないもの」が生まれるというのは、ある意味で納得がいく。