アレクサンダー・ペイン監督の最新作「ダウンサイズ」は、人間を十数センチ台に小さくする「ダウンサイジング」が可能になった未来を舞台にしたサイエンスフィクションだ。
北欧で「ダウンサイジング」が発明され、環境問題や食糧問題など、人類の課題がすべて解決すると期待された数年後。
ポール(マッド・デイモン)は同窓会で旧友と再会したのを切っ掛けに、「ダウンサイジング」することを決意する。
「ダウンサイジング」をすれば資産は今の数十倍になり、大豪邸に住みながら一生遊んで暮らすことができるという。
愛する妻はいるものの、決して裕福ではないポールだが、夫婦ふたりで「ダウンサイジング」することで理想の暮らしを手にすることができる、はずだったが…。
観る前は「アバウト・シュミット」「ネブラスカ 心をつなぐストーリー」など現代を舞台とした人間ドラマを得意とするペインの最新作がSF!?意外!と感じた。
SFといえば、先鋭的なビジュアルや設定で観客を魅了するのが常道だからだ。
ところが、実際に観てみると、本作をペインが撮ったことも「なるほど」と腑に落ちた。
ポールは土壇場になって怖気づいた妻に裏切られ、ひとりで小さくなってしまう。
ふたりで一緒に豊かに暮らす夢は早くも崩れ去ってしまうのだ(ダウンサイズをすると二度と元には戻れない)。
それだけではない。一人で住むには大きすぎる豪邸は引き払い、マンションに移り住んだポール。
ところが上の階の住人は毎夜のごとくパーティを開き、迷惑極まりない。
離婚したポールだが、新たなパートナー候補とも上手く進展しない。
「小さくなれば人生最高!」という触れ込みだったが、実際のところは全然そうではなかったのだ!
実はポールの体が小さくなったって、人生の悩みは昔のころと何も変わらず彼を苦しめるのだ。
そうした日常の悩みと並行し、富で溢れるとの触れ込みだった「ダウンサイズ」の世界にも、外の世界と同じく貧富の差が存在することもわかってくる。
ここに、「アバウト・シュミット」(妻に先立たれてしまう)、「ファミリー・ツリー」(妻の浮気が発覚してしまう)など、日常的な苦悩とその滑稽さを描いてきたペインが、このSF映画を撮った意味があるように思える。
後半になればなるほど、13㎝になった人だけしか出てこなくなりサイズの話はおざなりになる一方、ロードムービーの様相を呈し、ますますペインの映画っぽくなっていく。
そんな中でもクリストフ・ヴァルツの顔芸は逸品である。笑うしかない。
本作はテクノロジーの発展によって様変わりした未来を描いている。これは間違いない。
しかしその設定は「体裁」程度のもので、核となる部分は、人類が延々と苦労することとなっている「人生」という、やはりペインらしいといえばらしいものなのだ。